私的 昭和テレビ大全集
Google
Web全体から検索 当ブログ内 検索
総計
昨日  本日

09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -



空手三四郎 (1965)

該当番組画像募集

皆さんのコメントに返信をしない不義理が、もうかなり長くなってしまっています。
来年早々には元の形に戻せればと思っておりますが、改めましてお詫び申し上げます。
さてそんな中、8月にくらやみ五段のコメント欄で、
空手関係者の方から、この番組に関する問い合わせを頂いておりました。
ワタクシの大好物である、個々人と番組との結び付きが非常に詳しく書かれていた事もあり、
なんとかお知らせしようと思いつつ、惰性で月日が流れてしまい、申し訳なく思っております。
今回、この記事を読んで戴ければ、少なくとも現在の所は、
この番組に関して最も詳しい情報を得られると思いますので、
もしお読みでしたらその辺でお許し頂ければと存じます。
また、ご覧になっていた皆さんからのコメントもお待ちしております。



先に書いた『くらやみ五段』とまったく同時期の放送で、
これは柔道界と空手界、両方配慮したという事なんでしょうか?
もっとも、まだあの当時は、空手は柔道とは比べものにならぬ普及度の低さで、
テレビ番組どころか映画でもそうは見かけなかったと思いますし、
仮に見かけても、柔道のライバル役、すなわち、
身を持ち崩した飲んだくれの悪党用心棒みたいな描かれ方が多く、
そういう意味では、これは破格の番組でした。

舞台は大正時代、越中島の高等商船学校。
ウルトラセブンのキリヤマ隊長で後年活躍する、
中山昭二の演じる英語教師・正木伸之助は、
空手によって世の精神の立て直しを図ろうと励んでいた。
そんな彼の下には、永山一夫演じる細川半兵衛、安部正純演じる間垣五郎、
そして、沖縄出身で琉球空手の使い手、亀石征一郎演じる比嘉三四郎らが集っていた。
彼らが、空手を目の仇にする他派の悪党や、
時には空手を悪用する者らと対決していく物語でした。

三四郎に絡むコメディ・リリーフは石井伊吉当時の毒蝮三太夫で、
お互いに惹かれ合っているマドンナ役の加代が関みどり。
ただこのドラマ、タイトルや状況からして、空手の武勇談みたいな感じかと思うと、
主人公の三四郎は終始空手を私闘に使う事にためらいを感じており、
この辺、空手に乱暴なイメージが付いてしまう事にかなり配慮した感じが見受けられます。
ピストルにすら勝ってしまう手練れのナイフ投げの達人との対決では、
初戦は腕に負傷してしまった三四郎でしたが、再戦は何故か崖っぷちで、
自らも落ちそうになりながらも、最終的には相手を渦の中に沈めました。

物語終盤、丹沢という空手の達人が木場を乗っ取ろうと画策するのを、
宿命のライバルとも言える正木や三四郎らがなんとか止めようと必死になるのです。
その過程で丹沢に敗れた細川は、勝利に徹する非情の心に変わってしまい、
ついに正木らと丹沢の運命の対決。
しかし正にその時、関東をかの大地震が襲い、丹沢は崩れた木の下敷きとなるのでした。
この丹沢が使っていた必殺技が、龍虎卍、そして伏竜拳でした。
どんな技だったのかは、ちょっとわからないのですが。

そして、新しい技を極めた細川と三四郎の、龍虎最後の決戦。
かつての仲間である細川と戦う事になり、次々と敵ができる事に苦悩した三四郎は、
正木も師事する大禅禅師に教えを請い、戦いを避けぬ限り戦いは続くと悟ります。
細川の繰り出す技の数々を避け続ける三四郎。
最後、細川の空中での締めを脱し、背後に回って先に地面に落下させ、
なんとか空手を使わずに勝利した三四郎。
震災から細川が救っていた加代の元へと向かうのでした。
一時的に目が見えなかった加代を黙って助け出し、
医師には自分の名を三四郎と名乗っていた細川、あまりにカッコ良すぎる負け方でした。

