私的 昭和テレビ大全集
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いつでも君は (1967)

該当番組画像募集

心と心の細道に
あなたの小さな親切が
ぽとんと落ちてきらりと燃える
ろうそくの火が燃えて広がる
一本が十本に
十本が百本に
百本が千本に増えていく
いつでも いつでも いつでも君は
夢見る 夢見る 夢見る星よ



ワタクシの幼き日の忘れられぬ体験に、
電車の中で見知らぬおじさんにチョコレートを貰った事が有ります。
おそらく、パチンコ帰りだったんでしょうね。
味気ない紙袋からチョコを取り出し、ワタクシに一つくれました。
立っているワタクシが不憫だったのでしょうか。
いまだに理由はわかりません。

ただ、ワタクシは幼少時から決して美男子ではないのですが、
幼少の頃はまあ誰でもそうなんでしょうけど、よくカワイイとは言われて、
小学校低学年の時に高校生のお姉さん二人にお菓子を貰った事も有りまして、
でも当時から妙に「男」というものに意識が強かったようで、
口では「ありがとう」と言いながら、内心では不愉快でした。
「かわいいね」とか言いながらワタクシを見て笑い合う二人に、
なにか施しを受けたような屈辱感を、幼いながら感じたのです。

仏頂面のまま公園を後にするワタクシの背後から、
「ボク! ボク! おいで!」と、更に呼びかける二人の声が聞こえましたが、
行って又お菓子を施されるのが嫌で、そのまま歩いて立ち去りました。
この事は今、ワタクシの心中にある数多の枷の一つとなっており、
もし、死ぬ間際でも死後でも、あの日あの時に一時でも戻れたなら、
踵を返して二人の元へ行き、心からの笑顔で「ありがとう」と言いたいと念願しています。

おじさんがチョコをくれた時は、嬉し恥ずかしという面持ちでした。
ただ、あの頃の電車の情景とともに、自分の中に有る良い想い出の、
かなり強い一つとして、今でも忘れる事ができません。
振り返ればワタクシは、かの人々のような心遣いを子供たちに何一つしていません。
と言うより、今の不気味なおじさんに過ぎないワタクシが理由も無くお菓子を与えたら、
良くて逃げられるか、悪ければ警察に通報されるのがオチでしょう。
どちらにしてもお菓子は口にされず、ゴミ箱行きとなるでしょう。


こんな人と人との間にある道が本当に細くなっている現在、
冒頭の歌を歌うと、しみじみと染み入るものが有ります。
いや、この歌を聞いていた当時でも、実はそれは感じていたのです。
我が母は当時、水前寺清子が大好きで、それは良い楽曲に恵まれていたからだったのですが、
父が好きだった美空ひばりの歌よりも、はるかに多い頻度で聞かされて育ちました。
彼女の歌の場合は、曲の良さは無論、それを余すことなく歌いきる技量とが有りましたが、
加えて詩の力強さ、前向きの清々しさというものが、大きな力となっていました。
ああいう歌が当たり前に聴けた時代を過ごせたのは、本当に幸せな事でした。

涙を抱いた渡り鳥、いっぽんどっこの唄、三百六十五歩のマーチ、真実一路のマーチ、
そして、この『いつでも君は』を手掛けた作詞家が、クラウンの星、星野哲郎。
どれも詩も曲も歌唱もそのような名曲でしたが、ワタクシが特に好きだったのがこれでした。
時が過ぎ、成長して、ネット時代になってWeb上で聴いた時も
変わらぬワクワク感で、つくづく良い曲だと感じながら、
でもこれって、ドラマ主題歌だったよなあと、漠然と思ったんですね。
それでジャケット画像をよく見ると、たしかに『いつでも君は』主題歌と書いてある。
でもこの番組、あの『テレビドラマ全史』索引に載ってないんですね。

