私的 昭和テレビ大全集
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ゲゲゲの鬼太郎 (1968)

ゲゲゲの鬼太郎(1968)
♪ ゲ、ゲ、ゲゲゲのゲ

それまでのアニソンと少し趣の異なる、なんともとぼけた音曲。
「へんな漫画が始まったなー」というのが、出だしを見たワタクシの実感でした。
しかし、そこで繰り広げられた妖怪退治譚は、たちまち子供達を虜にしました。
なんと言っても、『妖怪』そのものが魅力的でした。
怪獣のような異形の出で立ち。それにもインパクトはあるものの、
佇まいが、所詮は人造物である怪獣の様にアーティフィシャルでなく、
古来自然と共生しており、まだまだ自然が残されていた時代、
その存在がより身近に感じられたもんです。

日本古来の伝承に息づく妖怪達は、様々な日常、様々な場所におり、
本などでそうした故事来歴を読むと本当に恐怖は倍増しました。
たとえばワタクシが恐かったのは、寝ている時に何か質問をする妖怪。
うっかりコイツの問いかけに寝ぼけてうなづくと、
たちまちにして喰われてしまうという解説がありました。
当時の妖怪本で紹介された伝承妖怪で、鬼太郎には出てこないのですが、
コイツが恐くて、当時は寝るのが恐くなってしまいました。

江戸時代の人々が実際に見聞した妖怪や、平安期に跋扈した妖怪の話、
明治に報告された『さがり』という妖怪の目撃例が記録に残る
妖怪の最後であるという話などがあり、妖怪の存在を身近にしました。
怪獣にはこういう恐怖感は無く、あくまでもテレビの中のお話ですからね。
水木しげるという妖怪研究家?がいた幸運は大きいです。
日本古来の妖怪をテレビに取り入れたスタッフの慧眼と言えましょう。

古来の伝承に息づく異形の妖怪達が、様々な独自の能力で襲ってくる。
これに立ち向かうのがウルトラマンの様な異形のヒーローではなく、
少なくとも外見は我々と同等の子供に過ぎなかったというのも、
この番組の大きな成功要因の一つでしょう。
髪の毛針なんて結構マネしましたからね(笑)。
サンダルをキックで相手に向けて放ったり。 やったでしょ?(笑)

テレビ番組の作りとしては、予告編の凄さも特筆物でした。
初期に放送された前後編の『大海獣』の話は、
採取した大海獣の血を科学者に好奇心で注射されてしまい、
鬼太郎が巨大な大海獣になってしまうという話でしたが、
まあ、その予告編がそれだけで一大スペクタクル(笑)。
差し迫る緊張感を煽る仰々しくも恐ろしい音楽に乗って、
この世の終わりを告げるかの様な逼迫したナレーションで、
「次回、大海獣! 大海獣にご期待下さい!!」とやるんですよ。
期待しちゃうって、そりゃ(笑)。

普段は一回完結の話なのにたまに前後編を混ぜるというのは、
当時はたまに用いられた手法で、ウルトラセブンなんかでも有りましたが、
いつもよりも内容も逼迫感があり、そのボリュームと、
来週はどうなるんだろうという興味とで、楽しみ倍増でした。
普段は一話完結というところがミソなんですけどね。
だからたまにある前後編は、一種のお祭り的楽しみがありました。

大海獣の話も恐かったな。注射そのものがコワイ年齢ですから。
ただでさえコワイ注射に、お医者さんが好奇心で
大海獣の血を混ぜていたらどうしよう……なんて恐がっていたあの頃。
あの頃は、おでも可愛かったもんだ(笑)。
いずみたくによる劇伴…BGMもスグレモノで、緊張感を煽りまくりました。

提供で有名なのはシスコ製菓。いろいろ商品展開もしてました。
でも、初期の頃はサッポロビールじゃなかったかな?
「リボンちゃーん」「は~い」っていう有名なリボンシトロンのCMを
この番組で見ていたような気がするんですけど。

いずれにせよ、悪魔くんの項で述べた様に、放送前は妖怪への偏見もあり、
スポンサー獲得は通常のアニメよりも難儀だったと思います。
そもそも少年マガジン連載時は『墓場の鬼太郎』ですからね。
墓場だよ、墓場。テレビ化を考えた方が異様だよ(苦笑)。
たちまちのうちに人気が出て、スポンサーもホクホクだったでしょう。

人気は便乗作品が出る事によってブームとなり、
ブームは加熱して同種作品の林立を招き、森が枯れるという結末になります。
この作品は、世に妖怪ブームと呼ばれる現象を招きました。
前述のワタクシが読んだ本も、そんなブームの最中に出版された
山ほど有った妖怪関連本の、ほんの一握りの例です。
アニメでも『妖怪人間ベム』『どろろ』、実写では『バンパイヤ』、
そして、この鬼太郎と同じ水木原作の『河童の三平 妖怪大作戦』などが
所狭しとテレビ欄に踊り、ついには怪獣ブームを凌駕してしまいます。

