私的 昭和テレビ大全集
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題名のない音楽会 (1964)

該当番組画像募集

只今、腐敗臭漂う地上波テレビなんぞ見ている暇が有ったら、
お金を出してでも絶対に見ておく価値ありとワタクシがお勧めする、
過去のテレビ作品を紹介中なのですが、今回は少々趣向を変えて、
現在までも放映が続いていると認識されている、この番組を扱ってみます。
もっとも、実際には何回かの改題を経て、現在また最初の題名に戻っているのですが。
ただ、内容も多少は変化してたとしても、本質的に変わったとまでは言えないでしょう。
シーラカンスのように、一社提供あたりまえ時代から生き続けている番組なれば、
昨今の腐敗臭漂う番組の数々とは違い、ワタクシもちょくちょく見ている番組であります。


この番組、実は始まりは、東京12チャンネル(現テレビ東京)だったのです。
当時はローカル局だったという事もあり、第1回からご覧だった方は、
さすがにかなりの少数派でしょう。
その時から、NET(現テレビ朝日)に移ってからも不変だったのが、
司会の黛敏郎、そして一社提供会社の出光興産。
加えて制作スタッフも替えないというのが、局移動の際の条件だったと伝わります。
そもそもは12チャンネルの制作者が、ポピュラーとクラッシックを結婚させたい
との想いから誕生したものだったようです。
往時、特にクラッシック側のポピュラー蔑視とも言える雰囲気は有ったでしょうし、
今よりもずっと、両者の垣根は高かった。
と言うよりも、両者の垣根が今日的に低くなったのは、
やはり先駆者たるこの番組の果たした役割が非常に大きい事、疑い有りません。

関係者が出光興産で試写を行い、翌日訪問すると、出光側はこう言ったらしいです。
「この番組は視聴率は取れないだろうし、アンケートの賛成も17%くらいでした。
 それでも当社はこの番組を提供します」
当時、出光興産は非上場の半ばワンマン会社で、オーナーの意向が強く働いたのは想像できます。
では、その出光佐三という人はどんな人物だったか。
これがなかなか痛快な人だったようで、逸話に事欠きません。
中でも特筆されるのが日章丸事件で、アメリカを後ろ盾に据えた上で
当時の石油メジャーを相手に一歩も引かず、イラン原油を扱いました。
また、敗戦という難局にも従業員一人の首も切らない事を至上命題とし、
大家族主義による経営を標榜した人でもあります。
このような人が、人材を「雇用の調整弁」として扱う経営者を
腕利きのように持ち上げる平成日本を見たらなんと言うのでしょう。
ま。それも小泉改革を支持した日本人自ら選んだ道なのですが。
出光も金融ビッグバカ以降の情勢には逆らえず、上場してしまい、
いずれは取る道が変わってくるのでしょうが、それが少しでも遅くなる事を念願しています。

そんな出光佐三の出光興産は、石油会社でありながら民族資本。
その逝去の際に昭和天皇御自ら弔歌を詠まれたといい、
それほど皇室、日本という国柄への想いが深い人物でもあったようです。
この番組の司会だった黛敏郎も、楽壇ではむしろ異端とされる保守派とされた人物。
この辺の関係も、きっと有ったのでしょう。表では語られませんが。
もっとも、この番組に対して「芸術に中断は無い」として、
途中にCMを挟まない構成にさせたり、美術館を開くほどの蒐集家だったり、
出光佐三という人物が芸術に理解あったという事が根本ではあるでしょう。
それ故か、番組内容には一切注文をつけない、制作側としては理想のスポンサーだったと言います。

その内容は、文字通り、ポピュラーとクラッシックを結婚させるための番組。
そのために、毎回毎回、様々なゲストが様々な企画を繰り広げました。
第1回のゲストは松尾和子と伝わり、彼女は後ろからの経験した事の無い音の厚みに、
感極まって泣いてしまったと言います。
その時は、ゲストの松尾も違和感あったでしょうが、
楽団の方は更に、松尾が出てきた際になんだなんだ?という空気だったようで(笑)、
そんな雰囲気も察知して、松尾には緊張も有ったのでしょう。
そのくらい、本格的なオーケストラが流行歌手のバックを務めるという事が、
本当に有り得ない時代であったのです。

