私的 昭和テレビ大全集
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青年の主張 全国コンクール (1959)

該当番組画像募集
いつの間にか、無くなっていたんですね、この番組。
毎年1月15日の成人の日、ちょっと寝坊して居間へ行くと、
両親が見ているテレビから、通常とは違う雰囲気が醸し出されていたものです。
娯楽性の欠片も伝わって来ないその空気から、
延々と唯一人の人間がとうとうと何かを会場の聴衆に訴えかけている。
異様な空気に画面を振り返れば、青年の主張コンクールとの文字列。
ああ成る程、今日は成人の日だったな、と納得するのが、
昭和の成人の日のワタクシの朝でした。

この一種奇態な番組は、何故、どのような意図で制作されていたのか、
当時からのワタクシの結構な疑問でありました。
そこでこの機会に、放送開始当初のNHKの記述を紐解いてみましょう。
『青年の主張』とは、元々は昭和29年4月からラジオ第2で始まった番組だったのですね。
当時の勤労青年には、高卒はもとより、中卒人材も多かった。
そんな青年達が、何を考え、何を悩んでいるか、何に関心を持っているかなどを
青年自身の言葉で語らせ、同時に、感情に走らず正しい考え方の筋道によった
意見発表に習熟するよう、論理的矛盾や飛躍の有る場合には、
講師が質問によってこれを指導している、とあります。
そして、農村青年、勤労青年、学生の部などに分けて放送し、
最後に各層青年代表による座談会を行っていたようです。

このような番組が、各地の青年たちの意見発表の場として共感を持って迎えられ、
回を重ねるに従って高まる参加者の熱意にNHK側も呼応し、成人の日を頂点とする
「NHK青年の主張」全国コンクール開催へと繋がるのでした。
まだ未熟なままとにかく社会参画せざるを得なかった青年が多かった時代に、
その感情を広く世間に知らしめ、短い時間に率直に意見を述べさせ、
加えて穏やかな話術の習得をも目的とした催しであったのです。
第1回は「私の理想とする人物」をテーマとし、東京青山日本青年館で、
10名の審査員を前に決勝大会が行われました。
そして、ラジオの元番組の方は終了した後も、年一度のコンクールは存続し、
昭和34年からテレビの方でもコンクールの模様を放送し始めたようです。

その後もテーマを替えながら毎年行われる事となったわけですが、
例えば第10回コンクールでは、第1位が19歳の旋盤工の青年で、
選んだテーマが「こんな仕事に一生を捧げたい」でした。
時は移ろい、白人どもの日本脱力計画に愚かなジャップはまんまと乗せられ、
終身雇用制度は見事に崩壊し、派遣という名の使い捨て労働が跋扈。
更には旋盤工の青年などをDQNなどと称して蔑視する風潮を植え付けようとする、
外人どもの新たな戦略も功を奏しつつあり、そうした仕事に従事するくらいなら
無職を選んで引きこもる人生を選ぼうという若者も増加。
青年の主張という番組は、確かに、その時代的役割を終えて終了したと言えましょう。
しかしそれが、国家活力の減退をも象徴していなければ良いのですが。
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[猫カフェ]futaha



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この記事へ寄せられたコメント
イントネーション
我が家では大晦日に紅白歌合戦を観るのと同じように、決まって成人の日にはこの青年の主張を観ていた時期がありました。
両親はどの人の主張が良いかなどと話しながら聴いていたようですが、子供の私は内容より主張する人たちの話し方が気になって仕方ありませんでした。
標準語でもなく方言でもなく、不思議なイントネーションの話し方だったような気がします。私たち子供は不謹慎にもその話し方を真似して喜んだりしていました。
その後何年かしてふと気づくと、その話し方はなくなっていたと思います。
2010/01/12(火) 19:03:14 | URL | モデラート
そうそうその独特の
「私がこれに参加しようとしたのは父母から勧められたのではなく~」という言い回しはギャグにもなり一つの文化と化したんだわな
2010/01/12(火) 20:59:56 | URL | 熱血王 ガッツィンガー
● モデラートさん
うん、たしかに有ったような気がします。
想像するに、NHK側の指導ではないかと思いますが、
おそらく、演説調、絶叫調にしないための方策だったんでしょう。