♪ おばけは死なーない~
OPでそう歌っているように、妖怪も鬼太郎も、結局は不死でした。
鬼太郎はどれほどのピンチになっても、人間ではあり得ない蘇生力で復活し、
それが数回繰り返されるうちに、毎度の危機演出に実感が失われました。
どうせ何やっても助かるじゃん。
視聴者にこう感じさせてしまっては、妖怪退治譚としての寿命は見えました。

退治したはずの妖怪が、話が変わると和気藹々とした感じで出て来たり、
彼らの不死ぶりは、「なんだ八百長かよ!」という裏切られた思いを、
あたかもプロレスファンのごとく我々に抱かせました(笑)。
こうして一年強でとりあえずの放送終了となった鬼太郎ですが、
彼らは本当に死なない存在でした。

終了後、たった2年でカラーで復活。
更にはその後も、二度、三度と復活アニメ化され、その度に人気を獲得します。
自然もなくなり、共生する妖怪達もかつてほどの存在感を発揮できませんが、
単純なヒーロー物としての魅力で生き残り続けるあたり、
きゃつらもただ者ではありませんな。
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コメント
この記事へ寄せられたコメント
記憶が曖昧で申し訳ないが
ネズミ男は人間と妖怪とのハーフと言う設定(但しどちらがどうとの説明はないと記憶)で鬼太郎の母親も人間だとの記憶も頭を擡げつつあり真相をご存知の方は是非ご一報をm(__)m

にしてもこのコメントにネズミ男の事が一切取り上げられてないのは意外と思いつつこのキャラの巻き起こす騒動がなければ少なくとも世相風刺的なストーリーは殆ど成り立つまいと思うのだが

ちなみに日本を代表する少年役の声優としての野沢雅子氏の出世作でもあるのではなかろうかな
2006/12/02(土) 11:16:32 | URL | 熱血王 ガッツィンガー
だって既に長いし(笑)
いや、いつも書き足りないんですよ、これに限らず有名どこはね。
ただ、有名どこは判明している事が多いので、
書いていたらキリが無いというのと、今更というのとが有って、割愛する事柄が多いです。

でも、ビビビのネズミ男については書いても良かったですね。
そういうのは投稿ボタンを押した後、すぐに気付いたりするんです。
ほとんどの記事をトーク感覚でその時の筆の赴くまま書いてますので、
そういう事は数多くありますが、それもここの特性。
至らない点は、今回のように皆さんにフォローして戴こうという事でもあります(笑)。

漫画の方では細かい設定が語られる回も有るんですけど、
アニメの方ではあんまり記憶に無いですね。
たしか、ネズミ男は半妖怪というのはよく目玉親父が馬鹿にしてたんで、
人間と妖怪の合いの子なんでしょう。
鬼太郎については、たしかアニメでは境遇の説明は無かったように思います。
少なくとも初期の二作では。

原作では、目玉親父は死体から腐って落ちた目玉、
母親はなんだっけな?
まあ、死んでるんだろうから、やはり人間なんでしょうね。
2006/12/03(日) 01:57:02 | URL | ごいんきょ
テーマソング
♪ゲ、ゲ、ゲゲオブゲー
 インザモーニング、インザベッド、ZZZ

という英語バージョンが流行りませんでしたか?

2008/11/28(金) 21:47:25 | URL | モデラート
ああ、ありましたねー。
誰かが言っていた気がします。
やはり中学くらいの時に言うんでしょうね。
2008/11/29(土) 03:21:51 | URL | ごいんきょ
目玉の親父さんはね
水木先生の「墓場の鬼太郎」によれば,ちゃんとしたおばけだったのが,死んで(おーばけーは死なーないというのにねぇ)倒れた後,目玉だけが頭部から落ちて,ぴくぴくうごいて,そこから手足が生えたんですね。母親のおばけの方は,そのままなんで,鬼太郎の胸の中で生きているんだと思うんですが。
2008/11/29(土) 17:08:26 | URL | いくちゃん
うーん、よくわからん設定ですね。
とにかく合いの子ではなくて、血統書付きのオバケではあるんですね(笑)。
2008/11/30(日) 20:54:01 | URL | ごいんきょ
両親の持っていた「墓場の鬼太郎」を読んでいたので、「お化けは死なーないー」(68年版の字幕では「死なない」、71年版は「死ななーい」)というのは言葉のアヤだな、と思っていました。漫画
白黒の68年版も雰囲気がいいですが、一番夢中になって見たのは71年版でした。とくに再放送が平日の昼下がりで、「泣いてたまるか」再放送と同時期に見ていた記憶があります。71年版の中でも一番好きな3作は「イースター島奇談」、「縁切り虫」、そして涙なしに見られない「南からの招き」です。
85年版はほとんど見ていませんが、吉幾三の ED だけは良かったですね。

