私的 昭和テレビ大全集
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日本レコード大賞 (1959)

レコード大賞

モデラートさんにリクエストされて、今年の年末にやりますと言ったこと、忘れてません(笑)。



アメリカで今も権威あるであろうビッグ・アウォード、グラミー賞。
その設立の報が流れた時、日本の音楽界もそれに負けない賞を選定しよう、
との機運が高まったとされます。
60年代前夜、折しもアメリカン・ポップスが日本の歌謡界を浸食。
それに重鎮たちが文化的な危機感を抱いたのでしょう。
丁度、川内康範が外国ドラマの氾濫に対抗して国産テレビ映画に乗り出したのと
時期的には同じと言って良い頃で、文化考察的に興味深いものが有ります。

それ故、対象曲は国産の歌に限定。
この縛りがある為に、西城秀樹のヤングマンだの、岩崎宏美の聖母たちのララバイなどが、
売り上げや注目度から本来は大賞候補曲とされながら、俎上にも載りませんでした。
あれほど歌謡界を賑わしたザ・ピーナッツなども、
洋楽をよく歌っていたイメージからか、ほとんど無視されています。
また、彼女らの全盛期はまだこの賞にそこまでの権威も無く、
本人も事務所も、本気で狙いに行ってなかったのでしょう。

当初レコード業界の反発はかなりのものだったらしく、
ビクター以外に賛意が得られないというスタート。
曲にランク付けするという事に日本では非常に拒否反応が根強く、
やはりTBSが歌謡曲ベストテンという番組を創ろうとした時にも同様の抵抗に遭い、
結局真のランキング番組は、後のザ・ベストテンまで待たねばなりませんでした。
それでも、古賀政男、吉田正、服部良一という歌謡曲界の三巨頭が足並みを揃えたので、
なんとか年を重ねられたんだろうと思います。

それは放送局も然りで、業界の反発を怖れてか、意外にも初期は、どこも放送に尻込み。
KRテレビ当時のTBSがそんな中で放送を担当。ラジオとの併局だった故に、
他局が気にしなかったレコード音楽の重要さに気付いたようです。
KRTがほとんどを持ち、他にレコード各社、雑誌「平凡」「明星」で協賛、
その協賛金は東郷青児作の大賞盾でほとんど消えたと言います。

当初はまったく業界からも、何より一般人からそれほど振り返られないもので、
視聴率もそんなに高いものではありませんでしたし、
放送日も年度によってまちまちで、放送時間も昼間だったりしました。
それが十年を迎えたあたりからTBSも大々的に番組として盛り上げ始め、
放送日も大晦日にすると、紅白歌合戦との相乗効果か視聴率が飛躍的にアップ。
一気に国民的音楽賞へとなっていくのでした。
司会の高橋圭三も忘れられません。

ワタクシの記憶に残るレコ大は、おそらく菅原洋一の今日でお別れあたりからで、
これは多分、同じような方が多いのではないかと思います。
レコ大十年を記念してTBSが特番を放送し、それはVTRも残っていますけど、
おそらくそれで知名度が上がったのかもしれません。
ウィキペディアに載っている歴代視聴率を見ると、
第11回からいきなり30%を超えており、それはワタクシの記憶とも大体符合します。
第11回から放送も大晦日になり、みんなが注目しだしたのですね。
我が家も前から見ていたのかは知りませんが、ワタクシは12回から覚えております。

しかし、鮮烈な記憶としての最初という事になりますと、
なんと言ってもその翌年の尾崎紀世彦で、これも同意される方が多いと思います。
あの圧倒的な歌唱、独特の風貌。いろんな意味でインパクトのある受賞でした。
歌は、マンダム男の世界のパクリですけどね(苦笑)。
この頃から、子供達の世界でもレコ大は年末の話題の的。
誰が受賞するかの予想を侃々諤々、一丁前にやっておりましたっけ。

