私的 昭和テレビ大全集
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やじうま寄席 (1971)

該当番組画像募集
ワタクシが最もノメリ込んだお笑い番組って、
ひょっとしたら『お笑いスター誕生!』だったかなと思います。
その前番組がこれでした。
日テレ土曜お昼は後楽園ホールからの公開お笑い番組というのは、
昭和時代不滅の定番であり続けたのであります。

寄席とタイトルされてますが、会場は後楽園ホールだし、
いろんなコーナーは有るし、歌も有ったし、のど自慢まで有るし、
大挙出演しているのが主として寄席芸人っていう話であって、
番組形態としてはショー番組と分類するのが至当と思われます。
最初期の司会は山のアナアナ、三遊亭円歌。
何故か円歌について、ウィキペディアでは完全スルーですが…

円歌時代には「話題の人」というコーナーが有って、
時の人を呼んで話を聞き出していたと言います。
同様のコーナーは昔の笑点でも有りました。
まあこの番組、笑点二軍みたいな雰囲気ありましたけどね(笑)。
円歌の次の司会が、その笑点を追ん出されて二軍落ちした談志(笑)。

もっとも談志はその頃、まさかの政治家様、国会議員様。
故か石原慎太郎だの政治繋がりの出演者も多かったらしい時分です。
そしてこの参議院議員生活をおっぽり出さざるを得なくなって、
その流れでこの番組も降板となり、後任はヨイショッと、月の家円鏡となりました。
この頃、チャリティーオークションが人気だった大正テレビ寄席も末期の様相で、
だからか真っ向からパクッたオークションコーナーが有りました。
もっとも、こちらは日本テレビですから。

あの、裏番組をぶっ飛ばせで、野球拳で女性タレントに脱がせた服を売っていた、
あの日本テレビですから、という事で、ぬぐぬぐバーゲンというコーナーも有りました。
土曜の真っ昼間っから半裸の女性が。けしからん。
しかし、当時まだほとんど週休一日ですし、大人の男はまず見てない時間帯なんですが。
どのような判断でそのようなコーナーを作ったのか、はなはだ疑問です。
普通に考えれば小中高生などの子供を引っかけようとしたんでしょうが、
それならば正真正銘、けしからぬ話です。

円鏡司会当時、番組開始のコーナーはのど自慢でした。
あの歌この歌変な歌 開けてビックリ見てビックリ
夢と希望とガックリと またもやお送りする、玄人のど自慢。
キンコンカンコン鐘を叩いていたのが毒蝮三太夫で、
伴奏は、ここでもかーの、横森良造のアコーディオンでした。
「横森良造さんです」と司会にアナウンスされ、カメラが姿を捉えた時の
♪ タララ タッタタッタタッタ タッタタ~~ンという自己紹介演奏が懐かしい。

のど自慢は素人がやるわけではなく、5組の芸能人がやってました。
芸能人と言っても、基本的にほとんど寄席芸人でしたが。
審査していたのは淡谷のり子やディック・ミネ。
審査員姿が多かった印象の淡谷ですが、その始めはこれでしょうか。
始めと言えば、ツービートの漫才が初めて電波に乗ったのはこの番組だと言います。
それを見た談志が、「今に天下を取る」と激賞したとも伝わりますが。

番組形態は純粋な寄席とは離れ気味でしたが、
まあ寄席芸人達がやっている副業ショップといった風情で、
昭和土曜ののんびりした空気にはハマッておりました。
♪ 宇津救命が~ん とか ♪ 毒掃丸 パヤッパヤ 毒掃丸 とか、
大塚~角萬~ とか、流れていたCMも、昭和関東土曜ののんびりした空気を
そのまま思い起こさせてくれるようなものが並んでおりました。
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コメント
この記事へ寄せられたコメント
大人の事情
確か、番組開始から3年目くらいの時に何度か観た記憶があるのですが、当時の司会は談志・円鏡・毒蝮の三氏でした。12時半から1時間の放送でした。
当時の番組の流れは、演芸→悩み相談→のど自慢→オークションの順で、円鏡師匠は1時頃からののど自慢コーナーからの出演でした。「何で最初から出てこないのだろう」と長年疑問に思っていたのですが、実は円鏡師匠は、やじうまの真裏でやっていた正午台の歌番組の司会も務めていたからだったのですね。
悩み相談のコーナーは、談志師匠が視聴者あるいはゲストスターの悩みに答えるという内容でしたが、このコーナーでは「立川雲黒斎(うんこくさい)」を名乗っていました。まさかこれが、後に自ら名付けた戒名になってしまうなんて…
2011/11/27(日) 09:47:56 | URL | うみがめ
この番組は時間帯にけっこう変遷が有りますが、
ご指摘の頃はそんな事情でしたか。
円鏡さんも人気者だったですからね。
悩み相談は思い出せないなー。
雲黒斎、聞いた事あるなーとは思ってたんですが、この番組でしたか。
他でも使ってたかな。
2011/11/27(日) 20:41:05 | URL | ごいんきょ
雲黒斎の悩み相談
Wikiでは全くふれられてませんでした(汗) 代わりに(?)幼なじみ同士の老人が出て昔の思い出を語り合うコーナーや進軍ラッパの音と共に色々な場所で撮影したVTRを流すコーナーがあったそうです
またオークションでは毎年年末に富くじのようなものをやってたそうで 観客が富くじ(1人1枚100円でその金は愛の小鳩事業団に寄付された)を買ってその場で木札を突いて当選者を決めるという内容でした
2012/08/03(金) 23:42:39 | URL | 鉄ドン
ほとんど思い出せないんですが、木札を突いてってのは猛烈に懐かしい感じが。
2012/08/04(土) 05:08:39 | URL | ごいんきょ
ツービートが星セントルイス
と、新人タイトルマッチのコーナーで毒蝮三太夫が立川談志に
どうだい、談志と毒蝮が尋ねると
談志の鶴の一声でツービートの勝利
と、言ってたのは記憶に残ってる。
これは覚えてる。
で、談志はセントルイスにはクソミソこきおろしてました。
それだけ談志、ビートたけしには
芸に対する先見の明が
あったのでしょう。
のど自慢、オークションはおぼえてません。
オークションと、いうといまや
ヤフーや楽天のネットオークションに、なってますが。でもぼくは
ヤフーや楽天のオークションは
ネットオークションは好きです。
 