昔読んだんですが、水木しげるが外から帰ってしばらく仕事をしていて、ふと気配を感じて振り向くと、真っ暗な階段の上がり口に若い男が腰掛けている。何だと訊くと、アシスタント志望で、勝手に上がり込んで、先生の帰宅前からずっと待っていたが、話しかける勇気も出ないままうずくまっていた、と答えたそうです。「お化けよりも本当に怖いのは人間だと思った」と書いていました。
その男がアシスタントになったか、その後漫画家になったかどうかは知りません。
2008/12/02(火) 23:55:12 | URL | あぶもんもん
一部書き忘れました
漫画の鬼太郎(や、ネズミ男もの)を読むと、なぜ「ビビビの」ネズミ男なのかもわかります。ネズミ男がビンタするときの擬音が「びびび」なんですね。
キャラでは死神が好きです。あの噛み合ないアゴと歯、妙な手つき。妖怪図鑑の「手の目」というのも好きです。
たしか水木しげるの絵だと思うんですが、昔のマガジンかサンデーで、悪夢のような一コマ絵を見たことがあります。旅人が奥の部屋でくつろいでいて、手前の土間で、泊めてやった男が庖丁を研いでいるんです。目が完全にイッちゃってて、荒い鼻息を吐いています。その後、創元推理文庫でイギリスの怪談「炎天」というのを読み、似た場面が出てくるので驚きました。本当に恐い話は洋の東西を問わず、似てくるんですね。
2008/12/03(水) 01:02:36 | URL | あぶもんもん
カラー版でお好きだという3作については、どれも元は鬼太郎の話じゃないでしょうね。
あの新作版は水木先生の他の話からアイデアを持ってきたのも多くて、
だから鬼太郎があまり活躍しないで、人間がどろどろのやり合いをする話が有ったりします。
一番こわくて一番みにくいのが人間ですよね。
でも、一番うつくしくもなれるのでしょうが。
2008/12/03(水) 06:32:33 | URL | ごいんきょ
戦争経験者なので
水木先生の作品には,それから派生する作品が多いのだと思います(「妖花」や「大海獣」)。
68年ものは,結構原作漫画に近い仕上がりだと思います。
「ゆうれい電車」のようにうまく仕返しをするストーリーは胸がスカッとしたし,「皿小僧」の歌は,頭に焼き付いて,授業中にこまったとか・・・懐かしいにゃ・・・ぺったらぺたらこぺったっこー。
2008/12/03(水) 21:02:58 | URL | いくちゃん
きたろう
いくちゃんさんではなくて
水木先生は戦争経験ですよね。

目玉親父好きでした。
声の人も見たことありますけど
人のよさそうなおじいさんですよね。田の中勇さんでしたっけ。
ユメ子ちゃんもかわいい。 
 
2008/12/04(木) 12:33:11 | URL | 梅吉
この記事に書き込むと、私のハンドルネームはいかにも妖怪っぽいですね。
南方戦線に行っているので、そっちの方が舞台になるとリアリティがありましたね。
鬼太郎は主役というより水木ワールドの一部という感じで、だから鬼太郎の出て来ない原作から作った話も好きでした。原作でも、たしか鬼太郎が無責任な傍観者みたいな話もあったんじゃないでしょうか。
マンモスフラワーも鬼太郎抜き、ねずみ男が脇役で出る話ですね。初出は昭和40年8月25日らしいです。ウルトラ Q のマンモスフラワーの脚本が書かれたのは、ウルトラ Q 全記録というサイトによると昭和39年9月のようです。別にどっちが元祖でもいいんですが、同時期に同じテーマの2作品が作られたというのは楽しいですね。しかもお互いに知らんぷりしている感じなのが面白いです。
2008/12/06(土) 01:20:53 | URL | あぶもんもん
● いくちゃんちゃん
新版の方ではニューギニアの話なんかも有りましたしね。
この白黒版でも、けっこう南方とかが舞台になったかな。
皿小僧の歌はハマりますね(笑)。