その楽団は東京交響楽団で、TBSとの契約が切れて難儀していたのを、
12チャンネル側が好機と誘い水をかけたもので、ために条件は破格値だったと言います。
しかし、12チャンネルは番組を一つも作れなくなるほどの経営悪化に陥り、
この番組も更なる制作費削減を飲めなければ打ち切りという話になりました。
勿論、それ以上の制作費削減ができるはずもなく、
関係者は、スポンサー丸ごとの放送局移籍を決断しました。
と言って、TBSは東京交響楽団を切った張本人だから無理、
日本テレビには読響が有り、フジも日本フィルとの関係が有って、
NETへの移籍と落ち着いたわけです。
制作者・出演者・スポンサー丸ごとの局間移籍番組というのは、往時でも他に見かけません。
あの『おトラさん』も、スポンサーが替わりましたし(そのための移動でしたが)。
やはり、それぞれ局も後発でしがらみが少なめだったというのも大きいでしょう。

昨年、震災後の創業100周年広告として、出光興産は「日本人にかえれ」という出光佐三の言葉を載せました。
http://www.idemitsu.co.jp/100year/idemitsu_sazou/message.html
ワタクシも当時は、この大悲劇は日本人にとって大好機にしなければならないと夢想したものでしたが、
政治家連中やテレビを含めたマスゴミどもを先頭に、表の連中が大きく裏切ってくれました。
まあ、いくら非常時とは言え奴らにほんの少しでも期待したワタクシが甘すぎたんでしょう。
出光佐三のような思想が日本に於ける「保守思想」なのであって、小泉改革の基となった
「新自由主義」だの「保守主義」だのは、似て非なる左翼思想なのです、この日本では。
共産主義という怪物が死に体になると同時に、資本主義の中から同根の怪物が力を持ちました。
どちらもたかだか百年そこらの歴史しか持たぬ、未熟な稚児の如き思考です。
野田佳彦や 橋下徹 大先生も、そんな怪物の使い魔であるとワタクシは指摘しておきます。
出光興産には、難度が高くなっていくでしょうが、創業者の良い面は継承し続けて欲しいと思います。
『題名のない音楽会』という番組がどうなっていくか、出光がどう関わり続けていくかという事も、
それを判断する指標の一つとなるのではないかと思います。
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コメント
この記事へ寄せられたコメント
多分
我が家では、初期の頃からこの番組を観ていたような気がします。

子供の頃は、黛敏郎さんのお話は難しくてよく分からないことが多かったのですが、この番組で指揮者の石丸寛さんや岩城宏之さんを知り、気さくな楽しい音楽家の方々だという印象をもちました。

何となく覚えている回で、3人のピアニストの方が出演され、同じ曲を演奏し、後で録音が流れ、どれが自分の演奏かをご本人が当てるというのがありました。
演奏前に黛さんがご自分だけが分かるような細工(?)をしてはいけませんよと仰ったのが可笑しかったです。

大人が楽しめる番組でしたね。
黛さんが司会をされていた全部の回を観てみたいです。

出光のCMは以前コメントに書きましたが、音のないCMがとても印象に残っています。番組の雰囲気に添って作られたCMだと感じました。
2012/08/14(火) 13:00:18 | URL | モデラート
んー。やはり初期からご覧でしたか。
ああ、岩城さんいらしたですね。
自分の演奏を当てるというのは面白いと言えば面白いですが、
わからないもんなんでしょうか。