ジャケットに毎日放送と書いてあるので、毎日放送社史の方を調べたら、
間違いなく記述されておりました。
当時、毎日放送と朝日放送のネット事情は複雑でしたから、
ネット漏れした番組を東京12チャンネルが拾うケースもまま有り、
関東ではこの番組も、12チャンネル火曜夜9時から放送されていました。
ただ、系列外ネット番組だからでしょうが、12チャンネルの社史では触れられていません。

テレビドラマ全史は空前にして絶後の資料本でしたが、仕方なくも惜しむらくは、
関東局で放送されていないドラマがほとんど扱われていないのですね。
そんな中、この番組がちょっとした手違いで、選に漏れてしまったんでしょう。
それにしても、そこまで関西主導なのに、何故か制作会社は『東京映画』なんですよね。
きっと制作費が安かったんだろうなあ(笑)。
当時の12チャンネルのゴールデン時間帯のドラマという事で、
実際に見た方は、関東では非常に少ないと思われます。
でもワタクシ、先にも書いたように、なんか見た気もするんですよね。

毎日放送社史によれば、食堂車を舞台にした青春ドラマだったとあります。
主演は高橋紀子で、真屋順子も出ていたようです。
主題歌を歌った水前寺も、もちろん出演したと思うのですが、
レギュラー陣の一人という感じではなかったと思います。
ただ、例によって劇中で歌ってはいたと思うんですよね。
OPは、『ありがとう』のように無地タイトルバックだった気がするのですが。
おそらく例によってこれも映像は残っていないと思われ、
皆さんのご記憶に頼る他は有りません。
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[猫カフェ]futaha



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コメント
この記事へ寄せられたコメント
大阪では番宣のオンパレードでした。
在阪局と日本教育テレビの不仲は、今更言うまでもないことですよね。
特にラジオ局でスタートしたMBSにしてみれば、日本で2番目に古い民間放送という矜持もあったと思います。
それゆえ、キー局でありながら、ドラマの制作は東映オンリーという状況のNETに対して、
「何がキー局やねん!エラそうに抜かすな!」なんてボヤキが、日常茶飯だったのでは…と思います。

さて、『いつでも君は』ですが、当時は大阪在住でしたので、
MBSで番宣がやたらと流れていたのは覚えています。
もちろん、チータのテーマ曲がバックに流れて
「『いつでも君は』、毎週火曜日ヨル9時からの放送です」というようなナレーションが入っていたはずです。
設定も新幹線ではなく、在来線の特急か急行の食堂車という設定だったと思います。
ただ、残念ながらキャスティングは全くと言っていいほど覚えておりません。
これが痛恨の極みです…。

おじゃましました。
2010/11/25(木) 01:29:20 | URL | 甚六
後の毎日放送と東京12との関係を暗示した格好となったドラマですが
ドラマの内容面については私も見ていなかったもんで、語るべき程の事は言えませんが、後の「ありがとう」に相通じる人情系ドラマだったと聞いております。
ちなみに東京12会長も兼務していた経団連会長が毎日放送に東京12の売却を申し出たのが、時系列より昭和42年の始めごろ(その前年に東京12をNHKの第3チャンネルとする法案が提出されたものの政界黒い霧疑惑で国会紛糾の影響で廃案となった)と推測され、それに合わせたかの様に昭和42年4月期にNET-毎日放送のG帯のネット番組が激減した結果、火曜9時も事実上ローカル枠となり、このドラマが作られ、東京12に同時ネットされたという事なので、この番組自体は後の「部長刑事(ABC)」の様な番組販売ネットという形だったかもしれませんが、ゆくゆくの東京12-毎日放送のネット確立も視野に入れての事だったのでは無いかと思われます。
只、東京12は長らく放送開始時刻が朝9時だった程の製作能力の低さとコンテンツ不足で、全日帯についてはどうしても毎日放送も番組立ち上げに関わった「モーニングショー」や「アフタヌーンショー」等を持つNETに軍配が上がる(1970年前後、非G帯ではNETがNHKに次いで2番目の視聴率を記録していたそうです。)という点が悩ましい点だったと思われますけど。
2010/11/25(木) 09:51:05 | URL | TXの無いテレビなんて・・・
● 甚六さん
ん? 不仲だったという話は初耳ですが。
そんなに有名な話ですか。
そうですよね。関西ではメジャー局でやっていたわけですから、
覚えている人も結構いるのかもしれません。
是非コメントを頂きたいですね。
食堂車というのは、昔の特急の食堂車ですね。