個人的な記憶を書きますと、昭和48年は忘れられません。
初めて年越しの夜更かしをした年で、近所の神社に深夜0時過ぎに初詣。
猫の額のような境内では毎年かがり火をしており、町内の人間が集まって、
振る舞いの甘酒など口にしながら、レコ大や紅白の話題などで盛り上がりました。
甘酒はあまりの不味さに一口で失敬しましたが(笑)、
そこにもう一人、紅白歌のベストテンの稿で書いた当時の親友みたいな奴も来て、
レコード大賞は五木ひろしだったな、なんて話を切り出しましたっけ。

思えばあの頃が、我々視聴者もレコード大賞という番組も、最も幸せな頃だったんでしょう。
翌年はライバル森進一の襟裳岬。
顔触れも曲目も違和感なく、ああ大賞だなと見られたものでした。
それが少し違和感を覚えたのが、ピンクレディーのUFO受賞の時で、
バリバリのアイドル歌手が、子供みたいな歌であの賞を受賞したのは、
子供にとっては、実は幻滅でした。
それでも翌年からまた少し大人の歌が盛り返してくれるのですが、
中森明菜、近藤真彦らが幅を利かせるようになって、ワタクシから見て賞の権威も矮小化。
以後は音楽界の構造不況の波とシンクロして、この賞も廃れていく一方でした。

当初は尻込みしていたという他局も、レコ大が盛り上がってくると
TBSの独占放送に反発し、TBS以外で寄り集まって団体を設立。
日本歌謡大賞という賞を設定して、年末賞レースといわれる、
馬鹿馬鹿しい喧噪がスタートする事になるのですが、それはまたその番組の時に。
もっともレコ大そのものも、認知度が上がってくると賞取り合戦が熾烈化。
特に演歌勢と呼ばれる層は、お互いのプライドから対抗意識が強く、
五木 対 森、五木 対 八代亜紀は年末の賞レースでいつも騒がれてました。

その過程で、黒い噂も絶えずチラホラ。
ウインクが受賞した際にはそれも頂点に達し、年々世間の批判も強くなる一方。
賞取り合戦への批判と、それに構造的な音楽不況のダブルパンチを喰らい、
他のごった返していた賞の数々は、軒並み歌謡史の闇に消えていきました。
そんな中、紆余曲折は有りながらも老舗レコード大賞は健在。
今後も抜本的な改革はしつつ、歴史を刻んでいって欲しい賞ではあります。
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コメント
この記事へ寄せられたコメント
最近のレコ大は
権威が無いと言われておりますが
紅白とレコ大は
年末に欠かせない番組です。

でも、ここ最近は受賞アーティストが
偏り過ぎているなぁ。

昔のレコ大は某動画サイトなんかでも
名場面が出ていたりしますが
それを見ると今のレコ大が
つまらなく感じるんです。

年末独特の緊迫感と相まって
緊張状態の歌手が懸命に歌う姿が
今、ほとんど見られないのは
時間が長い為でしょうか?

一時期、新人賞などは
審査投票結果を実況しながら発表と
見ている視聴者も納得する演出で
さぞかし楽しく見られていたのだろうと
羨ましく思います。

出来る事ならタイムスリップして
昔の7時[レコ大]から9時[紅白]を
見るワクワクを味わいたいものです。

2009/12/31(木) 00:48:19 | URL | テレビマニアな30代
私は「また逢う日まで」から
 私は昭和46年の「また逢う日まで」からの記憶があります。幼稚園児にも人気の歌でした。何度もあちらこちらで書いていますが、私は
「♪あの時 心は何かを」
の部分を
「♪あの時 心 曲がり角」
と歌っていました‥‥(^^ゞ

 私も昭和48年は、初めて最初から最後まで見ました。私が本格的に歌謡曲に目覚めた年で、TVのイヤホン・ジャックにテープレコーダーからのコードを差し込んで、録音していました。この年のノミネート作品は、どれも印象的です。

