私的 昭和テレビ大全集
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ズームイン!! 朝! (1979)

該当番組画像募集

てなわけで、しばらく早朝(~8時)番組を特集します。
今回は、遅きに失した感すら有るであろう、これであります。


日本テレビのバラエティを開局以来引っ張ってきた大御所プロデューサー、井原高忠。
その下から巣立った制作者の一人、ギニョさんこと齋藤太朗(たかお)。
音だけ取れば劇画創始者のさいとうたかをと同じという彼は、
異名をコイシツのギニョと取り、妥協をしない制作姿勢で作家や出演者を追い詰め、
シャボン玉ホリデーで青島幸男が作家から出演者へと転じたのは、
齋藤に才能を搾り取られたからだと恨み節(?)を言ったとか。

けれども、その結果として作り上げられた作品群のタイトルを並べれば、
そのしつこさが決して無駄な物ではなかった事が窺い知れます。
コント55号のなんでそうなるの?、カリキュラマシーン、仮装大賞、おもいっきりテレビ。
代表作の数がそれほど多くないのは、彼が産み出した多くの物が超長寿番組となってしまったが故。
日本テレビが、比較的苦手としていた朝番組のテコ入れを本格的に考え、
企画を二回ほど社内募集しても、これぞといったものが出て来ない。
そこで局次長となっていた井原が、仁科俊介と齋藤のコンビを直々に指名し、
二人に企画を考えさせたところ、生まれたのがこの番組でした。
そして、この番組も超長寿となった事はご存知の通り。

けれども、いざ実現へと踏み出してみると、それは想像もせぬ未踏破の奥地だったのです。
二人が考えたのは、日本全国の朝を生で伝える番組。
そこで全国の日テレ系列の地方局へ交渉に行ったところ、
系列だから二つ返事で引き受けてくれると思っていた彼らは、
思わぬ抵抗の数々に早速行き詰まったのでした。
なにしろ当時は、今よりも系列化が厳然としていない所も多く、
地方局は数が少ないので、中央制作の番組を選べるという強みも有ったのです。
このブログでもよくコメントで戴きますけど、関東では考えられない夢の様な配列で、
人気番組を羅列するという編成の自由さを持つ局も少なからず有りました。
だから、番組は東京で作ってくれればいいというような、あなた任せの所も多かったんですね。

更に当時は、今の様な報道と娯楽が混然となった番組は基本的に存在しておらず、
報道には報道としての矜持が有り、制作の方を或る種侮蔑している部分も有った。
非力な地方局で、ほぼ唯一の情報発信力を持つのはやはり報道なのだけれども、
そんな時代だから、お下劣(と彼らが考えそうな)番組を作っている二人が協力を依頼しても、
なんで自分たちがそんなものに協力しなければならないのか、という抵抗も有ったらしいです。
しかも、それまででは考えられない様な、夜も明ける前から準備しなければならない番組を。
けれども二人は、「一緒になってやりませんか」と熱心に口説いてまわり、
なんとか十六局ネットの実現に漕ぎ着けたのでした。
齋藤の語るには、スポンサーに超実力社の花王が決まった事が大きかったといいます。

その番組を齋藤は、外から放送したかったと言うのですが、悪天の時など様々な制約も有るし、
ちょっと厳しいかという見立てになっていたところ、場所を物色していた齋藤が、
出来たての日本テレビ南本館で、日本テレビ二十五年史展示室を見て閃いたと言います。
外の景色が、地面が、硝子越しとは言え見える。
仁科の尽力で放送開始3ヶ月前からという突貫工事が行われ、
その改装されたスタジオは、一般公募で「マイスタジオ」、通称マイスタと呼ばれました。
大枚はたいて制作したスタジオだけに、費用対効果の回収を考えたのか、
このマイスタは本番組以外でも、非常に多くの日テレ番組で使用されました。

そして、キャスターとして徳光和夫に白羽の矢が立ち、徳光は逡巡の末に受諾。
タイトルも『ズームイン!!朝!』に決まり、昭和54年3月5日から放送開始となりました。
開始時期が4月の改編期より早いのは、それだけ宣伝に力を入れられるという判断だったようで、
実際、この番組が始まる前には、猛烈な勢いでスポットが流されていた様な記憶です。
あの、宮川泰作曲の、サンバ調ホイッスルが朝の目覚めを促進するテーマ曲と共に。
子息・宮川彬良は、マツケンサンバとあのテーマを比較して、宮川家の血と評しておりました。
この宮川彬良、現在、文化放送土曜日朝の「たまなび」という番組で、
7時40分頃からコーナーを持っております。
これが本当に楽しい。
音楽とは音を楽しむと書くとはよく言われますが、これほど本当に音を楽しんでいる人、
ワタクシはいないんじゃないかと思えるくらいの楽しみ方。
父君・宮川泰と共にテレビ音楽とも少なからず関わった一家でもあり、
当ブログ住人の方々は、ご一聴の価値大とお勧め致します。
親父さんの良い面をああまで完璧に継承している音楽家、ちょっと思い当たらないです。