● TXさん
12チャンネル社史では、毎日放送とのネットの事は、ほとんど完璧スルーです(苦笑)。
先方に遠慮しているのかもしれませんが、その性格上、
もう少しきちんと歴史を語って欲しいものです。

唯一と思える記述が、昭和42年に「黒ネット受け始まる(毎日放送から選抜高校野球)」というものです。
黒ネットとはコマーシャル込みのネットらしいですが、
おそらくこの番組も、黒ネットだったのでしょう。
2010/11/27(土) 00:13:23 | URL | ごいんきょ
NETと仲が良ければ東京12チャンネルと資本も含めた包括的な業務提携など結ぼうとは考えないであろう訳で
そもそも毎日放送からすれば、日本教育テレビとのネット自体、他に選択肢が無くなったが為の言わば「残り物同士」の組み合わせに過ぎず、不本意の相手だった訳ですね。
だから関東の12チャンネルがテレビ用に開放された際に、中央教育放送設立に一枚噛み、郵政省との出来レースの様な形で科学教育振興財団に免許が下ろされると「選定過程が不明瞭」と法廷に訴えたりと新たな関東での拠点作りに躍起になっていた訳です。
このドラマも毎日放送は当初NETのラインネットを想定して企画されたもののNETに拒絶され、ならばと関係が出来つつあった東京
12チャンネルに同時ネットされる事になったという経緯のようです。
キー局として機能し得る程の放送設備の充実を誇る千里丘放送センターを背景に再三再四自社制作ラインネット枠の増枠を求める毎日放送に対して、在京キー局としての立場から在阪局枠の増枠を認めないNETという構図が腸捻転解消まで続いた関係でした。
毎日放送と入れ替わってNET系列に入った朝日放送だとNETのラインネット番組のネット受けの拒絶こそ再三見受けられたものの、自社制作ラインネット枠の増枠を求めるまでいく事は極少なかった為にNET側から見れば「毎日放送の頃よりは関係は改善」という認識だった模様です(笑)。

番組関連の話も少しすると、このドラマが縁となって、主演の高橋紀子さんは寺田農さん
との結婚に至ったとみられます。
2010/12/09(木) 04:10:16 | URL | TXの無いテレビなんて・・・
関西のテレビ事情についてはまだ不勉強なのですが、
毎日放送と朝日放送は元々出自が一緒で、
大阪テレビという局を母体としているようですね。
テレビ初期は、新聞社が放送権益も独占する事に反発が非常に強く、
一新聞社が一テレビ局を持つという発想ではなかったわけです。
道義的にも結果的にも、ワタクシはその指摘は正しかったと思いますけど。
もし新聞とテレビでメディアを分け合っていたら、大連立だのなんだの、
フィクサー気取りの老害がマスコミを席巻する事も無かったんじゃないかな。

それはともかく(笑)、かような次第で、テレビ局自体の成り立ちは大阪の方がかなり複雑なのですが、
現ネットワークの元となる新聞資本との関係については、大阪が原型のようになってますね。
さてNETなのですが、これは日本教育テレビという名称だった通りの教育局で、
現実的にはともかく(笑)、番組制作に結構な制約が有りましたから、
関西局が嫌っていたのだとすれば、おそらくこの辺が原因なんでしょうか。
関西局も幾許かの制約は有ったんですが、それが重なるとより不自由になるという事で。
2010/12/13(月) 02:33:31 | URL | ごいんきょ
大阪テレビ放送について
以前、ごいんきょ様のコメントで
「毎日放送と朝日放送は元々出自が一緒で、大阪テレビという局を母体としているようですね」
とありましたが、残念ながらこれは正しい表現ではないように思います。
あえて言うならば、
「かつて毎日放送(新日本放送)と朝日放送は、合弁で『大阪テレビ放送』を設立した」
とするのが妥当かと存じます。