● ガッツさん
うんうん。
ガッツさんも充分、文化してます(笑)。
2010/01/12(火) 23:49:53 | URL | ごいんきょ
わ「た」しは
 モデラートさんが書いていらっしゃるのを読んで思い出しました。
「わたしは」の「た」が異常に高く、強かったと思います。選挙演説のようなのとは違いますが、あれも一種の絶叫調と言ってよかったのではないでしょうか。「~ました」「~でした」「~ではないでしょうか」など、文末がずり上がっていってました。そして、要所要所で絶妙な具合に間(ま)を計っていたような気がします。
 その話し方がいつのまにか無くなっていたとは知りませんでした。
2010/01/13(水) 03:01:01 | URL | あぶもんもん
普通の発音で読んでいると、自然に感情が入ってきて、
最後はつい絶叫調で訴えてしまうというのが、
この手の内容ではよく有るパターンです。
本文でも書きましたように、冷静に意見を述べさせるというのも趣旨の一つですので、
あのような読み上げ方を工夫していたのでしょう。
2010/01/14(木) 00:08:41 | URL | ごいんきょ
柴田杯全関東言道大会
お久しぶりです。あぁ、懐かしい。
昨年から生活がガラリと変化し、なかなかPCに向かえない今日この頃です。最近、特にこちらは進行が早くて、追いつけないけど、確か、ちょっと前に弁論のことが…と探してみたら、あった、ありました、青年の主張。

中学生の時には、毎年見ていました。弁論部員でした。

あるとき、青年の主張の審査員が審査しているんだぞ、と顧問の先生から聞かされ出場したのが、全関東言道大会でした。国士舘大学の学生さんが、詰め襟姿で駅まで迎えにきてくれて、会場入りしました。
『信じるということ』と題した私の弁論は、中学生の部でなんと準優勝。唯一の過去の栄光です。ちなみに、優勝は、『日の丸弁当だっていいいじゃないか』でした。
二十歳になったら青年の主張にでるのかなぁ、なーんて思っていた私ですが、中学校を卒業してからは、弁論(=言道)とは無縁の生活になりました。
審査員の方がくださった寸評の紙は、まだ実家のどこかにあると思いますが、文章の内容の評価と同じ比率で、身のこなしについても点数がついていました。「しとやかでよい、98点」とかですね。(当時は、しとやかだったのかしらね。)

日々の部活動では、発音、発声の訓練もさることながら、目配りを、両横と真ん中を○:△:○で見なさい、このタイミングで原稿用紙を見なさい、原稿は丸暗記しておくけれど紙はここに置いてここでめくる、とか、独特の決まり事がいろいろあったように記憶しています。
当時の中学生の弁論は、絶叫調、というよりは、「みなさんっっ、私はーっ、信じるということをー」という具合に、呼びかけ調が多かったように思います。

…私にとって青年の主張は、中学の部活動の思い出と繋がるのです。
2010/02/08(月) 15:01:57 | URL | 秋桜
おや。すっかり見捨てられたかと思ってました(笑)。
言道って言うんですか。初耳です。ATOKも変換しませんね。
98点ですか。それはそれは、かなりのおしとやかさ度だったのでしょう。
是非とも当時のお姿を拝見したいものです(笑)。
そうそう。そんな感じで演説っぽくなっちゃうと、少々意図からズレると判断したんでしょうね。
2010/02/11(木) 13:13:07 | URL | ごいんきょ
成人の日
子供の頃、成人の日には家族でお餅入りのおしるこを食べながらこの番組を観ていたという記憶があります。
今では何日が成人の日なのかも曖昧です。

以前のコメントで、私が上手く文字にできないでいたイントネーションの話を、ガッツさんやあぶもんもんさんが表現してくださっていて流石だなぁと思いました。

会場では皇太子殿下もご覧になられていたと思います。
出場者の主張が終わった後、多分二十歳になる歌手の方が歌を披露していました。
父がよく「皇太子さまの前で歌うのだから大したものだねぇ」と言っていたのを思い出します。
2014/01/11(土) 14:34:11 | URL | モデラート
年末年始、大抵の人は嫌ってほど連休しているわけです。
嫌って言う人はいないかな(笑)。
その次の週に、ムリヤリ連休を作る必要性がまったく判りません。
休み過ぎだ!と思うワタクシは、ワーカホリックなのかな(苦笑)。

でも、成人の日は特別な一日でいいと思います。
もし式典に出た人も、何日だったかを数十年先まで覚えていられるでしょうか。
また、年によって日付が違うと、年次の違う人たちとの連帯意識みたいのも食い違うんじゃないかな。

海の日なんて、わざわざ夏休みのすぐ前に作ったりね。すぐにお盆にもなるし。
むしろ、休日が無い6月に何か作れば良かったのに。
あの頃の政治家、かなり変だったと思います。
今は変な人ばかり政治家になるしね。

ご皇族の前で歌舞音曲を披露するという事も、今ではかなり軽き事となりました。
2014/01/12(日) 00:43:27 | URL | ごいんきょ
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