 海援隊の「母に捧げるバラード」が何かの賞を受賞して、歌詞(セリフ?)の
「♪日本の輝く星となって帰って来い」
の部分を
「♪輝く日本レコード大賞を取って来い」
と変えて歌い、会場の喝采を受けていたのが印象に残っています。

 あの頃は、歌手のみなさんの『レコード大賞』の会場(武道館?)と『紅白』の会場のNHKホールとの移動も話題になりましたネ。

 昭和54('79)年からは、自作自演のニューミュージック勢の台頭が無視できなくなり、「ベストアルバム賞」が創設されたことも記憶にあります。55年には、YMOの3人と山下達郎さんがステージに並び立ち、なにやら談笑していたのが印象的でした。(長渕剛さんは欠席)
私は「職業作家による作品と歌手」という構図から、「自作自演」へと若者音楽の制作過程の変化していることも、こういった権威的な賞への反発を招いているように感じます。
2009/12/31(木) 01:19:14 | URL | 自由人大佐
ありがとうございます。
ブルーコメッツの「ブルーシャトー」辺りから、年末になるとどの曲がレコード大賞になるのか楽しみにしたと思います。

が番組の記憶があるのは、佐良直美さんが大賞になった年くらいからです。
有力な演歌歌手の方がいる中で、わりと地味に歌っていた感じの佐良さんが大賞に決まったとき、姉と抱き合って喜んでしまいました。別に特別佐良さんのファンではなかったのですが。

尾崎紀世彦さん、ちあきなおみさん、布施明さん・・、まさに大賞という歌が懐かしいです。

「はいはいはいはい、嬉しい嬉しい嬉しい・・と言いながら歌手の方に近づいていく高橋圭三さん」の物真似すると、家ではうけていました(笑)。
2009/12/31(木) 12:46:22 | URL | モデラート
おーーーらぁ,にぃーぬまだぁ!
森光子に角川博と紹介されたときの新沼謙二のコメント,みなさんも覚えていらっしゃいますね。
レコード大賞に対する記憶,だいたい同じであります。
2009/12/31(木) 16:28:57 | URL | いくちゃん
TBSの「レコ大」独占の理由
「レコード大賞(レコ大)」は今でこそTBSの番組ですが、昔は他局も「レコ大」を取り上げていました。一例として、フジの『スター千一夜』では必ず「おめでとう!レコード大賞」と銘打って、受賞歌手をゲストに呼んでいました。それというのも、1968年までは12月の上~中旬にレコ大の選考会が開かれ、即日発表されました。そして各局の歌番組でも必ず取り上げられました。一方、受賞者達は「受賞発表音楽会(於・共立講堂など)」で表彰され、その模様がTBS系で毎年年末の午後に放送されていました。

ところが、1969年の秋になってTBSは「レコード大賞を、もっとショーアップした構成にしたい。よって今年は、12月31日に放送している『オールスター大行進』の枠で、レコ大を生放送し、その時間内で受賞者選考も行いたい」と、ブチ上げたのでした。
TBS側は「とりあえず1969年はTBS系で生放送します」とは言ったものの、それ以降は「各局さんとも協議の上で…」と曖昧な返事に終始します。

これに激怒したのが、日テレ、フジ、NET、東京12chの各局でした。「生放送はともかく、なぜTBSが一番手で担当するのか」で揉めました。「今まで、各局公平に扱ってきたレコ大が、これではTBSが半ば『独占』する事になるではないか」の声にも、TBSは「とりあえず、最初はウチで…」という姿勢を崩しませんでした。

そして、1969年の暮れ、TBSを除く在京テレビ4局、ラジオ3局は共同声明を発表します。
「もはやTBSの独占番組となった『レコード大賞』について、今後我々は一切報道しないことに致しました」と。

ここに、「レコード大賞」はTBS系単独の音楽賞となりました。一方、それ以外の局は、翌1970年に共同で「日本歌謡大賞」を創設。各局持ち回りで生放送する事に相成りました。