なるほどー。芸術番組の雰囲気を壊さないようにしていたのですね。
いやあ、つくづく良い時代の良いスポンサーだったなあ。
2012/08/14(火) 19:19:57 | URL | ごいんきょ
岩城さんと直純さん
紅白のパロディみたいので、オペラの歌手の方が都はるみの「北の宿」を朗々と歌ったりしてましたね。
しかも総振袖姿で(笑)。
岩城さんと直純さん、それに福田一雄さんだっけかな、指揮者対抗戦みたいなことやってたのを覚えてます。
岩城さんが「オーソレミオ」を原語で歌ってた。
福田さんがサックスが得意ってことで颯爽と吹こうとするんだけど、で、顔が真っ赤になるくらいがんばってんだけど、ど~も音の出がおかしくて。
実は本番前に岩城さんと直純さんがサックスにみかんを詰め込んでて(笑)。
この二人が結構いろいろとやらかしてたなぁ~って、懐かしいですねぇ~。
黛さん、直純さんで思い出した!
どこで読んだか聞いたか忘れちゃったんですけど、日本の音楽界を引っ張る「3大“ずみ”」がいて、黛敏郎・山本直純・小泉文夫(民族音楽の先生)さんっていうのを思い出のました。
日曜日の朝はこの番組と、昼下がりの直純さんの「オーケストラがやってきた」で、クラシックを教わったような気がします。
2012/08/18(土) 02:26:40 | URL | オリビア
覚えているお題
 あまり見ていたわけではないのですが、ポピュラー曲のメロディーがクラシックの盗作まがいだ、という追跡を何度もやっていたように思います。有名なユーモレスクと雨雨ふれふれ、ボレロと水戸黄門、モーツァルトの「春への憧れ」が「春は名のみの」になり、更に「知床の岬に」となった、などの他に、リムスキー・コルサコフの「シェヘラザーデ」とタイガースの「雨が〜しとしと日曜日〜」なども俎上に載せられていました。
 他には、ニューミュージックなどと呼ばれる音楽も、メロディー(それともコード進行?)は古くからあるもの(クラシックだったか演歌だったか失念)の踏襲、という分析もやってました。
 ずっと時代が下ると、特撮テレビ番組のテーマ曲特集もありましたね。ゴレンジャーが全員出てきました。ウルトラマン特集とか伊福昭特集もあったような気がします。
 エノケン特集もあって、ビゼーのカルメンを「ちゃんちゃら可笑しや(三回)へへへへへ〜」というのが面白かったです。
 何かで読みましたが、黛敏郎という人はとても頭の切れる人で、対談などで即答する場合でも文を完全に組み立ててから話すことができるので、「そのー」とか「それでですね」のような繫ぎの言葉を全く使わなかったそうです。それを読んで、意識して聴いていたことがありましたが、たしかにその通りでした。
 黛哲郎と森本
哲郎をよく混同してしまいました。
2012/08/19(日) 13:53:48 | URL | あぶもんもん
● オリビアさん
毎年年末には、紅白にまつわる企画をやってたんですよね。
直純さんも出演していたのですね。
たしかに、TBSの『オーケストラがやって来た』開始まで数年の間が有りますし。
それとも、そちらの終了後なのかな。
それにしても、演者の楽器にいたずらするなんて、ちょっと考えられないんですけど。
演出された事だったんでしょうねえ。
小泉さんはよく存じませんが、「まゆずみ・なおずみ」というのは言われてました。
特に直純さんなんかそうなんですけど、きちんとした実力や背景が有る人が関わったからこそ、
誇り高きクラッシック界の方々も、その理想に共鳴したのだと思います。
昭和40年代は、テレビにとって至福の全盛期だったと言えましょう。


● あぶさん
なるほどー。水戸黄門とボレロは盲点でしたが、たしかにパクッてますね。
ただ音楽に於けるパクリと盗作は、厳然と違うとは思いますけど。
大体西洋音楽なんて、簡単に言えばドレミファソラシの7種で表せるわけですから、
配列は非常に限られますからね。
間に無駄な言葉が無いと、非常に聞き易いんですよね。
ワタクシは上岡龍太郎師匠を勝手に心の師としてますけど(笑)、
あとは久米宏さんなんかもそんな感じでしょうか。
2012/08/19(日) 14:25:25 | URL | ごいんきょ
関西圏では当初MBSで放送されていました。

