私的 昭和テレビ大全集
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リビング2 (1975)

該当番組画像募集
「グドゥアフタヌーン、ミスアンミセス。
 ディスイズユアプログラーム、リビングツー!」

ツッタッツッタッツッツタッツタ ツッタッツッタッツッツタッツタ
ツッタッツッタッツッツタッツタ ターン
ツッタッツッタッツッツタッツタ ツッタッツッタッツッツタッツタ
ツッタッツッタッツッツタッツタ ターン
タララ ツッタッツッタッツッツタッツタ ツッタッツッタッツッツタッツタ
ツッタッツッタッツッツタッツタ タララーン
タララツッタッツッタッツッツタッツタ (提供紹介)
ツッタッツッタッツッツタッツタ
ツッタッツッタッツッツタッツタ ターン
タララ ツッタッツッタッツッツタッツタ タンタララララン タラランタン♪

高崎一郎のDJっぽい英語でスタートする昼2時のワイドショーでした。
しかし、今ならまだしも当時の主婦に通じていたとは思えず、
なんか格好良い感じだよという記号としての冒頭の決まり文句だったと思います。
高崎は帰国子女の先駆けみたいな人だったんですね。
(提供紹介)としたあたりで女声ナレーションが入り、
「この番組は、ご覧のスポンサーがお送り致します」てな感じでスタートしてました。

そのスポンサーで最も記憶されるのが、日本文化センター。
欽どこの北野アナウンサーみたいな声した男性モデルが、
羽毛布団だの高枝切りバサミだのを使って、便利さをアピール。
そして電話番号を歌詞にしたCMソングが流れて、♪ 日本文化センター
で終わるCMでしたが、かなり長い間、ほとんど全ての局でやっていたので、
このブログを恒常的にご覧の方なら認知度100%ではないでしょうか。
昭和50年代早々には既に始まっていたあのCM、スタートは何年頃なんでしょうかね。

人によってリビング4で記憶していたり、リビング2で記憶していたりすると思いますが、
1971年10月1日に、まずリビング4としてスタート。
オールナイトニッポンで名を馳せた高崎一郎に、中野安子を組ませ、
東海林のり子、小林節子が脇を固める布陣。少しして豊原ミツ子も加わりました。
そして75年10月に、何故か2時へと枠移動、リビング2に改題となります。
リビング11には高崎は出なかったようですし、レディス4は12チャンネルですから。
とにかく紛らわしいですね(苦笑)。
しかもリビング4にはまだ『東京ホームジョッキー』という前身番組が有るというのです。
ワタクシ、さすがにそれは記憶に無いですね。リビング4でギリギリです。

昭和50年代の午後1時過ぎと言えば、関東人にとっては、
志垣太郎のあかんたれからリビング2への流れしか無いじゃないですか(笑)。
♪ あかんたれ あかんたれ から、リビングトゥー!
まざまざと昨日の事のように思い出します(笑)。
内容は、大きく前半と後半に分かれていて、前半が各種レポート。
テレ朝で深夜やってたトゥナイトとか、昼やってた女の60分みたいな感じ。
対象はそれこそ様々で、時節を捉えたテーマを都度あつかってました。
女性レポーターが突撃取材したVTRを延々と流し、
最後に高崎が軽く締める感じで、トゥナイトとかはこのスタイル踏襲してましたね。

あと、リビング4時代は、時期によっては山谷親平のレポートも有ったようです。
山谷は高崎同様に生粋のラジオ人で、おはようニッポンはワタクシもよく聞きました。
テレフォン人生相談、懐かしいですね。今は娘が別方面で頑張ってくれています。
さて、この番組の実質的な核は、むしろ後半でありました。
公共の電波を露骨に私企業として通信販売に利用する、テレビショッピング。
延々とそのコーナーを15分そこらも使った最初が、高崎でした。
しかも、高崎はその「功績」によって三越顧問に。
これって、電波の私物化じゃないんですかね。

官僚の天下りはやたら叩かれますが、やはり公共的性格を持つマスメディア、
中でも公共の電波を使用する公的企業テレビ局の腐敗ぶりは、
同病相憐れむかなんか知りませんが、まず扱われる事が有りません。
と言うか、そういう芽を事前に摘む為の措置も怠りないくらい腐っているのです。
フジがテレビショッピングを始めた1970年秋、
テレビに苦言を呈していた著名評論家の大宅壮一が物故。これ、偶然なんですかね。
河岸を替えて最果ての12チャンネルでは、まさかのエログロ路線を強化。
カラー化の波、若者文化の躍進が旧勢力の衰退と重なった1970年は、
振り返ってみると日本の転換点の一つだった気もします。

まあ難しい話はさておき(笑)、番組後半の三越のコーナーは、
スタジオに何体も並べられたマネキンがお召しあそばしている高級おべべを、
レギュラー陣が次々なめ回すように批評して、購買意欲をそそってました。
女性陣が「ここのところ日差しも春を感じさせますね」なんて見て回り、
高崎が、「そろそろ春物の準備に入りませんとね」みたいに相槌。
もちろん服だけではなくて、高級羽毛布団のような時も有りました。
リビング11の方では、純粋にテレビの前の視聴者に向かって女性が語りかけてました。
「シックで、ギャザーが…」 「タイトな…」
貴様、それでも帝国軍人か! なに言っとるかまるでわからんわ!!
画面に向かって思い切りツッコミ入れてたワタクシです(笑)。
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コメント
この記事へ寄せられたコメント
セッちゃん
母が好きでよく観ていました。リビング4から観ていたと思います。
中野安子さんや小林節子さんがテレビショッピングで商品のセーターやジャケットを着ていると、何を着ても似合うわねーと羨ましそうでした。

