私的 昭和テレビ大全集
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岸壁の母 (1977)

該当番組画像募集
先日、二葉百合子の引退会見を見て、少々驚いたのですね。
何しろ、自分が子供だった時分に、既に結構な年齢での初のヒット曲を出して
時の人となっていたような気がしていたので、「まだ現役だったんだ~!」
という驚きと、実はそれ以前に、「まだ生きていたんだ~!」という驚きもあり、
更には流れている映像を見て、「まだこんなに矍鑠としているんだ~!」
という更なる驚きに加え、歌っている映像を見た際には、
「まだこんなに歌えるんだ~!」という驚嘆となり、延々付け加えていく
下手な文章のように(笑)驚きの連鎖を味わわされたのです。

彼女が『岸壁の母』を売り出したのは昭和47年のようですが、
当時の演歌初ヒットの例によく見られたように、この歌もすぐには売れず、
俄にヒット曲として注目されたのは昭和51年だったと思います。
元々は、日本が被占領体制を脱し(たように見せ)た昭和29年に菊池章子が歌って、
当時としては大ヒットした歌だったようです。
菊池の顔は12チャンネルの懐メロ番組でよく見ておりましたが、
この歌を歌っていたかどうかはよく覚えていません。
恐らく、懐メロブームの時にこの歌をまた歌い、それを見た二葉サイドが
自分で吹き込みたくなったのではないかと思うのですが。

二葉の歌ったものが昭和51年になってヒットした背景に、ほぼ間違いなく、
テレビ番組『それは秘密です』のヒットが有ったと、ワタクシは思います。
その番組については既述ですのでそちらをご覧頂くとしまして、
番組最後のコーナーで毎週毎週登場する、戦中戦後に生き別れた肉親のご対面シーン。
一応は戦時を知っている我が父は、そのシーンを見て毎週毎週、
まるで我が事のように涙していたものでした。
おそらく、そんな家庭は我が家だけではなかったはずで、
そのような機運が、二葉の再発歌謡を押し上げる要因となっていたのでしょう。
そう言えばあの『岸壁の母』のモデルは、もう息子と再会できているのだろうか、という。

二葉百合子の歌う『岸壁の母』の大ヒットを受けて、まず映画化され、
その後にTBSの『愛の劇場』でドラマ化されたものが本作です。
この歌にモデルが実在している事は、初レコード化当時も勿論でしょうが、
二葉がヒットさせた当時も世間でよく語られたものです。
昭和25年からずっと、引き揚げ船が来る度に我が息子の姿を探す母親の姿が有り、
どういう具体的な事情かは知りませんが、そのうちの一人にスポットが当てられ、
菊池の歌う歌謡曲となって、多くの人が知るところとなったわけです。
結局、そのモデルの母親は再会を果たせぬまま亡くなってしまわれたようですが、
驚いた事に、平成になって息子の生存が確認されているというのですね。

テレビドラマは、そのような親子の人生をなぞったものですから、
子供が小さい頃から母親が女手一つで一生懸命育てていく様から描いていました。
モデルの女性は昭和初期に夫と娘を亡くし、北海道の資産家から養子を譲り受け、
それが出兵してついに戻らなかった息子だったようなのですが、
ドラマではもしかすると、実の息子として描いていたかもしれません。
いずれにしても幼少期の北海道から描いていて、やがて上京。
女手一つで育てようにも、戦争迫る国情から職探しもままならぬ中、
苦労して育て上げた息子が兵隊を志し出兵してしまい、
そして戦中戦後も女一人で切り抜け、息子の帰りをひた待って岸壁に立ち続ける、という話ですか。
愛の劇場十周年記念作で、なんと歴代1位の視聴率を記録したようですから、
当時の注目されぶりが偲ばれます。