では、なぜTBSは「生放送」に執着したのでしょうか?あくまで憶測ですが、大賞発表から自局での「受賞発表音楽会」までの間に、TBS以外の各局が続々とレコ大ネタを取り上げるため、肝心の「発表音楽会」の頃にはすっかり鮮度が落ちてしまい、「番組としての意味を持たなくなってしまった」と判断したのではないか…と考えられます。

また、余談ですが、「日本歌謡大賞」の創設が、いわゆる「各局独自の音楽賞・音楽祭」が乱立するきっかけになった、とも言われています。
2009/12/31(木) 17:09:40 | URL | 甚六
おいらまで間違えた
新沼謙二じゃなくて,新沼謙治ね。
2009/12/31(木) 19:56:57 | URL | いくちゃん
● テレビマニアな30代さん
昭和当時と今の最大の違いは、歌手達の真剣さじゃないでしょうか。
賞に権威を求めるのをせせら笑うのが正しいみたいな風潮が、
ついに王道になってしまっていると思います。
でも、他人の良い評価を求める(ために努力する)というのは、
実は人間が成長する為にとても大事な事であって、
そういう事を否定するようになって、日常的な道徳も破壊されていると思います。
昔の歌手の人たちは、自分のため、自分を支えてくれている人たちのため、
それこそ血みどろでしたよね。
ま、その結果、非道徳的な事もしていたんでしょうが(笑)。
翻って、平成の「アーティスト」たちがそんな心持ちとはとても思えませんし、
真剣でないイベントを見ていても、そりゃ面白く感じないでしょう。

やはり1960、70年代は、レコ大から紅白の流れこそ大晦日って感じでしたし、
そういう風物詩が無くなっていく人心と、
季節感が無くなっていく季候とがシンクロしているかのようですが、
そういう事ってもしかしたら偶然じゃないのかもしれませんね。


● 大佐殿
尾崎さんのまた逢う日までは、記憶に残りやすい曲、風貌でしたからね。
ワタクシは、「あの時、心、罠に顔~」?とか聞いてました(笑)。
区切って歌われると、別の単語に聞こえちゃいますよね。

しかし、昭和48年って大佐殿まだ小学校低学年でしょ。
それでイヤホンジャックから録音してたって、ちょっと凄いと思うんですけど。
ワタクシなんぞ中学生でも、マイクをテレビに近づけて、
家族に「静かにしろよ!」とかやりながら録音してたのに(苦笑)。

あー、鉄矢さん、やってたかも。
紅白ではいろんな歌手がよく歌詞を替えてましたけど、
レコ大ではあまり例が無いんじゃないかな。

ベストアルバム賞では、氷室京介さんが出演したのが素晴らしかったです。
あのアルバムは本当に良い出来でしたし、本人もそれを評価されたのが嬉しかったのか、
ほとんどTVに出演しない人が賞番組に出て、意外な光景でもありました。
さすがのパフォーマンスでしたね。

自作自演については、昔の加山さんとかそんな意識は無かったでしょうし、
単に世情が豊かになってひねくれ者が増えただけだと思いますけどね。
表現者にはそんなひねくれた視点も有用だったりするからややこしいんですが。


● モデラートさん
たしかにワタクシも、ブルーシャトーの頃から、レコード大賞という名称をチラホラ聞いた気がします。
でも、受賞シーンは記憶に無いし、当時の視聴率を考えても、見ていなかったんでしょう。

視聴率が飛躍的にアップしたのが佐良さん受賞回からで、
正にモデラートさんのお宅も、その時からご覧になったのでしょうね。
ワタクシも多分見たとは思うのですが、記憶に残っていません。
40年代後半は、人も歌も豊富でしたよねえ。

圭三さんのセリフ(笑)、受賞歌手の人が泣いちゃって言葉にならないのをフォローしてるんですね。


● いくちゃんちゃん
それ、たしか森さんでしたか、新沼さんの名前を間違って言っちゃったんですよね。
それで「お、おらぁ新沼だ」って(笑)。
よく迷場面として使われるので、お馴染みのシーンです。


