私的 昭和テレビ大全集
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スーパーゴルフ (1979)

該当番組画像募集
アメリカのプロゴルフツアーで年間賞金王となった日本人選手という、
物凄い存在がいる事を意識している人は、そう多くないかもしれません。
当時はまだ、ゴルフなんて金持ちか接待以外では縁遠い存在で、
スター選手も少なく、スポンサー企業は有ったから番組の数こそ多かったものの、
テレビ番組の数と知名度・認知度が、あれほど乖離していたものも無いと思います。
だから、愛好家にとっては目を見張る快挙であっても、
一般的な日本人からしたら「ふーん」という程度のニュースで、
それから二十年以上経ってしまった今日では、意識している人も少ないでしょう。

岡本綾子は、日本で賞金王となったら次はアメリカツアーに本格参戦する
という流れを作った開拓者でした。
それは彼女が1987年に、日本人として、と言うよりも、アメリカ人以外として初めて、
LPGAで賞金女王となるという大快挙を成し遂げた事に拠ります。
当時まだゴルフを始めていなかったワタクシにとって、
海外から飛び込んできたそのニュースは、正しく「ふーん」状態でした。

日本人がアメリカツアーでトップになるという事が快挙であるという想像はできても、
所詮プロゴルフ、特に女子プロがマイナーな世界としか目に映ってなかったですからね。
今、宮里藍がもしアメリカで賞金女王になったら、
当時の比では無い大フィーバーになるであろう事は間違いないでしょう。
ま、スター性にもちょっと差が有りますけどね(笑)。
岡本はハッキリ言って、愛嬌の無い職人タイプの選手でしたから。

そんな岡本綾子が、日本女子プロを奪取して勢いに乗ってきた頃に始まった
冠番組が、この『岡本綾子のスーパーゴルフ』でした。
提供はNECで、NECは『スーパー』が頭に付く番組を幾つかやりました。
開始当初はなんと、月~金の夜、5分間の帯番組だったようです。
なんだろう。レッスンでもやっていたんでしょうか。
さすがにこの頃はどんな番組だったか想像もできません。
ワタクシが見始めたのは、やはりLPGA賞金女王になってからだったかと思います。

初期には素人チームとの対戦という、12チャンネルゴルフ番組定番の作りだったようですが、
ワタクシが見ていた当時は、世界のトッププロとの、世界各地のコースを舞台にした
1対1のマッチプレーを、何週かに分けて放送していました。
当然、日本やアメリカのオフ・シーズンに、南半球あたりでまとめて収録したものを、
何週かに分けて小出しにして繋いでいたんだろうと思います。
マッチプレーという形式も、この番組でなんとなく覚えた気がします。
1ホールずつの勝敗を記録して、1コース18ホールで多く勝った方がその試合の勝ち。
通算の打数はまったく関係無しで、1つのホールで仮に10打以上叩いてしまっても、
それはそのホールの負けになるだけという、気分の切り替えがよりものを言う感じです。

芸能人が出る事もたまに有って、平成になってからの放送だったはずですけど、
松山千春が出た時の事は鮮烈に記憶に残っています。
堀内孝雄とコンビで登場した松山は、そこそこ有名なゴルフ上手。
普段から思い上がり発言の多い俺様人間ですけど、この時の非常識発言は凄かった。
事も有ろうに、スクラッチでやってくれと岡本プロに言い放ったのです。
テレビのゴルフに於けるプロとアマとの対戦では、プロがなにかしらハンディを与えます。
これは通常、そうしないと勝負が面白くならないからですけど、
万が一、プロが体調不良だったりした時に、言い訳できる余地にもなるわけです。

まして、トップクラスの男性と、プロとは言え女性の対決。
場合によっては、確かにスクラッチで勝つ事も不可能では無いでしょう。
つまり松山は、テレビカメラの前で岡本に恥を掻かせようと、本気で狙ったわけです。
この傲岸不遜ぶりには、他人事ながらワタクシ、怒りが込み上げて来ました。
が、当のプロたる岡本の怒りは、まるでワタクシなんぞの比ではなかったのです(笑)。
行くホール行くホール、バーディバーディまたバーディ。
憤りが乗り移ったかの如き球は、掃除機で吸い寄せられるようにピンに向かい、
次から次へとパットが面白いように決まる。

堀内に対して、「谷村(新司)嫌な奴だよな」とか、本気だか冗談だかわからない、
まあ、おそらく本気なんでしょうけど(笑)、軽口を叩いていたのも一転、
堀内から「和尚」と呼ばれていた松山の特異な風貌が見る見る引きつり、
「誰かなんとかしてよー! 手がつけられないよ(苦笑)」と、
岡本の神がかりな技の冴えに色を失って行ったのでした。
職人肌のプロだった岡本が、プロの意地を見事に発揮した忘れられぬ回です。
あの広い大地に根ざしたような根性が有ったからこそ、件の快挙を成し遂げられたのでしょう。
対照的な肌合いの宮里藍は、後に続く事ができますでしょうか。
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コメント
この記事へ寄せられたコメント
岡本プロで覚えているエピソード
 いつごろのトーナメントか覚えていませんが、岡本綾子と競っていた相手がボギーを叩いたとき、ファンの一人が、「ナイスボギー」と言ったんです。瞬間、声のした方を恐ろしい目でキッと睨みました。

 スーパーゴルフとは関係がありませんが、私は岡本綾子のライバルだった徐阿玉も好きでした。
 ◯◯プロという言い方は、ゴルフだけですよね。どうしてなんでしょう。
2010/02/25(木) 04:17:00 | URL | あぶもんもん
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