この記事を書くにあたって検索してみたところ、稲門誠心会というページを見つけました。
そこの沿革を見ますに、早稲田大学当時のこちらの方々が、この番組に深く関わっていたようです。
おそらく学生の空手という教育的見地から、空手で勝つ事が格好いいという描き方にしなかったんでしょう。
くらやみ五段の方でコメントを下さった方も、ここの関係者の方なんでしょう。
8月現在もタイで師範をされているという事で、本当にネット時代の凄さを実感します。
そこで書かれている通り、主題歌は勝三四郎という人が歌ってました。
しかし、空手部の学生だったというのは、ネット時代だからこそ発掘された新情報でした。

関連記事


◆◆ 関連記事 ◆◆

Loading...

[猫カフェ]futaha



この記事を読んでくださった方へ

この記事を読んだよ~という方、できれば下のコメント欄からコメント下さい。
ご自身の想い出、この記事への感想、情報、なんでも結構です。
記事や最終コメントの日付は関係ありません。
あなたのコメントがこの記事に再びの息吹を下さるのです。
トラックバック受付アドレスは、コメント欄の下にあります。
コメント
この記事へ寄せられたコメント
♪からァ手ェ 磨いてェ~ 己をォ~つ~くりィ~
 時勢~ 待とうぜェ~ さんんしィろォお~~

当家の秘蔵(?)のCDに収録されている『空手三四郎』のテーマです。
ただ、そのCDがどこかに行ってしまいました(もはや秘蔵じゃないですね)。そのため、記憶に頼って上記のような「サビ」のみの紹介となりました。

ただし、残念ながら、映像とは一度もお目にかかったことがありませんが、最後の「対決」のシーンが、「見どころ」だと聞いております。
東映の作品ですから、どこかにフィルムが残っているのでは、と思うのですが…。

おじゃましました。
2010/02/09(火) 22:39:11 | URL | (ハンドル未記入)
ハンドル未記入は私です
上記のネタは私・甚六です。
…失礼致しました。
2010/02/09(火) 22:43:13 | URL | 甚六
勝三四郎さんが歌っていた例の主題歌ですね。
CSで発掘して欲しい作品です。
2010/02/11(木) 11:16:42 | URL | ごいんきょ
助監督してました
懐かしい!!
私はこの番組の助監督してました
まだ20代の頃、もう50年も経って
しまったのですね
この番組の打ち上げは浅草の
どじょう屋飯田屋でやりました
毒蝮さんが友人の談志さんを呼んできて、最初はいろいろ盛り上げていたのですが、次第に悪酔いしてきてめちゃくちゃやりだして
中山昭二さんが怒ったのを覚えて
います。
ロケは川越、谷中墓地、井の頭公園が多かったですね
2014/03/17(月) 16:56:47 | URL | 赤猫
これはこれは、わざわざ貴重なお話をお聞かせ下さいましてありがとうございます。
飯田屋さん、ワタクシも行った事ございます。
当時とはかなり店構えも変わっているでしょうがねえ。

談志さん、いろんな所に出張るなあ(笑)。
その目茶苦茶も、その時は不愉快に思った人もいるのでしょうが、
こうして幾多の時を過ぎると、笑える想い出になっているのだろうと思います。

川越、当時は本当に何も無かったのでしょうね。
2014/03/17(月) 23:12:28 | URL | ごいんきょ
川越
先日 上京した折
川越に行ってきました
「空手三四郎」でよくロケした
喜多院裏の遊郭街は跡形も無く
閑静な住宅街となっていました
よく行った鰻屋さんは健在で
立派な店になっていました
2014/04/16(水) 20:13:02 | URL | 赤猫
川越大師あたりですか。
たしかに絵になりそうな感じですねえ。
遊郭がその頃も有ったなんて。
絵面もぜひ見たいですね。
CSでなんとか放送してくれないかな。
2014/04/17(木) 00:21:25 | URL | ごいんきょ
↑
コメントを投稿する
HP
アドレス:
コメント:
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL

この記事へのトラックバック
↑
レンタルCGI
管理者用
ブログパーツ