私的 昭和テレビ大全集
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アンディ・ウイリアムス・ショー (1966)

該当番組画像募集THE ANDY WILLIAMS SHOW
このブログでも何度か書きましたが、日本人というのは
決定的に楽しむのが下手というか、エンターテイメントにかけては
アメリカに永遠に追いつけないのではないかと思います。
勿論、その他の表現分野で秀でているものも有りましょうし、
また、楽しみ下手と勤勉は表裏一体かもしれませんので、
一概にそれが悪い事だとばかりは言えません。

けれども、勤勉に働きながら、エンターテイメントも楽しめれば、
それが最強なんじゃないかと思うんですがね。
ミュージカルを見当違いな貶し方して悦に入ってる似非文化人や、
完全試合の楽しみをファンから一方的に奪った監督を称える
似非野球評論家みたいなのが一掃されるまで、
悠久の時を過ごさねばならないでしょうし、
ワタクシの生きている間には無理でしょうが。

ワタクシの子供の頃、歌謡曲は豊かだった。
優しいメロディーに被さる、確かな歌唱力に裏打ちされた美しいハーモニー。
その頃の歌謡曲を思い出すに付け、気持ちがふんわかするんですよ。
それが今、テレビ画面を占拠している男のグループも女のグループも、
数ばかりゴロゴロいるのにハーモニーがまったく聞こえて来ない。
なんと日本の音が貧しくなってしまっているのか。

結局、歌唱力も無い連中が音楽方面で幅を利かせているから、
ちょっとでも難しい歌を歌いこなす事が出来ず、
単純な作りの歌ばかりになっているんでしょう。
そういう連中だけを称える連中もどうかと思いますよ。
本当に称えるべきは、称えられるべきは、弛まぬ努力で
他者に秀でた実力を身に付けた者でなければならないはず。
そうでなければ、誰がすべてを賭けて精進しようという気になるでしょう。

日本のテレビがまだ若かりし時代、お手本はアメリカのテレビでした。
往時のアメリカもハリウッド全盛で、それに裏打ちされた真の芸能人の宝庫。
そうした、字義通りの芸能人が自分の名を看板に背負って、
持てる力を注いでいた番組も、そこかしこに有りました。
それをお手本にしていたから、往時の日本のテレビショーも、
歌や楽器をそれなりにこなせる人材の宝庫でした。
そして、数あるアメリカTVショーのうち幾つかは、そのまま日本でも流されました。

アンディ・ウイリアムス・ショーも、そんな番組の一つでした。
日本では昭和41年1月、ミッチ・ミラーのやっていた
『ミッチと歌おう』の後番組として放送開始され、昭和44年まで放送されています。
昭和の日曜昼頃は、音楽番組で空気がゆったりしていました。
本国アメリカでは更に以前から放送されておりますが、
現在CSで放送しているチャンネル銀河の公式ページに拠れば、
1962年からとなっており、ワタクシが持っている番組LPレコードの解説書に拠れば、
1961年から正式スタートとあります。どちらが正しいのかは、よくわかりません。

ただ、ワタクシはこの他に、アメリカのテレビ番組解説のような本も持っていて、
そちらには割と詳しく解説されておりますので、そちらを信用したいと思います。
以下に書くのは、そこからの転載で、ワタクシが自己流で読んだものですから、
翻訳・解釈が誤っている場合も有り得ます。
よそで用いる場合は、必ず各自検証して下さい。
まずアンディの経歴に関して、少なくとも日本のウィキペディアでは
かなり貧弱な記述なので、そこから書き起こしてみます。

彼は元々ティーンの頃に、ウイリアムス四兄弟の一人として、
ケイ・トンプソンのバックを務めておりました。
1952年にバンドは解散し、1954年にアメリカで非常に有名な番組『トゥナイト・ショー』に、
スティーブ・ローレンスやイーディ・ゴーメと共に重要歌手として出演。
そして1957年に、初の冠番組『アンディ・ウイリアムス-ジューン・バリ ショー』開始。
これは週二回、15分という変則的な番組だったようで、ジョナサン・ウインターズ・ショーと
ダイナ・ショア・ショーの代わりに放送されたものだったようです。
往時のアメリカには実力あるショーマンが目白押しで、様々な冠ショーが有りました。
ジューン・バリというのは『アーサー・ゴッドフレー・タレント・スカウト』で勝ち抜き、
『ユア・ヒット・パレード』『ストップ・ザ・ミュージック』といった番組で名を売りました。
彼女とアンディは、同じ1957年のNBC特別番組『ファイブ・スターズ・フォー・
スプリングタイム』で共演した関係が有ります。