東京12ch→NETへ変更時点でもMBSでしたが、NETがテレ朝へ局名変更と同時期にABCへ変更されています
2012/08/29(水) 08:21:40 | URL | 山部
これは上手くしたもので、当時ローカル局だった東京12チャンネルに於いて、
最も繋がりの強かった関西局が、MBS毎日放送だったのですね。
しかも、当時のNETは正式なMBSとのネット局で、関西との関係に関しては、
この番組は何も悩まなかったと考えていいんでしょう。
おそらく偶然の帰結でしょうが、よくしたものです。
2012/09/02(日) 18:56:33 | URL | ごいんきょ
お得意の東京12番組の筈なんですが
NET移籍が随分古い話なもので、テレビ史に興味がある人なら誰でも知っている程度の話しか持ち合わせていません(汗)。
只、この番組企画の中心となった人物が、当時、東京12チャンネル編成課長だったばばこういちさんであるという事は明記しておくべきかなと。
もっともばば氏の提案でこのタイトル名の前に「ゴールデン・ポップス・コンサート」と添えてしまった事についてはセンス的にちょっとなぁ、とは思ってしまいますけど(苦笑)。
只、それもこの
番組が定着した今だから言える事であって、開始当時としてはああも堂々と「題名のない」と番組名にする事自体が不安だったんでしょうけどね。
2012/09/02(日) 23:08:49 | URL | TXの無いテレビなんて・・・
金子昭雄さんの名著が有りますからね。
ばばこういちさんに関しては、正直、無視しました(笑)。
その意図も判らないので、どうしても、余計な指示だったなあという感想しか持てないんですよね。
「題名のない」に不安が有ったと言うより、たしか金子さんの記述では、
「ゴールデン」という言葉を入れる事に拘ったと有った気がします。
本当に意味不明です(苦笑)。
2012/09/04(火) 00:50:01 | URL | ごいんきょ
「浜田幸一・我が心の歌」
黛敏郎時代の名物企画の一つに「我心の歌」なんていうのもありましたよね、確か。
あれは・・・基本的に歌を本職としていない著名人に色々な人生のターニングポイントを聞き出して、そこでめぐり合った歌をオーケストラをバックに浪々と歌ってもらうという・・・いかにもこの番組のコンセプトに忠実な(汗)企画でしたけど、その中で一人、忘れられないゲストがいるんですよ。

それはつい最近お亡くなりになられたハマコー先生(笑)。
若い頃は木更津でヤンチャの限りを尽くし(汗)、母親に相当な苦労を強いてしまったという念から、現役国会議員ながら、「おかあさん」という自作の歌を自主レコード扱いで発売。この番組でもその歌を涙ながらに熱唱しておりまして、その鬼気迫るパフォーマンスは、未だに自分の中ではトラウマになっております(笑)。

だって、あの強面が更に眉間に皺を寄せてしまっているおかげで更に迫力倍増している上に、力強くコブシをふりまわして号泣しながら熱唱してるんですよ。それにあの恰幅の良さじゃないですか。子供心には”怖いよー・・・・”というしかないですわね(汗)。でも、”怖い”という印象を、何も前提知識もない子供に強烈な形で残してしまう辺り、やっぱハマコー先生の”個性の強さ”が唯一無二のものであったことの何よりの証明なのかも?・・・という気もしているんですけどもね。
2012/09/30(日) 06:41:01 | URL | (ハンドル未記入)
そうそう。
「おかあさん」をよく歌ってましたねえ、ハマコー先生。
この番組で、それもオーケストラをバックに歌いましたかあ(笑)。
2012/09/30(日) 21:56:17 | URL | ごいんきょ
指揮者は要らない?
 オーケストラに指揮者は本当に必要なのか? という大胆な実験を見た覚えがありますが、この番組だったでしょうか(いかにもこの番組らしい企画ですが)。
 実験の結果、コンサートマスターさえいれば指揮者がいてもいなくてもまったく関係無し、という凄い結論が出たように思いますが、記憶違いだったでしょうか。
2013/05/14(火) 23:33:10 | URL | あぶもんもん
黛さんの発言
黛さんは思想的な発言内容で降板を余儀なくされたんでしたっけ?一社提供でも庇いきれないような内容だったのでしょうか?
2014/04/19(土) 19:44:01 | URL | とらお
● あぶさん
そんなような実験やりそうですけど、直純さんの方かもしれないしな(笑)。