ワタクシは放送当時、学校に行かねばならぬ身でしたから、
勿論、毎日視聴する事は不可能でした。
なので印象に残っている事は少ないのですが、やはり二葉の主題歌はよく覚えています。
レコード化されてからかなり経ってのヒットでしたが、そのヒットからも
わりと時を経てからのドラマ化、主題歌化で、少し奇異にも感じました。
「あれ? 今頃ドラマに使ってるんだ?」と当時思ったものです。
当時の昼ドラマは、OP主題歌をもう一度EDで流すというのが一般的な形式で、
この番組のEDでも、市原悦子が岸壁に佇む画面をバックにだったと思いますが、
OPでも使われていた二葉の歌声が一番だけ流れていました。
前番組の『誰か故郷を想わざる』も、EDで聞き馴染んだあの霧島昇の懐メロが流れ、
二番組続けてのリバイバル主題歌で、この枠は妙なタイムトリップ感を感じたものです。
この番組で献身的な母親を演じて注目を浴びた市原は、この少し後に同様の母もの、
『我が母は聖母なりき』でも主演を果たし、昼ドラの女王然とした活躍ぶりでした。
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[猫カフェ]futaha



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コメント
この記事へ寄せられたコメント
記憶のドラマと現実
ごいんきょ様同様、私もこのドラマの本放送当時学生だったので直に視聴していないはずですが、夏休みにかかったときにでも何回か見た記憶があります。主演は市原悦子、息子役が大和田獏、獏は確かこの番組が初のレギュラー出演だったといっていたような気がします。この親子を陰ながら見守る教師役に「そ~なんです、川崎さん」で著名な山本耕一が演じていました。市原演じる母親が好意を寄せる設定だったと思いますが、濡場シーンもあったと思います。さすがにあの理知的を前面に押し出した山本のそういう場面は記憶にもありませんし想像さえできませんが…。確か最終回で舞鶴港へ行った市原が暴走族に遭遇して逃げ隠れしたシーンとか、最終カットで実際の端野いせさんが白黒写真と音声で登場し、長年の和裁の職業病で変形した手を見せながら語りながらENDだったことをおぼろげに覚えています。翌日が確か登校日でクラスの女子がそのシーンのことを話していたのが思い出されます。あーあいつも見たんだなって…。
私も息子が中国で生きていたって話を新聞で読んで、「何で母親が生きてるうちに連絡しなかったんだろう?」って疑問に思いました。事情は色々あったのでしょうが、結局養子ということもあり、母親が思うほどに息子は慕っていなかったのでしょうね。ドラマを知っているだけに白けた気持ちになったことでした。
2010/04/02(金) 14:42:24 | URL | 田毎庵
カラオケの十八番です
たしか、映画版のアニメ「じゃりんこチエ」で、おとうはんとおかあはんの心のわだかまりを解くために、チエが熱唱してた歌がなぜかこれでした。

昼ドラは、ワタシも妙に予告だけは見た記憶が。
二葉百合子のあの曲をBGMに、市原悦子が岸壁にいて、昼メロっぽいナレーションがあったよ~な。

現実は、そんなんだったんですね。
「蟻の兵隊」という映画によると、中国残留日本兵には、過酷な現実があったそうなので、そのあたりもあるのか。
養親は過去を美化して生きるはりあいに、子は過去を捨てることで生きようとしていたのかも知れないし。
2010/04/04(日) 09:53:02 | URL | 桃
祖母の想い出
>俄にヒット曲として注目されたのは昭和51年だったと思います。

ごいんきょさんの記事を読んで昭和51年の春休みに一人で祖母の家に遊びに行ったことを思い出しました。

祖母は山の中の一軒家に一人で住んでいて、特にすることもなく、私と祖母は日がな一日テレビを観ていました。
チャンネルはNHKと民放の二つしかなく、朝のワイドショーで観たのが二葉百合子さんでした。
浪曲師さんのような立ち位置で「岸壁の母」を歌われていました。昼近くに別の番組でも拝見し、結局その日は3回二葉百合子さんの「岸壁の母」を聴きました。
3回目の時祖母が「この人はようけ出られますのう」と言ったのが可笑しかったです。
2010/04/18(日) 14:47:03 | URL | モデラート
母は来ました 今日も来た…
このフレーズをはっきりと意識して耳にした最初は、1975(S50)年の夏のことでした。「夏祭りにっぽんの歌」、いや当時はまだ「なつかしの歌声」というタイトルだったか、その番組での一こまです。