● 梅吉さん
アニメキャラの物真似と言えば目玉親父。
そんな時代が有りました。
ユメコちゃんというのは第3期の鬼太郎ですね。

● あぶもんもんさん
少年マガジンでの鬼太郎は、ほぼ鬼太郎が主人公だったと思います。
マンモスフラワーって、鬼太郎が花から再生する話でしたっけ。
ああいうあんまりな復活劇が、緊張感を奪っていきました。
絶対に死なないんだという無敵さがね。
やられそうな形はアングルかよと(笑)。
それはともかく、きっと水木さんはウルトラQからヒントを得たんだと思います。
同じ雑誌で特集しているのですし。
2008/12/08(月) 00:07:13 | URL | ごいんきょ
二股膏薬
マンモスフラワー、鬼太郎が再生したのは覚えていません。妖怪あかなめが実はきれい好き妖怪で、公害を垂れ流す人間への警鐘としてマンモスフラワーをニョキニョキ生えさせた、と説明的なオチで、今の子どもが見たらこざかしく突っ込むだろうなあ、という教訓話でした。原作も環境破壊の諷刺ですが、オチはひとひねり加えてありました。
目玉のオヤジと鬼太郎が事あるごとにネズミ男を「二股膏薬のこうもり野郎」呼ばわりしていましたが、死語でしょうね。感覚でピンとくる、というかベッチャリとわかる良い言葉だと思うんですが。
2008/12/13(土) 00:27:04 | URL | あぶもんもん
ああ、ああ。あかなめの方のマンモスフラワーね。
それはカラー版の方の鬼太郎ですよ。
時代的に公害へのメッセージが多かったですね。
2008/12/13(土) 06:51:19 | URL | ごいんきょ
妖怪ブーム
「妖怪ブーム」という言葉は、当時本当にあったのですか?
「怪獣ブーム」はもちろんウルトラQやマグマ大使の頃から盛んに使われていましたが、実は、この鬼太郎第一期と同じ昭和43年に映画「妖怪大戦争」が公開された時、「怪獣ブームはもう古い。これからは妖怪ブームだ」と言ったら大人たちに笑われた覚えがあります。
当時の周りの大人たちにとっては怪獣も妖怪も同じようなもんだったでしょうから、「これからは」もないもんだ、と思われたのだと思います。マスコミなどでは「妖怪ブーム」という言葉を使って煽っていたんでしょうか。
2009/03/17(火) 17:42:19 | URL | あぶもんもん
おいらも子どもでしたからねぇ
妖怪ブームそのものを煽っていたかどうかは,今となっては記憶にありません。
しかし,当時の駄菓子屋で売っていた蛍光塗料のついた鬼太郎や目玉の親父の絵を,押し入れの中で見て,ぼうっと浮かんだのを記憶していますから,何らかの商業的な意図があって,妖怪ブーム的なことを言って,子どもたちに浸透させようとしていたような気もしますねぇ。
2009/03/18(水) 00:20:37 | URL | いくちゃん
ブームいうのはそれを意図する者がいるから「ブーム」と呼称されるのですね。
当時ウルトラセブンに翳りが見え始め、怪獣も子供達に飽きられ始めたと思った大人たちが、
妖怪に目を付けて便乗していった結果だと思います。
そうそう。映画の妖怪大戦争も有りましたね。
やはり少年週刊誌のグラビアで扱われてました。
2009/03/25(水) 05:10:17 | URL | ごいんきょ
昨年のNHKの朝ドラ「ゲゲゲの女房」人気で熊倉一雄さんが夏の「思い出のメロディー」そして年末の紅白の2回、あのおどろおどろしいOPを歌われてらっしゃいましたが

「たの~すぃ~な、たの~すぃ~な、お化けはすなぁ~ない~、すけんもなんぬもぬぁい、う~ん」と歌った吉幾三さんにはどうやらゲゲゲ絡みの仕事はなかったようです(^。^;)
2011/03/09(水) 23:06:30 | URL | ナベチン
ははは。
ワタクシも吉さんのテーマソングは苦手ですが、
あれが記憶の原点の人もいるでしょうし、
新旧歌手揃い踏み企画が有ってもいいと思いますけどね。
2011/03/18(金) 07:14:36 | URL | ごいんきょ
シスコ製菓
現在の日清シスコですね。90年代に入って日清食品グループに入っていますね。
2017/04/20(木) 07:31:09 | URL | (ハンドル未記入)
上記の書き込み
HN記入忘れていました。
2017/04/20(木) 07:35:03 | URL | TSUSHIMA
新参者から失礼致します。
拝啓 よろしくお願いいたします。
最初期モノクロ映像の「ゲゲゲの鬼太郎」がオンエアされた当時、小学5年でしたが、こうした妖怪物って「テレビでは東映、映画では大映」が本家だった様ですね。うちの爺様(親父)の話ですと、「この話は相当な昔から紙芝居で知っていて、記憶では墓場の鬼太郎」と言っていたと。この紙芝居の鬼太郎を、水木しげる氏が何かの理由で引き継いだと聞いていた、と言っておりましたが、当時から有名な話だった様です。またアニメ化では「いずみたくさん」の単純明快あっらかんの音楽がドンピシャリと決まっておりましたね。この有名なテーマ曲、ジャズの音階とコードを使った?と言われるが、アレンジはどうも「大垣隆さん」と言う専門の方が行った様です。BGMもとにかく解りやすく複雑なコードやハーモニー,メロディを一切用いず、あえて本当に素人っぽい造りがとても良くて、結果的に印象が強く残りました。直ぐに覚えやすいのです。 またスポンサーでシスコがあったとのお話ですが、この点が記憶には無く、皆様やごいんきょ様のリサーチ能力には感服いたしました。今回少々脱線転覆ですが、スレッドが無いのでお詫びですがシスコには「進めシスコ シスコーン王子」と言う一部コマ撮りアニメがありましたね。記憶では自分が幼稚園児の頃か小学1年頃?と思います。テーマ曲の歌詞とメロディーは良く覚えており「それ行けそれ進め、すすめすすめシスコ」と。このコマ撮りアニメを制作したプロダクションは当時都内の小さなビルにあり、現在フィルムの行方はつかめませんが、一部文献では「オリジナル漫画本の一部」が見られます。但し当時熱心にリサーチしましたが「日進シスコからは一遍の返答も何も無く、全く誠意のかけらも見られなかった」ですね。自分の会社のオリジナルキャラクターですけれども。何とも情けない会社と思いました。残念でした。話が逸れてお詫びいたします。敬具
2017/04/20(木) 09:15:27 | URL | よしたかくん
● TSUSHIMAさん
いつの間にかシスコも合併の藻屑になってましたか。


