私的 昭和テレビ大全集
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紅白歌合戦をぶっとばせ! (1975)

該当番組画像募集
視聴率70%は当たり前だった時代の紅白歌合戦。
その当時の裏番組にどんなものが有って、そちらを見ていたというへそ曲がりは、
どれほどいらっしゃるのでしょうか(笑)。
へそ曲がりでは人後に落ちぬワタクシです故、無論、
紅白歌合戦を日本中で見ている様相に疑問を覚え、
そうではない自分を模索しようとした青春の蹉跌も経験しております。
そんな大仰なもんじゃないか(笑)。

ま。その最初は、実は父親方面からでありまして、
紅白を落選した美空ひばりを押し立てたNETの『歌は我が命』、
これを大のひばりファンだった彼の意向で、我が家もチェック。
1974年当時ですから、新御三家と中三トリオが初めて揃い踏みした、
正に紅白絶好調のその時で、それを蹴ってひばりを見た我が家も筋金入りです。
翌年はワタクシの方で、見たい裏番組が出て参りました。それこそが表題作、
コント55号の紅白歌合戦をぶっとばせ! なんてことするの? でした。

歌は我が命の方を見ようなんてするのは、筋金入りのひばりファンくらいで、
世間一般には、美空ひばりがワンマンショーを裏でやっても影響は無し。
ところがコント55号、萩本欽一がアンチ紅白をぶち上げたのは、
その後も含めて、かなりの影響を及ぼしました。
それまで、紅白歌合戦はラジオ時代からの国民的行事として、
他の民放は戦わずして白旗状態。映画を放送したりするのが当たり前の感覚で、
NETだの東京12チャンネルだのの新興局が、当時としては一流としても、
アドリブ主体の今の芸人ではないお笑いを集めての、
ちょっと寂れた感じのお笑い特番を組むというのが限界でした。

それが1975年、萩本欽一がマスコミ相手に真っ向からアンチ紅白をぶちかまし、
裏でコント55号の特番を組むと宣言したのは、テレビ史的に転換点となりました。
それまで、そんな真っ向から紅白に喧嘩を売った人間も局も有りませんでしたから、
大晦日は紅白歌合戦を見るのが当たり前、という感覚に、
制作側すらも含めた日本人がいつの間にか陥っていたのを、
ガーンと後ろから頭をぶっ叩かれたような衝撃を覚えました。
大晦日に紅白歌合戦じゃない番組を見る選択肢ができる。
こう目覚めた層は少なからずいたはずで、
この番組はなかなか画期的な視聴率だったはずです。

それも当時の事とて、たしか二桁も行ってないとは思いますけどね。
それでも二桁に肉薄したとかで騒がれた気がします。
しかしワタクシが思うに、数字以上に、先に書いた感覚に目覚めさせた意義の方が大きく、
以後は全ての民放で積極的に対紅白の番組を模索、開拓。
対照的に紅白の方は、音楽界の構造的問題、日本そのものの構造的問題も絡み、
年々歳々視聴率という数字も、出演者の質の方も、落ちていく一方。
構造的な理由が大きいとは言え、端緒、切っ掛けは、
あの萩本の宣言に有ったとワタクシは考えているのです。

なぜ萩本が紅白、つまりNHKを真っ向敵に回したか。
そう。紅白に真っ向から反旗を翻すという事は、
すなわち大NHKに刃を向ける事になるからこそ、誰にもできなかったのです。
事実、コント55号も、同じく紅白に反旗を翻す事になるピンク・レディーも、
以後NHKとの仲はしばらく疎遠となります。
さて、萩本が当時コメントしたところによりますと、
コント55号も応援で紅白に出演したりしていたので、
年末のスケジュールは開けておかなくてはいけない。
それなのに出演要請が無いと、そこがぽっかり空いてしまうので、もう出ない、
という事だったと思います。

表向きのコメントはそのようなものでしたし、それが大きな理由でもありましょうが、
ワタクシはもう少し考察を加えてみたいです。
1974年、坂上二郎は『学校の先生』というヒット曲を出します。
しかし、或いはと期待された1975年の紅白には袖にされました。
それまで散々、ただの応援の為に忙しいスケジュールを都合して協力していたのに、
それは無情すぎないかと、萩本が感じたのではないでしょうか。
坂上二郎は本来歌手志望の人で、紅白歌合戦出場は夢だったはずです。
加えて当時の日テレには、渡辺プロに反旗を翻した硬骨漢も上層部におり、
局としての打倒NHK、打倒紅白への確固たる意志が固められてもいたのでしょう。
だからこそ、55号で始めたアンチ紅白路線を、自局スター誕生!出身の
ビッグアイドルであるピンク・レディーを使って発展させたのでしょう。

その番組内容ですが、意気込みとは裏腹に、非常にダラダラとしたもので、
ワタクシは物凄く落胆したのを覚えております。
コントらしいコントはまったくと言っていいほどやらないし、
タイトルから期待させた野球拳も無し(笑)。
あのタイトルは絶対、野球拳目当ての層をも狙ったんでしょうね。
ワタクシは病的お笑い至上主義者ですからこれをチェックしましたけど、
野球拳が無いのも悲しかった。文化人類学的に(笑)。