● 甚六さん
レコード大賞のいきさつについて、ワタクシはTBS側の言い分しかわからないのですが、
それによれば、最初にお金を一番出していたのはTBSで、
他局はほとんど知らんぷりのように感じますし、仕方ないかなと思います。
と言うか、三大作曲家の人たちが言い出しっぺなのに、
なんでもっと出版社・放送局間の調整を考えなかったのかなと、不思議に思います。
そこをきちんとやらなかったから、グラミー賞とは雲泥の差になってるのではないでしょうか。
その後の賞濫立に至っては、自分達で自分達の首を絞めるような様相でした。
音楽界がどんどん衰退したのも当たり前です。
2010/01/05(火) 13:46:55 | URL | ごいんきょ
昭和48年の新人賞矢吹健さん
矢吹健さんのお母さんと実家の婆ちゃんが親しくしていました。お互いの家も徒歩3分位で金子(健さんの本名)のおばちゃんはよく私の家に来てました。健さんのお母さんは当時、スナック(今のおばちゃんママさんがやっているカラオケスナックではなく、夜はお酒の飲める軽食の充実した喫茶店のような店)を経営していておやつにナポリタンを持って来てくれました。おばちゃん、健さんのお兄さんもすごく良い人でした。話は前後しますが、うちの婆ちゃんが「健ちゃん(本名は忘れました。)最近テレビに出ないけど大丈夫かい?」と話を振ると「テレビに出るよりドサまわりのほうが身入りがいいのよ。仕送りも新人賞の頃より今のほうが断然多い。」と言ってました。金子さんのお家も区画整理に引っ掛かり、どこかへ引っ越してしまいました。元気でやっているかなあ。子供の頃は矢吹健の歌は全く理解出来ませんでしたが今になって動画サイトで拝見し、その世界を堪能しています。
2013/01/04(金) 23:49:16 | URL | とらお
♪ あなたあなたあなたあなたあーなぁた~~
どうしてああなった どうしてああなったみたいな歌ですよね(笑)。

テレビへの露出が減ると、売れなくなったという認識をされてしまうので、
昔のタレントさんはテレビに露出される事を一生懸命に考えてましたね。
ドサ周り云々も、実際の収入は良かったのかもしれないですけど、
やはりうらぶれた感じは否めなかったんじゃないかな。
2013/01/06(日) 08:10:19 | URL | ごいんきょ
昨年の放送は、長いこと総合司会を担当して来たマチャアキこと堺正章が「卒業」し、サブ司会だった安住紳一郎アナがメインに。女性司会者は新垣結衣でした。恐らく紅白の紅組司会の堀北真希に対抗しての起用でしょう。
本年も宜しくお願い申し上げます。
2013/01/06(日) 23:50:57 | URL | ナベチン
ライバル歌謡大賞も無くなったし、レコ大ももう、いいんじゃないかな。
売り上げ上位が、AKBとジャニーズの独占でしょう。
日本の文化的未熟さを称えてどうするんだって感じですよ。

「該当者なし」

こういう年を設けるべきです。
2013/01/07(月) 00:50:55 | URL | ごいんきょ
最近は、結果を新聞で知るのみ
おっしゃるとおりであります。
2013/01/07(月) 17:09:16 | URL | いくちゃん
「レコード大賞」ってネーミングも。。。
私も昭和46年の「また逢う日まで」くらいから記憶があるかな~
次の年の「喝采」はあんまり記憶にないんですけど、その次の「夜空」以降は欠かさず観てました。
ただごいんきょ様同様、「UFO」が取ったくらいから違和感が・・・

記事にもあったとおり、外国曲は選考からはずれる・・・という規定があったはずなのに、石井明美の「CHA-CHA-CHA」が最優秀新人賞を取ったことにも納得いかなかった記憶があります・・・TBS系ドラマ「男女7人夏物語」の主題歌だったからですよね(*_*)