言うまでもなく、毎日放送と朝日放送は出自が異なります。なおかつ、今も昔もライバル関係にある事に変わりはありません。
では、なぜ、その「商売敵」同士が一時期とは言え、テレビ放送で手を組んだのでしょうか?
その「いきさつ」と「帰結」については、
川崎隆章さんのブログ
「まぼろしのテレビ局(http://www.honza.jp/author/5/D-kawasaki)」に
詳しく記されております。
是非、ご覧下さいませ。

おじゃましました。
2010/12/27(月) 23:19:48 | URL | 甚六
日本短波放送を母体に出来た日本教育テレビ
当時の事情を知る人の話ですと毎日放送がNETと組むのを躊躇したのは、教育局という事に加えて、NETテレビの母体となったラジオメディアが株式市況、競馬中継、プロ野球実況の3つで番組タイムテーブルの殆どを占めていた(現在も中心は株式と競馬ですが(笑))日本短波放送(現在のラジオ日経)で、当時花形メディアのAMラジオで数多くの全国ネット番組も製作していた毎日放送(勿論朝日放送も同様でしたが)から見れば、番組製作能力に欠け、且つ、全国一律メディアである短波放送はAMメディアにとって言わば
敵であるという2点より、出来れば組みたくない相手だったという事のようです。
ネットチェンジでネットを組む事になった朝日放送が嫌ったのは.......、「民放の雄」TBSから「万年4位」のNETじゃ普通嫌でしょうな(笑)。

只、こと教育番組については準教育局として開局した毎日放送も自社制作の小学4年地理「わたしたちの近畿」が学校教育で広く活用されていた(1999年まで放送が続けられた)事もあって、こと熱意等に関してはNETにも優るとも劣らない、いや、昭和40年代以降はとっとと「教育局」の看板を下ろしたかったNETよりも熱心だったと言っても良いくらいで、その延長線上に「キリンものしりシリーズ(毎日新聞系の幾つかの局にもネット)や「まんが日本昔ばなし」があった訳ですね。
只、教育番組を放送している局という自負や、「わたしたちの近畿」で近畿各県教育委員会から番組製作等の協力を受けていた事が「23時ショー」の放送打ち切りの遠因の一つとなった様にも思わないでは無いですが(笑)。
只、「23時ショー」の打ち切りはそれだけでは無く、ローカルセールスの形でのネット(11PMと同じ形)で且つ自社制作枠として与えられたのが金曜日しか無く、スポンサー集めに相当苦労したという事情の方がかなり大きかった様で、それならば自社制作番組や資本提携していた東京12の番組を流した方が営業面でもプラスと判断したというのが実際の所だった様です。


2011/01/01(土) 19:29:24 | URL | TXの無いテレビなんて・・・
● 甚六さん
ああ言葉が足りないですよね。
甚六さんの訂正通りです。
ご指摘のブログは初見ですね。
ボリュームが半端ではないので、おいおい読んでいきたいです。
読売は大阪が本拠というわけではなくて、よそ者だったのですね。
製薬と新聞、なぜ大阪が中心地になってるのか不思議なんですが。