商品ではよくニットのアンサンブルやパールのネックレスがあったと思います。
けれど観てはいてもそれを注文することは無かったようです。通販で物を買うなんて考えられなかったのだと思います。

高崎さんは小林節子さんのことを小林セッちゃんと呼んでいたような気がします。控えめで上品な感じの方でしたね。
2010/01/07(木) 18:52:35 | URL | モデラート
トウキョウ!ホオム ジョッキィー!!
早速、手元の資料(といっても『ラテ番図鑑』ですが)で調べました。あ、ありましたです、『東京ホームジョッキー』が。
スタートは1970年の10月改編期からですね(9月28日or10月1日のどちらかです)。
「トウキョウ!ホオム ジョッキィー!!」のタイトルコールは、皆様おなじみの高崎節(たかさきぶし)でした。生活情報や芸能情報に通販といった内容で1年間続き、ごいんきょさまのお話の通り、リビング4に進化(?)していきました。

ところで、高崎一郎さんはお元気なのでしょうか。
2010/01/07(木) 20:14:31 | URL | 甚六
トウキョウ!ホオム ジョッキィー!! ②
先日の続きです。
「東京ホームジョッキー」の放送開始は1970年10月1日(木)でした。それまで、この枠では『ベン・ケーシー』などを放映していました。

2010/01/08(金) 20:03:07 | URL | 甚六
● モデラートさん
うわー、ニットのアンサンブルとパールのネックレス(笑)。
読み上げる声まで思い出せますね。
商品を大映しにした画面で、「商品番号○番、パールのネックレス」
とか紹介文を読み上げていたと思います。
そんな気さくに呼び合ってましたか。DJ感覚だったんでしょうね。


● 甚六さん
そんな掛け声、なんか聞いた気もするんだけどなー。気のせいかも。
高崎さんはどうでしょう。やはりそれなりのお年ですしね。
2010/01/12(火) 01:40:27 | URL | ごいんきょ
三越とディノスの通販枠の元祖
「リビング2」は1982年まで放送されたそうですが、当時世間を騒がせた岡田茂の三越事件の余波で三越が商品提供から降りざる得ない状況となり番組終了に至ったようです。
(そもそも岡田茂が高崎一郎と二人三脚で日本にテレビショッピングを持ち込んだという経緯もあったのも影響があったのかも)
冷却期間を1年ほど挟み、放送局をテレビ東京に移動して1983年より三越一社提供番組の「レディス4」に衣替えして、以降現在の「L4 YOU!」に至るまで鎮座し続けることとなります。

一方、姉妹番組という位置づけで始まった「リビング11」は、フジサンケイグループの通販事業を担っているディノスの宣伝枠として残り続け、奥様向け情報番組枠に衣替えし現在まで続いています。
純粋な通販番組ではないのは、途中で「テレビCM以外で商売を行うのはけしからん」というクレームが入りリニューアルされた結果ということみたいですね。

今ではCSで24時間テレビ通販垂れ流しチャンネルまで存在していますが、「リビング2」はそれのあらゆる意味での元祖みたいな番組です。
2016/05/27(金) 05:40:30 | URL | 通りすがり
あー。あれでリビング2も終わったんでしたっけか。
リビング11の方は、より通販に特化してましたからね。
今じゃ地上波だって、かなり電波の私物化が激しいですよ。
2016/05/28(土) 07:03:57 | URL | ごいんきょ
これが
 「レディス4」シリーズとフジの午前10時台の生ワイド番組の元祖になるのですね。(解釈が間違っていたらすみません)
 「レディス4」を初めて見たときは(TVH開局後なので平成に入ってからですが)何とも言えない懐かしさを感じました。
 午後2時台にHBCとSTVで放送していたローカルワイドショーに内容が似ていましたが、レディス4は上品な印象を受けました。
 「商品情報」(こんなタイトルだったと思う)はまさに道内局のワイドショーでいう「ショッピング情報」と同じでした。あそこまで上品ではなかったけど。商品ももっと庶民的なものが多かったような。
 女性アナウンサーと在札デパート各店の社員(三越は金田一さんという俳優を使っていた)が掛け合い(?)で商品を紹介するものでした。
 私のランドセルも母方の祖父がテレビショッピングで買ってくれたものでした。
 ちなみに、HBCの社史にテレビショッピングを始めるにあたって会社の定款を書き換えた(通信販売業を追加した)、というエピソードも載っていました。
 
2016/08/04(木) 23:13:05 | URL | 北国の人
フジの午前枠
 北海道では「美味しんぼ倶楽部」と「生島ヒロシのおいしいフライパン」を10時台のみ放送していましたが、「夕食ばんざい」は週末の早朝に15分番組として再編集されたものを流していました。
 友人に送ってもらったビデオの中に「どーなってるの」が入っていて、そこで初めてワイド番組の1コーナーなんだと知りました。
 ディノスの通販コーナーが始まったのは今から5,6年ぐらい前でしょうか。(10分番組として始まった)
 北海道だけ商品を差し替えて放送していたとか…?
 ローカルの情報番組を夕方に移動させ「ノンストップ!」のネットが始まってから同じ内容になったと思われます。
 余談ですが「美ヶ原高原美術館アモーレの鐘」のCMはもうないのかしら?
 前述のVTRに入っていたので。
2016/08/04(木) 23:28:24 | URL | 北国の人
少なくともリビング11の頃は、周りの目も非常に厳しかったので、品物も本当に厳選していたようですが。
レディス4でも、まだ高崎さんの意向も有ったろうから良かったのかな。
今のフジテレビ通販は酷いですね。
詐欺紛いのまで売ってますが、よく問題にならないなと見てます。

アモーレの鐘CMは、もう無いでしょうね(笑)。「
2016/08/09(火) 23:46:03 | URL | ごいんきょ
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