● よしたかくんさん
そんなコアな話を知っているとは、どんなお父さんなんですか(苦笑)。
お父さんも只者ではないなあ。

この歌は、元々が少年マガジンの企画盤に収録されたものの流用ですね。
ワタクシは子供の頃から好きではなくて、やたら長く感じて鬱陶しかったです。
早く放しに行けよと。

ワタクシも実は、シスコは自分の記憶に残ってはいません。
リボンちゃんは非常によく覚えてますけど。
あまり記憶に残るCMとかお菓子が無かったんでしょうね。

シスコン王子、是非スレ建てしてみて下さいよ(笑)。
現在だと、怪しい感じの題名で取る奴もいるんだろうなあ(苦笑)。
2017/05/03(水) 15:53:59 | URL | ごいんきょ
ごいんきょ様へ 
拝啓 うちの爺は、実は10代の青春時代から「絵描き 画家」を目指して何か当時の通信教育の走り?の様な事まで受けていたらしいのです。そしてあるキッカケで「刺青の下絵=原画を描く仕事のバイト」で生計を立てていたと。やはりこういった周囲の状況や立場、人とのつながり等で、鬼太郎の事も知っていたのではと?推測されます。また爺は「黄金バット」の事も、あれも最初は紙芝居で見た記憶があり、間違い無く原作者は別にいて、引き継がれたと。これは鬼太郎にしても同様で、戦前から紙芝居であった場合、原作者や著作権等と言う概念やそもそも原作者に興味関心が無く日々の糧としてしか考えなかった場合、それをたまたま「良い形で現在の作者に引き継がれた」と言うのも在り得る話ではないでしょうか。いずれにしろ当時の鬼太郎とは大分変化していると聞いておりますから、やはり現在の水木しげるさんの鬼太郎がマッチしているのでしょうね。 敬具
2017/05/03(水) 23:09:13 | URL | よしたかくん
鬼太郎の起源が…
紙芝居で、いわばリバイバルを繰り返している
作品であるという話は割と知られてるような。

ちなみに私の曾祖父は、森永の創業者がリヤカーを曳いて
お菓子を手売りしていた頃の常連客の一人だったそうです(笑)。
2017/05/03(水) 23:33:53 | URL | くろねき
元祖・ハカバキタロー
故・加太こうじ氏の著書「紙芝居昭和史」に、昭和初期の「原・鬼太郎」の成立事情・作者について非常に詳しい記述があります。長いのでとてもすべて引用できませんが、要点をできるだけかいつまんで言うと、①鬼太郎が「ハカバキタロー」として初めて紙芝居に登場したのが昭和7年。当時業界では新興勢力だった「富士会」という紙芝居製作所が初めて放った大ヒット作で、以後長く同社の呼び物となった。②作者は伊藤正美という、貧乏な小説家志望の文学青年。友人のこれも食い詰め画家が「富士会」の紙芝居の絵を描く仕事をやっと見つけ、台本書きが必要というので、伊藤とコンビで売り込んだところ、絵の方はヘタクソ過ぎてクビ、伊藤の台本だけが面白いというので採用され、ゾンビのような少年を主人公にした怪奇ものの台本を執筆。これを「ハカバキタロー」と題して、辰巳東洋という看板屋あがりの画家におどろおどろしい絵を描かせたところ、これが大当り。おかげで伊藤はいっぺんに売れっ子になったばかりか、社長の妹婿におさまり、富士会の編集長に成り上がった。③鬼太郎は「長髪をふり乱し」、「せむしのような格好で異様に大きく前歯二本が突きでたグロテスクな形相」で、舞台は関西地方のさる農村。姑の嫁いじめでいびり殺された母親の死骸から生まれたキタローは、母の死肉を喰らって土中からはい出し、母を殺した祖母を身の毛もよだつ方法で惨殺、復讐をとげる。④その後、キタローはスーパーマン的な善玉に変わり、シリーズ化された冒険大活劇の主人公として、昭和8年には「黄金バット」をも圧倒する紙芝居界のトップ・ヒーローとなって、昭和10年ごろまで人気を集めた。