● とらおさん
ん?
黛さんがお亡くなりになったための交代ではないかと思いますが。
2014/04/19(土) 21:08:47 | URL | ごいんきょ
実験的な企画
気がつけば、この番組も今年が放送開始50周年ということで、それにまつわる企画を色々とやっていました。
そこでは取り上げられなかったのですが、私が記憶している中ではこんな企画もありました。

「魅せられて」がレコード大賞を取った年だったか、「音楽タイムスリップ」と銘打って、この楽曲が様々な時代にタイムスリップするという企画でした。
オリジナルを聴かせた後、まずアメリカ・ニューオーリンズのジャズ風、次いでフランス・ロココ朝時代の宮廷音楽風、更に日本は平安朝時代の雅楽風とアレンジが続いたのですが、圧巻だったのは最も原始的な音楽とされるインドネシアの「ケチャ」風アレンジでした。
大勢の男達が「ケチャ、ケチャ、チャチャチャッ」と囃し立てる中、中央に鎮座した女性歌手が「魅せられて」のメロディを正に「唸って」いたのです。これには度肝を抜かれました。
2014/09/20(土) 22:48:04 | URL | うみがめ
この番組での検証
「シェルブールの雨傘」(ミシェル・ルグラン作曲)、「窓」(松山千春作曲)、「ふれあい」(いずみ・たく作曲)の冒頭の何小節かのコード進行が全く同じであることが検証されました。三曲が同時に歌われましたが、ピタッとかぶさり、驚いた記憶があります。
2014/09/21(日) 19:59:38 | URL | ワン太郎
意外な作曲者
歌謡曲ポップス系と違ってクラシック系の作曲家は、庶民には馴染みが薄い存在ですね。(名前や顔は知っててもどんな曲を作っているのか知らないという意味で)
逆に、空で細部まで口ずさめる程なのに、作曲者は知らない曲もたくさんありますが・・・
子供のころ、司会の黛敏郎さんを「ドラキュラを演じたら似合いそうな音楽評論家」ぐらいにしか思っていませんでした。
日テレのスポーツテーマ曲(通称ジャイアント馬場のテーマ)を作曲された方だったとは意外でした。

ちなみに、「ラジオ体操の歌」の作曲者が歌手の藤山一郎さんというのも意外ですが・・・。
2014/09/23(火) 09:54:46 | URL | 昭和レトロ
● うみがめさん
色々な実験的手法から、本質的なものが見えてきそうですねえ。
面白い。


● ワン太郎さん
少し前の日本売れ線曲でやったら、更に多い曲数で出来るでしょうけどね(笑)。


● 昭和レトロさん
黛さんと言えば、テレビでは日テレスポーツテーマ、
そしてNNNニューステーマも忘れ難いです。
2014/09/24(水) 00:03:56 | URL | ごいんきょ
音楽の授業の延長・・・
私の妹が見ていますね~(*^_^*)
妹は小学生の頃はピアノで中学生から現在に至るまで吹奏楽していて、私自身中学生の頃は合唱部で音楽大好きだったので見ていましたね~(*^_^*)
音楽の授業の延長と言う感じで芸大でのする楽典の講義を簡単にして解りやすくしたり、流行りの音楽を分析してコード進行がどう似ているかとか・・・エト・・(´・ω・)y-~
それにクラシックの垣根を取り除いた番組で誰にでも気軽に聴けるコンセプトでしょうね~(*^_^*)
2014/09/24(水) 23:56:53 | URL | みけねこ
そうそう。
楽典とか解析をね、楽しくやってくれますよね。
あと、単純に面白い企画とかも結構ありました。
2014/09/28(日) 08:15:29 | URL | ごいんきょ
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