● TXさん
極言すると、NETや12チャンネルと組まされるのは御免だという空気ですね(笑)。
毎日放送も教育局だったんですよね。
テレビに対する風当たりがそれだけ強かったし、運営する側にも慎重さが有ったわけですが、
今はあまりにもタガが外れすぎていて、もう少し制御の必要が有ると思ってます。
ま。そんな一意見なんぞ屁でもない政治力を向こうさんは獲得してしまっておりますが。
2011/02/11(金) 05:58:49 | URL | ごいんきょ
朝日・毎日の全国進出に大きく貢献した広告代理店・萬年社
商人の町大阪では、1890年に日本最初の広告代理店として萬年社が生まれ、ここが当時の地元紙朝日・毎日と提携し全国紙化に大きく貢献したとありますね。
そしてその朝日・毎日の紙面上で大々的に道修町等の大阪の薬の広告を打ち、これで大阪の薬が全国的に有名になったんですな。
大阪の製薬会社等の企業と萬年社との関係の深さは、アップダウンクイズに萬年社が深く関わっていた(構成担当の堤章三氏は放送開始当時、萬年社社員だった。)件や牛乳石鹸と萬年社との結び付きの深さ(萬年社が1999年に倒産後、牛乳石鹸等かなりの関西企業のテレビCMが消滅した事も含めて)等と挙げられます。
つまり電通商法の元祖は大阪にあったと(笑)。
勿論、江戸期から道修町の薬問屋、船場の繊維問屋と既に基盤はあった訳ですけど。
そして関東大震災に乗じて、朝日・毎日が関東で大きく部数を伸ばし、それに東京紙で唯一立ち向かった務台氏の報知、そしてその務台氏を引き抜いた読売の大正力という歴史となる訳ですが、この辺まで書き出すと非常に長くなりますから割愛します(笑)。

毎日放送も12チャンネル開局時には裁判まで起こした程ですからねえ。
毎日放送の場合、終戦後間も無くの時期に、いち早く民間放送立ち上げに動き出したという設立経緯に依る点も大きいでしょうね。
東京、大阪、福岡と、いち早く民間放送立ち上げに動き出したのは毎日関係者なんですが、その中でも一番真っ先に動き出したのは大阪毎日系なんですな。
NHKを東京発の「旧」日本放送と見立てて「新日本放送」という社名を付けたのは伊達では無い訳で、その社名には紛れも無く新たに立ち上がるであろう民間放送の中心(キー局)となる野望と「戦後日本の民主主義発展には大阪発の民間放送で東京発の官製放送に牽制・対抗すべき」という戦前の大本営報道の反省も含めた理想が込められていたと思いますね。

2011/02/12(土) 21:14:46 | URL | TXの無いテレビなんて・・・
大阪と製薬会社の関係について
大阪市の中心部に「船場」という一帯があります。現在の船場は問屋を中心としたオフィス街ですが、
秀吉の時代、船場の商人達は長崎から届いた輸入品を主に取り扱っていました。
16世紀末になると、中国やオランダから輸入された生薬原料を扱う
「薬種商」が、船場の一角である道修町界隈に集まり出し、17世紀半ばには100を超える薬種商が軒を連ねるようになります。

そして八代将軍吉宗の頃(1722年)、薬種商の同業者団体である「薬種中買仲間」が株仲間として
幕府に認可されたことで、輸入された生薬材料は一旦道修町を経由して、全国に流通されるようになりました。
この薬種商が各製薬会社の前身であり、一例として
「近江屋」は「武田長兵衛商店」を経て武田薬品工業となり、
「田邉屋(五兵衛)」は「田邉五兵衛商店」から田辺製薬(現・田辺三菱製薬)に、
「伏見屋(市兵衛)」は「小野市兵衛商店」を経て小野薬品工業に、
「塩野義三郎商店(しおの ぎさぶろう商店)」は塩野義製薬に、
それぞれ発展していきました。

…以上が、大阪と製薬会社との関係(あらまし)です。

おじゃましました。
2011/02/13(日) 15:32:23 | URL | 甚六
● TXさん
萬年社が最初の代理店だったんですか。意外。
惜しむらくは、倒産してしまったんですね。
どこも手を差し伸べられなかったんでしょうか。
文献・資料がきちんと継承されているらしいのが救いです。
しかし、製薬、代理店、新聞、それらがそんなに歴史的に密接に結びついていたとは、
この年になっての再発見です。
新日本放送についても勉強の必要ありますね。