で、テーマ曲も良かったし、あれだけ露出が有ったので、ワタクシ、
開始当初からの人気番組だったとばかり思っておりました。
実際には、当初は結構な苦労を強いられていたようですが。
その苦労は身内からも強いられていて、今では考えられない事ですが、
「ニュース」という言葉を使うなと、報道から圧力が有ったと言います。
ニュースは報道の物だという、専権意識ですね。
テレビで初めて新聞を使ってニュースを流したのはこの番組らしいですが、
その行為も局報道の意識を刺激したと言います。
紙の新聞なんかより自分たちの方が優れている、という事でしょうけどね。
なにしろ往時は、報道の誇りは確として有りました。
そういう鬩ぎ合いが無くなったのも、テレビの堕落と無関係では無いでしょう。
その垣根を無くしていく役割となったのが、この番組の様な情報番組でした。

コーナーの中でワタクシの記憶に最も残っているのが、ウィッキーさんのワンポイント英会話。
「グッモーニーン!」といきなりウィッキーさんに声を掛けられる道行く人々が、
様々な反応を見せ、怪しげな英会話術を披露する。
ああした素人の突発性を使った番組も、今では難しいでしょうね。
なにしろウィッキーさんはよく物真似の対象になったり、
この番組の知名度を押し上げた功労者の、最右翼に位置しましょう。
勿論、地方局を呼び出す時などで徳光が最も多用した番組タイトル、
「ズーム、イン!」もその動作と共に流行しましたし、と言うより、
今では普通の日本語にまでなっている言葉なので忘れがちですが、この番組登場前も
「ズームアップ」という言葉は有ったけど、「ズームイン」はこの番組が普及させた言葉と言えましょう。

あと、この番組を思い出す時に最も浮かぶ光景が、
徳光の後ろで映っている、マイスタ前にたむろする素人の様子。
ああして生で全国中継で動作が映るんだもの。
よく変な奴が来なかったなと思うのですが、チェックしていたのかな。
たまには有名人も飛び込みで映り込んだりしてました。
そして番組ラスト、徳光が外に出て、街行く人々にマイクを向けて終わっていたと思うのですが、
ワタクシが非常に忘れられない場面がございます。
その記憶を以て、ワタクシは一見善人のような風貌の徳光の深淵を覗いた気になったものでした。

彼は、女子高校生くらいの年頃だったかな、二人組の女の子に向かって、
「芸能人で誰が一番嫌い?」とか聞いたのだと思います。
そもそも、その質問の時点でなんだかなーと思うのですが(笑)、
件の二人組のうち一人が、「ひろみ」と言ったんですね。
これは恐らく、郷ひろみの事なんでしょう。
と言うのは、彼、「ザ・ベストテン」のようなランキング番組にはもう出ないと
公言した直後だったので、ワタクシも少々ガッカリしましたし、
ベストテンは人気番組でしたから、反発を抱いた若者も多かったと思います。

それを受けた徳光、何故かは知らねどこう返した。
「え?どうして? タモリじゃないの?」
おいおい(笑)。
そりゃ確かに、いろんな調査で当時のタモリはワーストランキング常連だったろうさ。
でも、今の会話のどこに、タモリの「タ」一字でも有る?(笑)
ま。今でもちょくちょくズバッと骨を断つ様な一言を言う時が有るのを
聞き逃していない方もございましょうが、あの溢れ出る涙の奥の細い眼には、
もしかすると黒い光も宿っているのかもしれません。
二代目司会となった後輩の福留功男も、よくそんな言われ方をしてますけどね(笑)。
三代目を福澤朗が受け持って、ウルトラクイズ同様に番組の幕引き役となりました。
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コメント
この記事へ寄せられたコメント
日本の朝を変えた番組?
 私はあまりこの番組は見ていなかったのですが(朝のホットラインかNHKを見ていた)従来の朝の情報番組とは一線を画した、という印象はあります。
 TBSやNHKよりもテンポの良い番組の進み具合で、忙しい朝にぴったりだなと思いました。
 この番組で印象的なのは「プロ野球入れ込み情報」でしょうか。
 日テレだけにほぼ100%セリーグ(巨人戦)だったけど、徳光さんやトメさんが応援する巨人に対して系列局のキャスターの皆さんが地元球団を徹底的に応援する、というスタイルも斬新でした。
 そういえば、数年前にTvh(テレビ北海道)のニュースを見ていて「あれ?どこかで見たことある人だなぁ」と思ったら中京テレビ(名古屋)の大藤晋司アナウンサーだと知って驚きました。
 彼も「ズームイン」のレポーターをやっていましたが(平成に入ってから)、まさか北海道のテレビ局に移籍するとは。
 