1958年にアンディは、『シェビー・ショー・ルーム』という番組のホストとなったようですが、
この「シェビー」というのはシボレーの愛称ですので、シボレー提供だったんでしょう。
パット・ブーンがホストだった時も有るんでしょうか。
そして1962年9月27日より、NBCにて本タイトルの『アンディ・ウイリアムス・ショー』開始。
1967年まで、丸5年もの長寿を誇りました。
のみならず、1969年に復活し、それが1971年まで続いております。
いかにアンディがアメリカ人に愛された歌手であったかが偲ばれます。

番組内容は、ゲストを招いての歌あり、寸劇ありの所謂ショー番組。
勿論、主となるのはアンディの歌声でありますが。
ゲストも勿論、実力派が犇めいておりました。
と言うか、当時のアメリカで実力が無い者がショー・ビジネスなんて出来なかったでしょうが。
きちんとボイス・トレーニングを積んだ豊かな声量を持ちながら、
それをひけらかすようにはせず、理知的な味わいで表現していたアンディ。
日本でも根強いファンがいたようで、味の素のCMソングまで歌いましたっけ。
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コメント
この記事へ寄せられたコメント
アンディ
さっそく、アンディ・ウィリアムスの話題を取りあげていただいてありがとうございます。

アンディというと、フィーリング(日本ではハイ・ファイ・セットのカバーで有名)や君の瞳に恋してる(ボーイズ・タウン・ギャングよりずっと前)など、カバーのイメージが強いです。

でも、どんな曲をカバーしても、自分のものにしてしまうのがすごいとおもいます。

日本では、カバーというと、落ち目とか手抜きとか、ネガティブなイメージで受け取られますが(特にシンガーソングライター出現以後)、カバーだって、歌い手によって大きく持ち味が変わってしまうので、立派な作品だとおもいます。

また、同じアメリカンスターでも、フランク・シナトラだと、いかにも大物でどこか近寄りがたいイメージがありますが、アンディ・ウィリアムスは、大物でも、どこか親しみやすい感じがしました。

アンディ・ウィリアムスさんのご冥福をお祈りします。
2012/10/16(火) 21:02:19 | URL | 10000k
その昔は日本もアメリカも、歌手というのは歌を歌って生活する人であって、新曲を発表する人って事ではなかったですからね。
だから人の歌とかそういう意識より、良い歌をきちんと人に聞かせられる技量を持った人でなければ、
レコード会社は世に出さなかったと思います。
日本に関して言えば、やはりプロダクションやテレビ局が力を持つようになって、ハッキリと質が低下しました。
そして今や、広告代理店が粗製濫造する時代です。
ま。質の低い歌手が氾濫するという事は、その国の音楽文化の質が低いという事ですが。

シナトラさんは、ちょっと別格でしょうからね。
歌をも従えさせてしまうというか(笑)。
日本だと、加山雄三さんなんかありありと意識してますね、曲調といい。
2012/10/20(土) 06:43:52 | URL | ごいんきょ
ダニー・ボーイ
この番組は、母と姉がよく観ていました。
母はアンディ・ウィリアムスさんの歌声が好きだったようで、EPレコードを買ってきました。
「ムーン・リバー」「酒とバラの日々」「モア」「ダニー・ボーイ」の4曲が入っていました。
母がポピュラーのレコードを買ったのは、この1枚と、「サウンド・オブ・ミュージック」のLP1枚だけだったと思います。
我が家では、アンディ・ウィリアムスさんのこの4曲は何度も何度も聴きました。
2012/10/21(日) 18:27:35 | URL | モデラート
やっぱり、アンディさんと言えばワタクシはムーン・リバーになるなあ。
ああいう歌が生活に溶け込んでくるような、成熟した文化の時代はもう来ないんでしょうか。
モデラートさんのお母さんでも聞けるような歌や歌声、今はテレビから聞こえて来ないのでは。

やっぱり、日本は漫画をもっと卑賤視していなければいけなかったんですよ。
いい大人が漫画なんて読むのは恥ずかしい事だという、そういう歯止めが。
西部邁さんが言っていた事がワタクシは理解できます。
サブカルって言うのは、蔑視されてナンボなんで、主流になっては決していけない物なんです。