レコード大賞ってネーミングも、今となっては、ある意味時代錯誤なのかもですね。。。うちの子供たちはおそらく、レコードの実物みたことないと思うし。
でも「CD大賞」じゃ、全くさまにならない感じですが(^_^;)
2013/05/10(金) 21:41:55 | URL | ほけみん
レコード大賞も見直しの時期に
昭和の末期から、だんだんうさん臭くなりつつあったレコード大賞も、かろうじて、昭和最後の年(大賞は光GENJIの「パラダイス銀河」)までは、賞の意味を感じさせました。

ところが、平成になってから、「なんでこの曲が」とおもうような曲が大賞をとることが多いです。

中でも最大の愚行は、レコード大賞を「ポップス部門」と「演歌部門」に分割したことで、これによってますます賞の重みが希薄になってしまい、なにより、こうまでして演歌にレコード大賞をやりたいのかとおもいました。

年によっては、年間で一番売れた曲が大賞になることもあって、理にかなっていることもありましたが、同じ人が2年も3年も連続して賞をとったり、特定のレコード会社やプロダクションが賞をとるなど、見るからにご都合主義的な受賞になってます。

「レコード大賞」という名前も、今の時代には合わないですが、「レコード盤だけでなく、記録(record)という意味もある」という、なんともこじつけのような言い訳をしている人がいました。

個人的には、もうレコード大賞に感動しないですが、それでも残したいなら、もう全面的にシステムを見直すしかないですね。
2013/05/12(日) 22:05:46 | URL | 10000k
● ほけみんさん
やはり1970年早々からが、一大全盛時でしたよね。
え? CHA-CHA-CHAって新人賞でしたっけ。
そう言えば石井明美さん出てた気がするな。
まあ、古賀先生、服部先生ら初期の重鎮も一線を引いていて、
局側のやりたい放題になっていったんでしょうね。
その昔は、ディスク大賞と呼んでいる所も有ったんですが。
それなら今でも通じますかね。もうDLの方が影響力あるかな。


● 10000kさん
光GENJIの受賞に意味が有ったのかな(苦笑)。
おニャン子と光GENJIにより、日本の歌謡曲はしばらく瀕死の死に体となりました。
ですが、すぐにバンドブームが起きて盛り返し、CD普及とも合わせてミリオン時代に。
と思っていたら、ジャニーズ勢が以前にも増して増殖し、
おニャン子も更に歌わないという形で甦るという昨年で、
またしても日本の歌謡曲は瀕死の状態を迎えているわけです。
あんな連中を庇護しようとする政治家は、日本文化の敵ですよ。

さて、TBSのレコード大賞ですけど、幾多の批判を経て、
今ではセールスで決める賞も出来てますしね。
まあ潮時ではあるかもしれませんが、ここが堪え所なのかもしれません。
いずれにせよ、思想がなければワタクシは支持しませんが。
2013/05/12(日) 22:36:01 | URL | ごいんきょ
ディスク大賞
なるほど、ディスク大賞なら理にかなった名前かもしれないですね。

でも、CD大賞よりは風格のありそうな名前だけど、あまり語感のよくない名前ですね。

今や、音楽購入の主流はDLだから、ものにこだわらずに、「ソング・オブ・ザ・イヤー」とか、「ミュージック・オブ・ザ・イヤー」という名前にしてもいいかもしれないですね。
2013/05/13(月) 19:50:40 | URL | 10000k
今年は安住アナと上戸彩が総合司会、サブ司会に枡田アナとみのもんたのセクハラの毒牙にかかったことで有名になった吉田アナ。大賞はEXILE。カメラはたびたび上戸彩を抜く下世話っぷり(笑)。因みに大賞発表は昨年までの服部克久氏ではなく安住アナ。これは恐らく昨年の「これが現在の音楽界の実状です。大賞はAKB48…」の服部氏のスピーチが何らかの問題になったのだろうと推測出来ます(笑)まあとにかく、レコ大はもう要りません。
2013/12/30(月) 22:07:42 | URL | ナベチン
● 10000kさん
媒体での貢献を称えた賞ですから、ソングとかミュージックではそぐわないですよね。
それに、そんな名称でAKBだのEXILEじゃ、それこそ存在価値無いでしょう(笑)。
いろいろ考えてみましたが、一銭にもならないのに馬鹿馬鹿しいのでやめました(笑)。
レコードでいいんじゃないですか。「記録物」すべて通りますでしょ。