● 甚六さん
12月を英単語でなんと言うかの語呂合わせで、「師走デセンバは大忙し」というのが昔あって、
今でも時々思い出しては笑うくらい馬鹿馬鹿しかったのですが(笑)。
船場とは船着き場くらいにしか思ってませんでしたが、日本文化史で非常に重要な位置を占めているのですね。
薬と言えば富山としか思ってませんでしたが、商業として発達するには大都市・大坂という舞台でなければならなかったのですね。
2011/02/20(日) 08:07:52 | URL | ごいんきょ
道修町系
製薬会社も相当再編が進みましたね。

いわゆる道修町系製薬会社でも、タケダや塩野義はまだ独立して残ってますが、田辺製薬は三菱ウエルファーマ(この会社もここにたどりつくまで合併の繰り返しでした)と合併して田辺三菱製薬に、藤沢薬品は山之内製薬と合併してアステラス製薬に、大日本製薬は住友製薬と合併して、大日本住友製薬になりました。

また、最近の再編の特徴として、医療用医薬品と一般用医薬品(今でいうOTC)の分離があります。

アステラス製薬は合併時に、OTC部門を切り離して、ゼファーマという別会社を設立し(後に第一三共ヘルスケアと合併して、ゼファーマはわずか3年の命でした)、大日本住友製薬も、合併時に、大日本はOTCを興和に売却し、住友製薬は、金鳥系の別会社、ダンヘルスケアという会社を設立し、OTCを売却しました。

関東勢でも、第一製薬と三共が合併して第一三共となったときに、OTCを第一三共ヘルスケアという別会社にして、中外製薬は、合併や経営統合ではないですが、OTCをライオンに売却しました。

特に、第一三共ヘルスケアは、前述のようにゼファーマと合併したため、三共のOTCは、三共、第一、山之内、藤沢の4社の製品が発売されているという(当然商品の整理はある)非常にややこしく、また昔では考えられないことになってます。

その中でも、売れている商品は生き残っているし、かつてのライバルが併存している(風邪薬は三共のルルと藤沢のプレコールが両方残ってます)面白いことになってます。
2011/02/20(日) 08:23:25 | URL | 10000k
小野薬品
書き忘れてました。

そういえば、小野薬品も道修町系で、今でも単独で残っていますね。

小野薬品は、昨今の製薬会社の再編のはるか前から、一般薬から撤退してしまいましたね。

最近、皮膚科で、バラマイシン軟膏をもらいましたが、小さい頃、よく使っていたため(当時はテレビCMをやっていました)、すごく懐かしく思いました。
(;_;)

ちなみに、一般薬の代表商品だった胃腸薬のタフマックは、 今でも医療用医薬品で残ってます。
2011/02/20(日) 08:35:37 | URL | 10000k
通りすがりですが
いつでも君はの画像、まして動画はやはりないのでしょうね。

私の記憶では、いつでも君はの曲のサビの部分で、列車(おそらく当時最新鋭のブルトレ)が俯瞰で撮され、一本が10本にのあたりで、画像も線路のポイントを通過していくという画像でした。小学生だったので内容は覚えていませんが、この曲の妙な郷愁はいまだに残っています。
2011/08/28(日) 00:26:54 | URL | 肉食強弱
● 10000kさん
なるほどねー。
いろいろ面白いですので、薬品スレ立てた時にもご教示して戴けると助かります。


● 肉食強弱さん
怪しい感じですよねー。
あー。列車の映像でしたっけか。
言われればなんかそんなような気もするけど、曖昧です。
2011/08/28(日) 22:29:13 | URL | ごいんきょ
オープニング映像
こんにちは
歌詞から検索してたどり着きました