ダニー・ボーイは、文化放送「たまなび」で宮川彬良先生が、日本語訳を朗読してくれて、あれは感動しました。
タイトルの変遷といい、いろいろ曰くの多い歌で、調べてみると非常に奥深い背景を感じられる歌です。
2012/10/22(月) 07:04:30 | URL | ごいんきょ
アンディの歌を探しています
中学から高校にかけて毎週日曜の昼、TVでアンディウイリアムショーを見て、録音して、何回も聞きなおし自然に歌を覚えていきました。その頃のテープレコーダーはオープンリールで、現在ではレコーダーも壊れて聞くことはできません。
最近は社交ダンスを始めて、アンデイの歌に振付して踊っています。おおよその曲はCDに収録されていますが、「It's a good day」という曲を探しています。デイーンマーチンが歌ってるのはItune にありましたがアンデイのはありません。アンデイのあの軽快な歌でクイックを踊りたいのでどなたか教えてください。よろしくお願いします。
2015/02/07(土) 16:32:20 | URL | ダンス好き
我が家にもオープンリール式が有って、
祖父の声とか貴重な音が入っていると思うのですが、聞けませんものね。

お探しの歌は、YouTubeにも有りませんねえ。
向こうで探しても見つからないなんて、かなり難度が高そうです。
2015/02/08(日) 08:15:51 | URL | ごいんきょ
新参者からご挨拶
拝啓 よろしくお願いいたします。
自分が確かに観ていた記憶としては、1970年以降の土曜日の午後、更におぼろな記憶では「デン助劇場の後」に、NHKか何処かでの再放送を観ていた記憶があります。これは、やはり音楽と言うかメロディーの良さであり、クラシックでは決して味わえないアンディウィリアムスの甘い声、がとても印象に残ります。この前の時間が「当時NETのデン助劇場」と言うのも良かったのかもしれませんね。そのギャップが、、、アンディは記憶では「味の素のCMソング=略 何時でも何処でも、忘れないあの頃、明日もかわらない、マイファミリー、味の素」でしたが。これは当時、といっても1960年代ですが、かなりの外国シンガーが日本のCMソングを歌っていましたね。「ボビーシャーマン=30分ドラマの主役もはっていて、確かカネボウハリスのCM?」「オズモンドブラザース=カルピス」かなり時代が下って「ローラボー=一日が今日も光、なんてぇ何かのCMソングですが、歌が下手すぎて、、、」しかしアンディーウィリアムスは本当に歌が上手かった、、、後に「ゴッドファーザーの日本語版」等も歌ったのですが、正直日本人より良かったなぁと。そういえば「トムジョーンズ、ザモンキーズ」なども看板番組やっておりましたねぇ。懐かしいですね、どちら様かご教示下されば嬉しいです。敬具
2017/05/22(月) 16:23:16 | URL | よしたかくん
アンディのショウ
今、You-tubeを覗けば、これでもかと60分のフル・ヴァージョンがぞろぞろ現れますね。同時期の日本ならアップしたくても、著作権云々は別にして元のフィルムそのものがまずほとんど残っていないでしょう。あまりの落差に溜息も出ません。NHKは1966年1月23日から68年4月21日まで、オリジナルの5シーズン115回のうち102回分を40分枠で放映し、その後68年7月から72年2月まで、「世界のワンマンショー」枠を含めて不定期的に16回分を再放送しています。

アメリカでは、ラジオ時代から一流歌手やタレントは自分のショウを持つのが当たり前で、その中で日本で特に評価が高かったのがペリー・コモ・ショウ、ディーン・マーティン・ショウ、ナット・キング・コール・ショウ、ダニー・ケイ・ショウ、そしてこのアンディのショウなどだったでしょう。シナトラも一度自分のテレビ・ショウを持ちましたが、その独裁者的なスタンスから、たちまち局やプロデューサーと大喧嘩。嫌気がさしたのかたった1シーズンで放り出し、以後死ぬまで再びレギュラーのTVショウは持とうとしませんでした。別に、ドリス・デイやドナ・リードなどのようにドラマ形式のショウの場合も多くありましたが。