● ナベチンさん
AKB、EXILE、ジャニーズ連…
「レコード」が売れればいいのだったら、誰か動物の鳴き声のレコードで当てて、大賞を取って欲しいな(笑)。
そういう事ですからね。
2013/12/31(火) 00:15:38 | URL | ごいんきょ
新参者からご挨拶
拝啓今後とも勉強させて頂きます。皆様ご承知と思われますが、レコード大賞と言えば「一年で一番音楽に銭金がかかっている祭典」と。自分は歌手より何より「バックバンドと指揮者とアレンジ」に興味関心がありました。初めて観始めたのは1970年頃からですが、まず「バックバンド=オーケストラの編成の大きさ」でした。通常のジャズのフルバンドの15人程度に加え、ストリングスやパーカッション、更にはフルートオーボエ等のウィンド木管セクション合わせて40人弱はいたはず。更にバッキングコーラスまであわせると相当な人数でしたね。指揮者はご存知の「長洲忠彦さん」でした。この人は元々東芝のクラシック関連の人でしたが、TBSのみでこうしたポップスの指揮やアレンジを古くからしていましたね。何時も白いタキシードと「クラシック的な指揮棒持った端正な指揮」が特徴でした。しかも和製ポップスからど演歌までこのスタイルで押し通したのです。アレンジもこの後「古賀正雄記念大賞、東京音楽祭世界大会」などでも全て指揮していましたね。バックバンドもこの当時は「高橋達也&東京ユニオン、宮間俊之&ニューハード」等の最高のフルバンドが活躍し、ストリングス等は「新音楽協会やザベストアンサンブル」等が担当していました。この新音楽協会やベスト何某とは、いわば器楽奏者を提供している団体で、まぁそのつど寄せ集めでプレーヤーを提供している団体です、今も一部形を代えて存続しているものもあります。この当時はとにかく「生バンド全盛」の時代で、まぁ信じられない程にバンドが多かった。今日では本当に少なくなってしまい、かなり大きな祭典でも「どしらばっくれてのカラオケ」で心底馬鹿にしている。生バンド無くして歌番などありえません。ここらへんに現在の「銭金節約と言うか変な言い訳の下」まかりとおっているのは腹がたちますね。こういうていたらくだから「銭金の問題を引き起こす」のです。もう一度原点に立ち返り、音楽を愛してお客様に届けるというミッションを実行して欲しいですね。
2017/03/13(月) 15:53:40 | URL | よしたかくん
あの頃は
2000年より前は大晦日の6:00~8:54でこのあとNHKに回し終わると「あみだくじ」をして見ることをしていました。(これは’84~’89で民放が共通だったこともあってか。)今は12月30日ON AIR.です。
2017/03/15(水) 10:49:14 | URL | クッキーモンスター
● よしたかくんさん
カラオケというもので全てが済むようになり、お金の掛かるバンドはテレビから消えていきました。
それでダン池田さんなんかも酷い仕打ちを受けるようになり、切れて暴露本を出したという(笑)。
そこまでバンドを見ていた人は、やはり音楽関係者の方だけでしょう。
当時の方がもし読まれたら、とても嬉しいコメントではないかと思います。


● クッキーモンスターさん
あみだくじ?
あちこちチャンネルを替えるという事ですかね。
2017/03/16(木) 06:54:17 | URL | ごいんきょ
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