当時は演芸ブーム全盛期のころで
他にも土曜日のほうは 
テレ朝の末広演芸会
日曜日は大正テレビ寄席 
サンデーお笑い生中継、笑点
やってましたね。
笑点はいまもやってますが
このころの笑点は三波伸介司会の時代、三波時代、三波歌丸小円遊時代だったし、このころの笑点や
演芸番組全般は 
本格的な芸を見せてくれていた
番組だったから見ごたえもあったし面白くて大好きだったね。 
2012/08/09(木) 12:25:56 | URL | サイドスロー
ほぉ~。新人タイトルマッチで、ツービートさんとセントルイスさんが対決したんですか。
それはまた貴重な回をご覧で。
談志さん、なんでセントルイスさん叩いたんでしょうか。

末広演芸会もそのうちやりたいですね。
テレビ寄席も早くやらないとなあ。
2012/08/11(土) 02:06:09 | URL | ごいんきょ
土曜日のお楽しみ
当時は学校があり、土曜日は半日だった事と、特に見たいものがなかったから(爆!)よく見てました。確か大喜利があり、その中になぜか小島三児さんや一龍斉貞水さんがいた気がします。他に桂小益(今の文楽師匠)や立川談プと言う談師匠の弟子もいたと思います。後、忘れられないのがモダンカンカンの皆さん方です
2014/05/27(火) 23:02:25 | URL | かむい
続き
テーマソングも♩地球の上に~ではなくてこんなのだったと思います。()はメンバーのコーラスでそれ以外は灘浩二さんがソロでした。♩さ~さ歌いましょ(さ~さ笑いましょ)さ~さこのリズム(さ~さ
このメロディー)唄えば天国(天国)パ~ラダイス~(一緒にカンカンカンカンカンカンカン)お馴染み灘浩二と(モダ~ンカ~ンカ~ン)こんな感じでしたね!
2014/05/27(火) 23:16:12 | URL | かむい
初期には大喜利ありましたよね。
たしか、これも初期笑点と同じで、毒蝮さんが座布団運びだったかと。
顔触れは忘れてしまいましたが、小島三児さんと貞鳳さんとかやっていたなら、かなり珍しい感じですね。

モダンカンカンさんの動画ありました。
https://www.youtube.com/watch?v=qVdILXXZi2s

元はあきれたぼういずですよね。
https://www.youtube.com/watch?v=mRD_Yqhz53U
2014/05/29(木) 22:02:23 | URL | ごいんきょ
やじうま寄席のオーデション
1972年、じろりんが浅草松竹演芸場で芝居をしていた頃、フランス座でエレベーターボーイをされていた、たけしさんに会いました。暫らくしてツービートで演芸場に出られるようになりましたが、その頃はセントルイスの方が売れていましたし面白かったです。数年後、私もコンビを組んでいた時、やじうま寄席のオーデションに行くとツービートと一緒になりました。まだ漫才に自信がなかった頃だったのか、局の廊下で頭を抱えておられました。ブレイクされるのは、この数年後になります。
2015/06/02(火) 07:48:48 | URL | じろりん
ブログ拝見しました。
いや~、たけしさん、ご記憶でしょうかねえ。
わりと気が弱そうな感じ有りますから、お話は得心できるものが有ります。
青空球児さんとか、浅草の人では、ツービートという凄い奴らがいると噂だったとか、
舞台袖で一番同業から注目されていたという話を聞くのですが。
2015/06/03(水) 04:09:58 | URL | ごいんきょ
ツービートの思い出
ブレイク直前の昭和53年秋、地元のイベントにツービートが営業に来ました。演芸番組で目をつけていた母親は休憩時間に楽屋へ差し入れへ。母曰くキヨシ師匠は饒舌だったそうですが、たけしさんはすごく照れていて目も合わせなかったそうです。画用紙に貰ったサインは我が家の家宝でした。
2015/06/04(木) 18:55:08 | URL | とらお
きよしさんは陽の芸人、たけしさんは陰の芸人って感じかな。
それに、たけしさんの場合は、芸人しかできないからやってるんだ
っていう生き方じゃなかったですね、昔から。
2015/06/07(日) 10:43:29 | URL | ごいんきょ
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