で、アンディの場合、大きな特徴は身内による番組「私物化」の度合いの物凄さで(笑)。特にクリスマス・ショウなどは、いや出るわ出るわ。親父にお袋に兄貴三人、甥姪、加えてアンディ子飼で息子同然のオズモンド・ブラザーズと一族一党勢揃い、終いには1961年に再婚した15も年下のクローディーヌ・オージェと公然と番組でいっちゃいちゃ、その間に生まれた赤ん坊まで抱いて現れる天晴れさでした。

ご指摘のトム・ジョーンズ、またエンゲルベルト・フンパーディングのショウなどは、日本での知名度の関係で、やや通向きだったような。モンキーズのものはドラマ形式でしたね。さらに、アメリカでは非常に評価の高かった「ディック・ヴァン・ダイク・ショウ」などは結局日本では放送されず終いだったと記憶します。
2017/05/23(火) 00:29:54 | URL | 権兵衛
● よしたかくんさん
アンディさんの味の素以降、外タレCMソングが大いに使われるようになったのだと思います。
トム・ジョーンズ・ショーも有ったようですね。
12チャンネルかな。


● 権兵衛さん
オズモンド・ブラザースはアンディさんの子飼いなんですか。
じゃあ、その伝で日本のCMで活躍したんだな。
エンゲルベルト・フンパーディングのショーが日本でも放送されていたなんて。
2017/06/13(火) 06:52:59 | URL | ごいんきょ
子飼ならぬ「孫飼」?
このところずっと、ショーのビデオをYou-tubeで立て続けに見る機会があったので、またぞろ彼が懐かしくなりました。かなり間が伸びすぎたのでレスポンスにはなりませんが、心覚えのため長文ながら書き込ませていただきます。

オズモンド・ブラザーズはディズニーランド内の特設ステージで年長の四人で「サイド・バイ・サイド」を歌って大ウケしたのが実質的なデビューですが、これは1962年4月15日、NBCから"Disneyland After Dark"として全米にオンエアされました。撮影時期は不明ですが、ずっと後に、ディズニーランド開園25周年記念特集番組でこの場面が映し出された時、司会のダニー・ケイが「1961年」と言っていたので、多分前年に撮ったものでしょう。で、たまたまこれをテレビで見ていたアンディ・ウィリアムズの名物親父のジェイ・ウィリアムズ老人が一目で気に入り、丁度テレビ・ショウの準備にかかっていた倅にすぐに電話で、ぜひ彼らを採用するように「命令」。親孝行のアンディが早速オーディションを受けさせたところ、思いのほかの拾い物だったので、これは視聴率が上がると即レギュラーでの起用を決めたもののようです。爺さんは偶々、当時はメンバーの一番下で7歳、まだミソっ歯のジェイが自分と同じ名前だったので、実の孫のような気がして親近感を覚えたのかも知れません。同時に末っ子のアンディが幼いころ、兄たちとコーラスでデビューした昔を思い出したのでしょう。

余談ですが、これは私も見ていました(笑)。ただし、時空が5年ほどずれて、日本でもカラー化後の1967年6月24日放送の「ディズニーランド」で、日本版タイトルは「夜のディズニーランド」でしたが。因みにショウの放送開始は62年9月でしたが、オズモンドの登場は少し遅れ、翌63年1月24日放送のS1E17からでした。これをきっかけに「孫たち」に会いたさにか、爺さんは以後、自分でもクリスマスには必ずショウにお邪魔虫するようになったのですが、ピアノを器用に弾き、アンディの音楽の原点ともいえるこの愛すべき明治生まれの親父は1976年、83歳で大往生を遂げています。

以来5年間、オズモンド兄弟はこの番組でアンディに育てられ、下の三人(ドニー、マリー、そして打ち止めのダニー)も次々と番組でお披露目されています。アンディは167センチと、アメリカ人としてはかなり小柄なので、放送終了の頃には上の三人は、アンディよりはるかに大きくなっていました。蛇足ですが、アンディの好感が持てたところは、同じく本当はチビ(170センチ弱)のあの「中国虎」のように高い靴をはいてゴマかさず、あくまで実力だけで勝負していた点ですね。
2017/08/30(水) 11:40:38 | URL | 権兵衛
誤記訂正
L14 × 翌63年1月24日放送のS1E17
 → ○ 62年12月20日放送のS1E12
L17(人名) ×ダニー → ○ジミー
2017/09/04(月) 07:38:38 | URL | (ハンドル未記入)
恥の上塗り
権兵衛
2017/09/04(月) 07:41:04 | URL | 権兵衛
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