私的 昭和テレビ大全集
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軍兵衛目安箱 (1971)

該当番組画像募集
大坂万博特需を超え、カラーTVが完全に一般普及した1970年代。
テレビ番組はほぼ全てがカラー放送となり、番組も新時代に呼応して、
新たな鼓動を刻み始めていきます。
1970年は、ホームドラマ系の名作が目白押しでした。
明くる1971年は、時代劇の方で新しい波が次々と押し寄せたのでした。
筆頭は、最後の大物と称された、三船敏郎の連続TVドラマ初出演。
他にも天下御免や天皇の世紀を始めとした意欲作が続々とブラウン管を賑わし、
その胎動は翌年、木枯らし紋次郎や必殺仕掛人へと繋がっていくのですが、
そんな今では考えられぬ若々しさを見せていたテレビ時代劇に、
三船敏郎の他にもう一人、大物俳優が参戦してきたのも1971年でした。

片岡千恵蔵。
戦前から戦後を通じての、日本人ならその名を知らぬ者の無かった大時代劇俳優。
東映の設立にすら関わった、映画界の超大物中の大物も時代の波には抗しきれず、
ついに連続テレビドラマ初出演となったのでした。
当時 67、8という齢であったものの、大功労者の初登場に東映は勿論、主演作を用意。
それがこの軍兵衛目安箱で、脚本はNETのテレビ時代劇に無くてはならぬ傑物、
結束信二が一手に引き受け、短めのシリーズながら逸品ぞろいの珠玉作となってます。
脇には若山富三郎という異才が、風来坊的助っ人、伴大五郎として時折参戦し、
千恵蔵のテレビ初主演を豪華に盛り上げていました。

目安箱とはなんぞやと申しますに、かの暴れん坊将軍・徳川吉宗公が設置させたという、
庶民の不満、要望に将軍自ら目を通すという、吉宗公を名君たらしめた制度です。
しかしこの目安箱からもこぼれてしまい、取り上げられなかった庶民の涙を
老中・大久保加賀守の家臣である黒田軍兵衛が掬い取り、
自ら事の解決にあたるというのがこの物語で、上手く虚実曖昧の魅力を醸し出しました。
目安箱は吉宗自らが開けて見ていたという表向きの話なのですが、
実は必ずしもそんな事もなかったんじゃないかという、ちょっと穿った観点を、
結束信二が流石の技で上手く痛快娯楽時代劇に仕上げたものです。

本来は、直訴は御法度。
天皇や将軍に直接お伺い事をするなど、世が世であれば打ち首・獄門です。
例えば外国要人であろうが、将軍や、特に天皇にいきなり誰それと会ってくれなどという不条理、
無礼は絶対に許されない。そういう厳とした規範が、これまでの日本社会には有ったのです。
そんな中で、庶民に将軍への意見を言える方法を考えたところで吉宗が賞賛されたわけですが、
それでも将軍に直訴をしようとする、家を騙し取られそうな若後家と使用人を見つけた軍兵衛、
まずは目安箱にその旨を書いて投函せよと促しておいて、その者たちに力を貸すという話も有りました。
いきなり会おう、会わせようなどという無礼をしたら、どうなっても庇いようが無いという事ですね。
当作でもオリジナルの観点、多様な物語性を結実させていた結束信二。
その名を知る人は一般には多くないでしょうが、不世出の名時代劇脚本家でありました。
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