ということで、伊藤正美+辰巳東洋の「ハカバキタロー」は、間違いなく後年の水木しげるの「ゲゲゲの鬼太郎」の原型と加太氏は明記しています。なお、後述で、少年時代に「ハカバキタロー」の大ファンだった水木氏が、戦後「キタロー」を書き継ぐことになった経緯についても興味深い話が紹介されますが、長くなりすぎたので一応これにて。
2017/05/04(木) 03:32:30 | URL | 権兵衛
権兵衛様へ 本当に役立つ情報感謝を
拝啓 素晴らしいコメントと情報を有難うございます。爺に再度確認しましたら、当時(昭和7年当時は4才)間違いなく紙芝居は見ていたと。自分が小学生の頃に放映開始された「東映アニメの白黒版ゲゲゲの鬼太郎」を所見した際、爺は全くの違和感を持ったと言います。権兵衛様の情報通り、当時の「ハカバキタローと現在のゲゲゲの鬼太郎とは全くの別物だった」と。まぁ年寄りってぇのは大昔の、特に戦前の事は良く覚えているらしく、この後「ハカバキタローの話から刺青の話、女の話からまぁとんでもねぇ此処に書けない話?」まで、まぁぺらぺらと減らず口を叩いてくれました(爆笑)
しかし大切な事は、如何にトラブル、後腐れ無く引き継ぐか?なので、おそらく推測ですが、とても良い形で引き継がれたと思っています。爺も「冥土の土産話に地獄の閻魔に聞かせてやりてぇ」と軽口叩いて降りました(爆笑)感謝を。敬具
2017/05/04(木) 13:53:48 | URL | よしたかくん
「シスコーン王子」って…
もしかして藤子不二雄のシスコン王子でしょうか?

「藤子不二雄ファンサークル ネオ・ユートピア」の
会報である「Neo Utopia」56号(2015年8月発行)に
「人形アニメーション シスコン王子の世界」という特集が出てますよ。

表紙写真は紅白に彩られたカブリオレに乗って
ポーズを取る、アメリカ先住民風の男女2体の人形。
女の子のほうが赤い字で「シスコーン」と書かれた黄色い箱を持ってます。
箱には皿に入ったシリアルを捧げ持った、これまたアメリカ先住民風の人形の姿が。

画像検索してみたらいきなり出ましたが、とりあえずでも検索はしてみるもんです。
2017/05/04(木) 14:26:12 | URL | くろねき
「よしたかくん」様に:訂正と追加
早速のレス恐縮です。毎度のことながら、先走ってしまいまして、一ヶ所根拠のないことを最後に書いてしまいましたので、謹んで取り消すと共に、水木氏が「キタロー」を引き継いだ経緯について、加太氏の説明をほぼ要約の形で追加させて頂きます。

ご賢察の通り、引き継ぎは仲介者を得てトラブルなく、スムーズだったようです。前掲書によると、傷痍軍人として復員した武良茂は、昭和23年から25年にかけてリンタクの親方と小金貸で多少の金を儲け、神戸で「水木荘」というボロ旅館を購入、アパートにしてしばらく大家に納まりました。「水木しげる」の筆名はよく知られる通り、この元旅館に由来するわけですが、そのうち退屈になり、少年時代から親しんだ絵を描いて無聊を紛らすことを思いつき、手っ取り早く紙芝居の下絵を描くことにしたわけです。幸い、近所に知り合いの紙芝居台本作者・鈴木勝丸がいたので、押しかけて鈴木が経営している阪神画報社に売り込むことにしたのですが、鈴木が見ると武良の絵は下手糞過ぎて話にならない。クビにしようと思ったが、それまで絵を描かせていた男が辞め、当面描き手は武良しかいないので仕方なく、東京の同業者である加太こうじ(つまり著者)に、神戸へ来て武良を一人前に鍛えてくれと頼みこみます。条件は、武良のアパートにタダで泊めることだったそうで(笑)。加太は承知して、間もなく武良の教育が始まりました。加太は自分の下絵を片っ端から武良にコピーさせるなどしてしごき抜きますが、今度は鈴木勝丸が武良(以下水木)に台本も書かせ、その自らの台本に絵を毎日一巻ずつ描かせるというノルマを課して、加太と二人がかりで鍛えた成果で、水木は絵も上達したばかりか、台本にも独特の個性と才能が見えたので、鈴木はここで旧知の伊藤正美の「ハカバキタロー」の粗筋を水木に話し、彼はそれを元に自らの台本で「墓場奇太郎」を創作します。もちろん、この時点で伊藤の了解を得てのことでしょう。少し後の昭和32年暮れ、テレビの登場で紙芝居の将来を悲観した水木は上京し、加太の勧めで貸本漫画の単行本の絵を描き出しますが、その時に再び伊藤の承諾を得て、「墓場奇太郎」を「墓場鬼太郎」と字面を替えて貸本版として売り出し、これが大ヒットする、という経緯だったようです。

