私的 昭和テレビ大全集
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らくご IN 六本木 (1981)

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あたしゃ小学生の時にお楽しみ会で落語ぶった事が有りましてね。
ウケましたねえ、そりゃあの時分。
てめえで考えたワケじゃねえんだ。本の丸覚え。
それだってアンタ、ガキの分際でつっかえもせずにスラスラまくしたてりゃ、
同級生にそんな野郎なんざ二人といませんからね。こりゃウケた。
こいつが良くなかったね。
人間ってのは勘違いを道理と認識して生きていく生きモンですからね。
勘違いを道理と認識すりゃ本人にとってはそれが道理なんだが、
他人様からすりゃあくまでも勘違いってのが道理でね。
何言ってるかわかんねえだろうがそりゃそれでいいんで。

とにかくあたしの勘違いがそっから始まったのかもしんないね。
俺は面白えんだっていう。
ところが或る時、気付くわけですよ。
成長すりゃ客観性も出てくるってんで、てめえの至らない点が見えてくる。
ま、アタシの事なんざどうでもいいんだ。
問題は落語なんであってね。
落語ってのはもうしめえなんですよね。
道理で考えればそうなるんですよ。

でも落語が好きな連中はネ、なんとか落語の寿命を延ばしてやろうって、
四六時中そんな事を考えてたりもしてきたんですよ。
連中って書いたけど、実際そんなに多いかどうかあたしゃ知りませんよ。
まあ噺家じゃ立川談志、それに三遊亭円楽ってとこが代表かもしれないね。
この二人が小さんとか圓生継がないで、どっかの坊ちゃんが
名前だけ名人上手になってお金かき集めてさ。
そりゃ落語も終わるだろって話でね。
あの野郎はしっぺー(失敗)じゃねえかってなモンでしてネ。

とまあ、こんな具合に本題のハナシの前に、自然と客の興味を惹き付けるために
言ってみりゃわりとどうでもいい話をしゃべるのを「マクラ」って言いましてね。
まあ落語の本筋だってわりとどうでもいいハナシって言えばそうかもしれない。
ま、そりゃそれとして今回なんでこんなマクラやってるかって言えば、
談志の野郎がとうとうおっ死んじまいやがったんでね。
シャレのわからねえ野郎だよなあ。
死ぬ死ぬガンガン言ってて120まで生きやがんだろどうせなんて、
こっちは思ってるわけですよ。憎まれっ子なんとかって言いますしね。
本当に死んじまってどうすんだよどうオチつけんだって事なんでしてネ。
しようがねえからコッチで「だんしがしんだ」って言うしかねぇじゃねぇかって。

ああ見えて実は小心モンで、ちったあ善人に見られたかったのかもしんないね。
了見の良くねえ野郎だったしね。
でもまあ、野郎は野郎なりに落語の事ばっか考えてたのは間違いないと思うんですよ。
野郎なんて言っちゃいけない。師匠です。立川談志師匠。
ンな事ァわかってんだよ、こっちだって。
なんかしんねえけど談志の口移しで書きたくなっちまったんですよ。
上手いか下手かなんてどうでもいいんだ。あたしがやりたいってダケの話でね。
もし不愉快に感じた人がいたらごめんなさい。
腹ン中じゃ御免なんてこれっぽっちも思ってないですけどネ。
仕方ないんですよ、大衆ってのを相手にすると。


落語の寿命を延ばそうって考えてたのは何も噺家連中ばかりじゃなかったんでしてね。
落語が好きだって物好きは結構いるもんでして。
高田文夫なんてのもそんな物好きの一人だったんですよ。
そんでこの人が司会進行で、フジテレビの深夜にやってたのが今回の番組ってワケでして。
世間は MANZAI ブームから漫才師がスターになって、チャンネルひねりゃ
アッチもコッチも漫才師が顔出してってのが続きましてね。
ひょうきん族ってのがこれを後押ししててね。
ま、言ってみりゃちっと余裕ができたんだろうねえフジテレビも。
昔は振り向けば12チャンネルなんて言われてましたけどネ。
MANZAIブームでしこたま稼いだんでしょう、さて次はとなった。
そン時に落語を押した人たちがいたって事なんでしょうねえ。

高田文夫。
後で正式に立川流に入門して藤志楼と名乗るんですがネ。
ビートたけしと一緒にこの番組で、談志の前で口上やったらしいんです。
彼がよくやってくれました。
滑舌は悪いんですがネ。
噺は面白いから構わねえんじゃねえかって。
半端な噺家じゃ足下にも及ばないよ。
しっぺーなんか相手にならない。
いけね。奴は噺家じゃなかったね、まだ。

でこの藤志楼が司会とホンやってたこれってどんな番組だったのよって事なんですが、
一言で言えば近代的落語をやろうって事だったんじゃないのかなあ。
何が近代的かってのはこりゃ難しい。
そんなな出てる奴が一人一人考えれば良かった事であってネ。
小屋は新しかったですよ。
名前見りゃわかるでしょ、六本木でやってました。
そこに俳優座ってのが有ったんですよ。
有ったんですよつっちゃいけない。今も有るんでしょうが、
とにかくそこを借りましてネ、公開でやった。

まあ、こうしたね、舞台設定なんかが新しかったですよね。
落語って言えば寄席から中継とかなんとか演芸場とか、
そんなのばかりでしたからね。
なんとか若い奴に迎合しようって事だったんでしょうが。
「MANZAI」に対して「らくご」と書きましてね。
なんとか噺家にも光を当ててやろうってえ事だったんでしょう。
それが上手く行ったか行かなかったかって、これは見てる人の判断も有るでしょうがね。
或る人は5年そこらも続いたんだからってえ人もいるでしょうし、
そうかと思えば代表する噺家が育ってないとかね。
そりゃ有るでしょう。

アタシなんかはTBSでやってたヨタロ~の方が面白かったけどね。
こんなことここで書いちゃっていいのかな。平成の番組ですしね。
ま、よくないたって書いちゃいますが、ありゃ面白かった。
そりゃ番組の質は違いますよ。
アッチは落語家が出てるってだけのバラエティ番組だったですからネ。
立川流からは志らくと談春も出てたんです。
のらくなんてのも出てたんですから。こりゃちょっと通しか見てなかったかもしんない。
深夜3時ってんだからサ。誰が起きてんだよって。

その点こちらは深夜とは言っても0時台ですからね。
もっとも月曜深夜なんて堅気の人は寝てますよ。特に当時はね。
ちょっとイカレた野郎じゃなきゃ見てなかったかもしれませんがね。
そもそも噺家になろうなんて連中だって考えてみればイカレた了見の連中でしょ。
ただの一人でベラベラ腹の足しにならないことくっちゃべって
他人様から銭巻き上げようってんだからネ。
協調性が無い社会性が無い生産性が無いなんて穀潰しのやる事ですよ。
まともな了見の野郎がする事じゃないんだ。
だからまともな了見じゃなかった談志が達人になれたんだって、
そんなこと言ったらアタシは信者から呪い殺されるかもしんないですがネ。
だけど面白くないね。談志を善人扱いしたって。
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