この曲を紹介するとき、司会のコロムビアトップ氏は涙声になりながら1番の歌詞を朗読、続いてステージに登場した菊池章子さんは2番と3番の歌詞を歌いました。
当時小5だった私には、このときの涙の意味がすぐには理解できませんでした。
翌年、二葉百合子さんによるカバーバージョンがヒットしたことで、初めてこの歌の生まれた背景を知りました。

最愛の息子を戦地に送り出すだけでも辛いのに、戦死通知も信じずに、ひたすら息子の帰りを待ち続けた母。その母親に思いを馳せると、どうにもやりきれない思いがしてなりません。

その母の死後、実は生きていたことが判明した息子さん。歌を通じて自分のことが多くの人の知るところとなり、母の生前はなかなか名乗り難く思ったのでしょう。これもまたある意味悲劇です。

大切な人との絆を無残にも引き裂いてしまう戦争の残忍さを痛感させられます。

ドラマのほうは断片的にしか観ませんでしたが、それでも、ひたすら息子の無事を信じる母親のひたむきさが伝わって来たことを覚えています。
2010/08/16(月) 23:16:26 | URL | うみがめ
花王 愛の劇場
平日昼間の帯ドラマは、うちの母親は主としてフジ系の「ライオン劇場」を観てたんですが、たまにTBS系のこちらを観る場合があり、この作品もその一つです。(他には、「わが子よ」シリーズなんかを観ていたような・・・)

自分も長期休暇や短縮授業のときに観る程度でしたが、二葉百合子さんがこの年紅白で歌ったことなども記憶しています。

他の方のコメにあるとおり、息子は中国で生存していたとか、実の親子ではなかったことなど、後年知ることになり、何かちょっと複雑な思いを抱いた記憶があります・・・
2013/05/04(土) 23:01:26 | URL | ほけみん
貴重な話を幾つも有り難いのに、返信がかなり遅くなってますね、ここも。


● 田毎庵さん
田毎の月さんの別名なんでしょうか。
市原悦子さんの濡れ場、見たかったな(笑)。
でも、モデルの人が存命中なのに、よくやりますね(苦笑)。
はー。最終回はご本人もご出演でしたか。それは見てないな。
現実の事は、やはり当人同士の問題ですからね。
ただ、思いを書き残しておいて欲しいとは思います。
あとは全て、歴史が飲み込んでくれるものですから。


● 桃さん
へえ。母の歌ですが、たしかにチエちゃんの母が来たって事ですか。
予告、そんな感じですかね。おそらくエンディング映像と同じなんでしょうけど。


● モデラートさん
途中まで非常にいい感じで、ほのぼの読んでいたのですが、
だからオチが非常に利きましたね(笑)。
いいなあ、昔のおばあちゃん。大好きだ。


● うみがめさん
やっぱりね、戦地・銃後の悲惨さを生で知っている人にとっては、
永久にそれは、生々しい現在だったんだろうと思います。
うちの両親からは、そういう悲惨な経験がまったく聞かれないし、知らないようなので、
田舎者の子供は、けっこう気楽にやっていたようですけどね。


● ほけみんさん
これは愛の劇場最高視聴率を記録したようですので、けっこう多くの人が見ていたんですね。
2013/05/05(日) 17:08:17 | URL | ごいんきょ
市原悦子
市原悦子さんが印象深いです。余談ですが岸壁の母は石原裕次郎も歌っていましたね。
2015/12/12(土) 11:46:20 | URL | 僅僅
市原悦子さんでしたっけね。
それで後に、『わが母は聖母なりき』も演っていたんだな。
2015/12/13(日) 19:21:40 | URL | ごいんきょ
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