先に、鈴木勝丸が武良(水木)に「キタロー」の粗筋を話した、というところから、それまで水木は「キタロー」を知らなかったか、またはよく覚えていなかった可能性が強いため、先述の「少年時代ファンだった」というのは私のまったくの憶測にすぎなかったことになります。先走りというのはこのことで、改めてお詫びし、訂正させて頂く次第です。
2017/05/04(木) 15:27:11 | URL | (ハンドル未記入)
失礼しました
↑権兵衛です。
2017/05/04(木) 15:28:51 | URL | (ハンドル未記入)
コメント感謝 今更ながらネットの威力に脱帽を
拝啓 権兵衛様には更なる追加情報心より感謝いたします。こういう経緯で移動、譲渡と謎が解けた思いです。実はたった今、うちの爺が突然「思い出したけんどよぉーっハカバのキタコーってぇのは少年倶楽部でも見たなぁ」と。おいおいっちょっと待てよ爺よおっ、少年倶楽部ってぇのは当時月刊誌だったはずで紙芝居だったハカバキタローが少年倶楽部に連載されていた?」てぇ本当だったのでしょうか?何せ爺は今年89になる半ボケ?(爆笑)ですからねぇ。大体キタコーじゃあ無ぇっキタローだろうがっ(大爆笑) それと「くろねき様からのシスコーン王子」ですが、この情報は自分には所見で、36年以上前に調べ始めた頃は、アニメ雑誌も本当に少なく、正直音楽中心に情報を集めていた自分には当時入手できた「記載されていた雑誌のコピー=何ページかの複製」が手に入っただけでした。テーマ主題歌は全て記憶しており「うろ覚えの歌詞とメロディーは採譜」しております。これは「コマ録りアニメ」と言う斬新な方法だからすでに50年以上前の番組を記憶していたのですから。それよりも「銭金出したスポンサーであった日進シスコの誠意の無い対応」です。繰り返しますが同じスポンサーであっても「松下、日立、養命酒、日本香堂、群馬サファリパーク、草津スキー場、FCしまむら、まめげん」等は素晴らしい対応であり頭が下がりました。しかし「TBS、ケンタッキー、ロッテ、日進シスコ」等の対応は誠に不謹慎無礼なものだった。例え数十年経過しようとこういう時に「江戸の敵を長崎でっ」てな事になってしまうのですよ。事実ですからね。だからこそ一期一会、その出会いを大切にしたいですね。敬具
2017/05/04(木) 16:24:08 | URL | よしたかくん
「生憎、当時の社員が退社しておりまして」…
という対応を取られることは割とあると思いますが、
対応の悪い会社は経営がゴタゴタしていたり、
比較的近年に資本関係が大きく変わった会社が多いような気がします。

旧シスコが日清食品傘下の日清シスコになったのは1991年ですが、
よしたかくん様が問い合わせられたのは旧シスコ時代でしょうから
こういうケースには当たらず、一方で企業キャラクターに現在のような地位が
無い時代でしょうし、ルーズなところがあったのかもしれませんね。
ケンタッキーは外資系(ロッテも実質外資)だからというのもあるのかも?

企業の資料は倒産などの事態があると散逸してしまうことがありますが、
資料を一元管理する財団法人などがあったほうが望ましいかもしれませんね。
CMに関しては「ACC CM情報センター」という組織があり、
テレビなどで過去のCMを流す場合は必ずこちらから引いてくるようですけどね。

日本香堂の対応が素晴らしいというのはちょっとわかる気がします。
社員が毎週手紙を書いてくるラジオ番組のコーナーがあるくらいですからね(笑)。
2017/05/04(木) 21:06:33 | URL | くろねき
くろねき様へ
拝啓 確かにおっしゃられる通りの「通り一遍の外交辞令的フレーズ」は多々聞いたことがあります。しかしそれはそれなりに「一流企業としての対応の仕方」がありますでしょう?そんじょそこらへんの「蹴飛ばせばひっくり返る様な貧乏商店とは違う」と。例えば?「松下などは以前確かにシートレコードは在ったが。マニアの方に進呈してしまった」と、「日立は手書きで、散々社内を調べたが情けないが資料の片鱗も無い、しかしデモフィルムはかくかくしかじか、、」と。TBSなんぞは「女の調子こいた馬鹿社員が、散々はがきで返事寄こしながら、カセット生テープすら受け取っておきながら、終ぞ数十年シカトですよ。その女馬鹿社員の実名入りの葉書は永久保存してありますよ。ケンタッキー等は責任者でも無い平が出てきてシャットアウト、しかし何故かかなりの年月経過してようつべに、、、、何なのこれは? ロッテ等もまぁ何の音沙汰も無く、そんなに日本人が憎いか? しかし「日本香堂、FCしまむら、草津スキー場、まめげん、群馬サファリパーク」等は見事を超えた誠意ある対応に涙でましたよ。テープやレコード、譜面まで送って下さって、、、、こういう誠意ある企業は、自分は頼まれもしねぇのに宣伝しまくってましたね。せめてもの感謝ですよ。こういうセールスプロモーション資料をきちんと残し保存する企業は伸びてます。稼いでます信頼されてますよ。対してどうですか?名前の出た企業は?世間に対して何をしましたか?皆様ご存知でしょう?恐ろしいものですねぇ 因果応報って、、、、、自分も気をつけたいものです。 敬具
2017/05/05(金) 18:24:34 | URL | よしたかくん
貧乏商店のメンタリティーのまんま…
脇目も振らず突っ走ってたのかもしれませんね>シスコ
昭和の時代ならありそうです。
あるいはステレオタイプなイメージの社史編纂課員
(当人的には左遷部署と認識)とかが対応でもしたのか。