ただ二人で舞台上でのんべんだらりとやっていて、見た目からしてスカスカで淋しく、
裏の紅白の喧噪が、たまらなく恋しくなりました(笑)。
裏では今どんな事やってんのかなとか萩本が言って紅白を見たり(爆)、
舞台袖の緞帳のところにモニターだかが有って、数分刻みの紅白とその番組の
視聴率を折れ線グラフで表示し、会場とそれについて語り合うなんて、
当時からして疑問符の事もやってました。
どうやって測ってるんだ、その視聴率?(苦笑)
で、自番組の数字が上がると会場も大きく沸くんだけど、だから何?って世界でしたね。
それより、何か面白い事をやれよって感じでした。

そんなものでも、先述したようなインパクトからか、紅白の裏としては
充分合格以上の数字を弾き出し、何年か続いたと思います。
そして先も言ったように、日テレの自局産ビッグアイドルのピンク・レディーに
バトンタッチの形で引き継がれ、ピンク・レディーはそれを機に凋落傾向。
大NHK、紅白歌合戦にアイドルが逆らう事の影響を感じさせました。
しかし萩本欽一の方は、べつに日テレやNHKの力で大きくなったわけでもなく、
以後もむしろ発言力を増していく一方で、NHKを見返す事になるのですが。



本年も、かようなおばか侮露愚にお付き合い戴いたのみならず、
コメント返信も出来ぬ不義理の中、変わらぬご愛顧を賜り、恐悦至極でございます。
皆様方には、良いお年をお迎え下さい。
また来年も、ここはまったく変わらないでやって参りますので宜しくお願い致します。
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コメント
この記事へ寄せられたコメント
皆さん,来年もよろしくお願いします。
紅白では,欽ちゃんと二郎さんのコント,うまくうけなかった記憶でした。リハーサルが多く,辛かったでしょうね。
今年も変な独り言が多く,ご迷惑をおかけしたかと思います。
ごいんきょさん,皆さん,今後もお付き合いのほど,よろしくお願いいたします。
良いお年を。

 
2009/12/31(木) 23:32:26 | URL | いくちゃん
公衆電話
傑作だったのは、会場(浅草公会堂だったかな?)のステージ脇に公衆電話を並べて、お客さんが入れ替わり立ち代り電話をかけていたシーンです。
「あ、今、ここで55号の番組を生でみてるんだけど、そっちのテレビを4チャンネルに変えてくれないか」といって、紅白の視聴者にチャンネルを変えさせるという作戦を実行しました。
おまけに、視聴率の変化(グラフ)をその都度紹介していたのも笑わせました。

新しい年が幕を開けました。
皆様にとって、実り多き一年でありますようお祈り申しあげます。
2010/01/01(金) 00:03:28 | URL | 甚六
● いくちゃんちゃん
今年もよろしくおねがいします。

55号もドリフも、舞台が違うのでちょっと空気が違いましたね。
客層がそもそも違いますから。


● 甚六さん
あー、そんな事やってたかな。
でも、視聴率ってそんなんで変化するとは思えないんですけどね(笑)。

丁寧なご挨拶をありがとうございます。
2010/01/05(火) 12:19:29 | URL | ごいんきょ
見た見た(笑)
おいら元々紅白歌合戦には飽き飽きしていたので、「さすが欽ちゃん!!」とワクワクして見たのですが、確かに落胆しました。

おいらも「学校の先生」で二郎さん紅白出場ならなかったのに欽ちゃんが発奮したのではとも当時思っていました。

しかし確かにこの時の内容は惨々たるものでしたね。視聴率は確か8~9%あつたのではないかと記憶しています。
2010/04/20(火) 17:12:27 | URL | ジァントン
二郎さん,安らかに。
どこで書こうかなと迷いました。お久しぶりです。脳梗塞の方で,二郎さんの姿を見て,リハビリをがんばろうかと思われたかたも多かったのではないでしょうか。また,昭和の灯がひとつ消えてしまいましたが,おいらの心の中ではともったままです。
2011/03/10(木) 20:26:55 | URL | いくちゃん
クレージー、ドリフ、とうとうコント55号もですねえ。
時は移ろうものとは言え、移ろう渦中にある者は淋しいものです。
せめて心の中で火を灯し続けるしか有りませんし、
そういうサイトでありたいものです。
2011/03/18(金) 07:12:36 | URL | ごいんきょ
● ジァントンさんにレスし忘れてました申し訳無いです

ね。期待が大きかった人ほど、なんじゃこりゃと思ったと思うんですよ。
誰が見てもか(苦笑)。
萩本さんって、ああいう電波の無駄遣い番組好きですよね。
いろいろテレビで遊びたかったんでしょうけど、ああいうのはなあ。

当時、紅白の裏で10%に肉薄というのは事件でしたし、話題になりましたよね。
2013/12/30(月) 23:49:55 | URL | ごいんきょ
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