OP映像ですが私の記憶ではイラストで描かれた細い列車が上下左右に何本も走っているものだったように思います
やはりいかんせん記憶の奥底なので他の映像が混ざっているかもしれませんが
いかがでしょう
2012/09/27(木) 22:04:35 | URL | ノノ
いらっしゃいませ。
イラストでしたか。
うーむ。たしかにそちらの方がしっくり来るかも。
2012/09/28(金) 23:50:04 | URL | ごいんきょ
「いつでも君は」について
約45年も昔の余り有名ではないTVドラマを懐かしむ方が他にもいらっしゃるとは感激です。私もその頃高校卒業前。当時の12チャンネルはモノクロで画像も悪くしかも毎回見ていた訳でもないので記憶も定かではないのです。主演は東宝女優の高橋紀子、真屋順子もレギュラーで水前寺自身もたまに出演していたようです。確実なのは高橋が当時東京ー長崎間のブルトレ「さくら」号の食堂車のウェイトレス役。故大泉晃や島かおりがゲスト出演していたのを断片的に、またBGMが郷愁を誘うように印象的だった記憶が微かに有るだけです。つい先頃佐世保へ行く為初めて長崎本線に乗りました。沿線の山塊を望む風景もその場面にあったようで懐かしく旅をしてまいりました。奇跡的にフィルムの一部かスチール写真でも残っていて欲しいと思わせる何故か忘れられない番組であります。
2013/01/03(木) 21:10:20 | URL | 六無斎
さくら号だったのですか。
思えば、鉄道って良いですね、日本名で。
自動車ももっと日本名を使うべきと思うんですが。
その方が却って外国ではウケるんじゃないかな。

おそらくフィルム撮影だと思うので、どこかに残っているとは思うんですがねえ。
写真は、局には有ると思いますよ。
たしか株主だかスポンサーだかに申し開きするために、
どんなミニ番組でも少なくとも1枚は写真を撮っているはずです。
まあ紛失の可能性も無くはないですけどね、日本のテレビ局じゃ。
2013/01/04(金) 09:53:56 | URL | ごいんきょ
新参者から失礼致します。
拝啓 皆様方の知識とご記憶、本当に感服しております。この当時自分は10歳でしたが、間違いなく観た記憶があるのですが、どうしても肝心な部分が思い出せないのです。よって今回、主題歌「いつでも君は」についてのみ知っている事を書かせて頂きます。このとても印象的な名曲は、中学生の頃「水前寺清子さんの17センチLP」を買った際にカップリングされていた名曲でした。只このジャケット解説に重要な事が書かれていました。それは、この番組のための曲では無くて、オリジナルタイトルが「100万本のバラ」と言うのです。残念ながら今日この17センチLPが何処かにしまい込まれており見つかりません。どちら様かこの説を修正補強して下さる方がおられましたら。とにかく感じたのは「1オクターブと言う狭い音域の中で、これだけ見事に音符を動かして複雑かつ印象的なメロディーを創られた方は何方か?」ここで「米山正夫氏」を知ったのです。調べますとやはりクラシック音楽専門の音大を卒業され、オペラ歌手のピアノ伴奏で修行されたと。やはり基本はクラシックにあったのかと今更驚かされました。アレンジの「小杉仁三さん」は水前寺清子さんのアレンジの他、レインボーマン新規アニメ化の際のアレンジも担当され、アレンジャーとしてはトップクラスの素晴らしい実力の持ち主でした。また当時の映像保存についてですが、「東京映画=東京映画新社=東宝」と変わり、30数年前に某フィルムの行方をリサーチした再、此処のTSさんより当時の作品フィルムはほとんど保存してあると。但し保存がかなり良い東宝であっても、中には依然不明な作品もあります。しかし東映よりもかなり良いと言うのが残念ながら自分の正直な感想でした。おそらくは元ネガだけの保存の上に旧態劣化しているでしょう。フィルムならば、まだ望みは在ると信じております。敬具
2017/04/21(金) 12:46:03 | URL | よしたかくん
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