一流企業とは言っても、知名度は全国区でも小さな資本ってこともありますもんね。
今のパナソニックや日立も、昔と同じ対応するのかどうか…
組織の官僚化の話なども聞きますし、業界自体にゆとりがありませんしね。

それと、思ったんですがシスコーン坊やの契約料、意外とお安かったんじゃないかと。
藤子不二雄なんか起用したら高いだろう、と思いがちですが、
登場が1963年ということはオバケのQ太郎がギリギリ居なくて、
藤子不二雄の代表作たるドラえもんは影も形も無い頃です。

後で値上がりはあったのかもしれませんが、時代的にも
まだそれほど相場が高騰していなかったのでは、と。
アニメ制作の人件費はどうなってたかわかりませんが、これも安かったのかも?
普通のアニメは今でも安すぎるといいますし(略)

> その女馬鹿社員の実名入りの葉書は永久保存してありますよ

↑それ、なんか「> そんなに日本人が憎いか?」な人たちみたい(汗)
2017/05/05(金) 21:36:43 | URL | くろねき
ご指摘 真摯に受け止めます。
拝啓 ご指摘真摯に受け止めます。此処はあくまでごいんきょ様の場所、ご迷惑がかかる事は極力慎みます。確かに自分がもうさんざん荒らしまわっていた当時、まだ20代の頃は今日の様な日本各所の劣化や凋落は少なくても表面上は無かったと。今日大企業に余裕が無いといわれても、相も変わらず最高益を叩き出している。この余裕と言うのは何でもかんでも「銭金にならなければ何もやらない」と言う今日の悪しき慣習が当時は無かったと。特にこういった過去の資料の探索等、関東よりも関西の方がずっと良かった。関東は何しろ屁理屈が多く能書きが多すぎた。関西はカラッとしていましたね。自分の手紙の書き方とは、基本的には今も当時も何も変わらず、まず相手先の立場や都合を優先させ、返信用切手同封等当然極めて当たり前の話でした。だからこそ「過去これだけの資料も集まった」と。全て同じ対応でしたので後は相手先の問題ですね。すでにこうした関係から、数十年経過しても退職されても、年賀状交換等続いておりますから。おそらくはごいんきょ様や此処を訪れて下さる方々の中にも、同じ様なご苦労されていた方が必ずおられるはず。「良くも悪くも永久保存」は当然で、あくまで記録ですからね。何があっても廃棄はしませんし相手先からの削除要求にも応じません。シスコにしても、あれだけの画期的なコマ録りアニメという歴史的な作品を生み出し、半世紀経過しても覚えてくれているファンたちがいると言うこの事実を、一流企業としてもっとしっかりと受け止めて頂きたい。どうも全ての資料やフィルムはシスコに保管されているらしい旨、後は権利のクリアさえ出来れば、映像補正などは幾らでもどうにでもなりますね。一番始末が悪いのは、例えば「TBSの様に、必ず送らせて頂くわねぇーっ」なんてぇ実名で、生カセットや送料受け取っておいて数十年しらばっくれてる、某部署の某女性、お元気ですか?手書きに綺麗な文字で、、、、彼氏にもこういう対応しましたか? ウリウリ、、、、、人間最終的には誠意だと思うのですが。最後に「そんなに日本人が憎けりゃ日本で商売すんなよっ」てぇ言われても仕方無いと思うのですが。何か本国も大変そうで、、、自分は、お世話になった感謝は決して忘れない、しかし受けた恨みや屈辱も決して忘れません。例えば?このスレッドにある「ゲゲゲの鬼太郎 製作元の東映」も、本当に対応が良く、自分のしつこい馬鹿みたいな、面倒みきれない取材やインタビューに誠意で応えてくれましたね。自宅の壁に東映のポスター数十年貼っておきましたからねぇ。これが自分の誠意の表し方ですからね。 今回失礼致しました。 敬具
2017/05/06(土) 11:07:22 | URL | よしたかくん
● よしたかくんさん
なるほど。絵描き仲間同志の伝という事ですか。
黄金バットに関しては、加太こうじさんご自身が、かなり詳しく語り残していたかと思います。
加太さんが作った作品ではないですね。


● くろねきさん
ヲタク情報として広まっているのかは知りませんが、我々の父母世代は、通常、そんな話を知っているはずが無いのです。
森永のお菓子を手売りで買ってたというのも凄い話ですけどね。


● 権兵衛さん
かなり詳しい話をありがとうございます。
相当な手間がかかった事でしょう。
2017/06/06(火) 23:31:36 | URL | ごいんきょ
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