2013/01/07(月) 11:42:59 | URL | 北国の人
仁鶴師匠のコーナー
番組初期、8時をまわった頃に仁鶴師匠の新婚さんインタビューのコーナーがありましたよね。日航ホテルでしたか?新婚旅行に出かける直前の二人に仁鶴師匠がお話を伺うという。あれは録画でしたかね?
2013/01/07(月) 20:33:18 | URL | とらお
初めてこの番組を観たときは失礼ながら先発のTBS「おはよう700」のパクリだなぁと思いましたが、先発を蹴散らしましたね。そういえばニュースコーナーは「NSヘッドライン」なんていうタイトルでした。
地方レポーターでは高知の容助おじさんとか山陰の和尚さんとか局アナ以外の方も出演してましたが、局アナの中で名物的存在だった広島の脇田アナは被爆者だったそうで、数年前に亡くなったとのことです。あと、ytvで阪神の法被を着ながら応援していた辛坊次郎アナはのちに夕方ニュースキャスター→解説委員→フリーの評論家でやしきたかじんの番組のサブ司会を務めたり、池上彰には及ばないものの何冊かの著書を出しているという、絵に描いたようなサクセスストーリーを歩んでおります。
2013/01/07(月) 21:14:13 | URL | ナベチン
なんぎやなぁ~
どうも、ごぶさたです。

この「ズームイン朝」もよく見ておりましたなあ。
(のちに静岡色の強い「朝のホットライン」になってしまいましたが)

私も印象の強いコーナーは北国さんと同様
「プロ野球わりこみ情報」ならぬ
「プロ野球入れ込み情報」でしたね。

特に大阪・読売テレビからのが面白かった!
(担当が辛坊治郎さんと森たけしさんの頃)
当時の阪神タイガースは85年の優勝が嘘のような低迷ぶりで
負けると寂しいBGMで
「なんぎやなぁ~」というフレーズで始まり、
勝てば勝ったで思いっきり派手なBBGMに風車が大量に回っている、
てな感じでしたね。
ちなみに「なんぎやなぁ~」も確か流行語大賞を取っていたような記憶があります。
あと中京テレビ(東海3県)のきくち教児さんの「ドラゴンズカラー(快晴の空を表すときに使う)」という言葉も印象に残ってますなあ。

そういえば各チームのユニフォームを着た顔の変化する人形があって
勝ったチームは笑顔、負けたチームは泣き顔になってましたっけ。

その他、今回も記事に無いのでいろいろ印象深いのがありますので箇条書きでコメントの様子を見たいと思います。

①「ひとことおじさんのひとことコラム」
②「朝の詩(ポエム)」
③「岩手の佳代子姫」
④「福岡のノンタン」
⑤「♪集英社の雑誌です」
⑥「♪シャディは一冊の百貨店」


2013/01/07(月) 22:40:27 | URL | yig
もう一つ忘れていましたが、天気予報のBGMが徳光当時日テレアナの歌唱によるものでした。確か以下のような歌詞だったと記憶しています。
♪もっしぃ~も空からぁ お酒が降って来たぁならぁ 今日の天気は ビールのちウィスキー 一時 焼酎ぅ~
もっしぃ~も空からぁ お金が降って来たぁならぁ こんな歌なんか 歌っちゃいらんねぇよ 歌ぁっちゃいらぁれねぇ~
長々失礼致しました。
2013/01/07(月) 23:06:34 | URL | ナベチン
今日、あなたは では短命だったかも
wikiによれば仮題が 今日、あなたは
このタイトルだったら堅い感じで
テレビ史に残るような番組に
なっていなかったかもしれませんね(笑)

このズームインと私は同い年の昭和54年
私の方が、ほんの少し早めなだけですが(笑)

という理由でもないですが
テレビに、かじりつき始めた2歳くらいから
中学卒業辺りまではズームイン派でした
これを見て8時からポンキッキを少し見て
保育園、小学校、中学校に登校してました

私的にズームインの歴史で
大きな事件や事故の報道として印象深いのは
ホテルニュージャパンの大火災でした
ブラウン管を通して見た火事の映像は
幼心にショックを受けたのと
その日、とても寒い朝だった事が
今でも記憶の片隅に残っています

なんだかんだ言っても
やっぱり、ズームインと言えば徳光さんです!
福留さんや福澤さんも担当しましたが
徳光さん時代のズームインが
全体的に良かったと思います。
2013/01/08(火) 02:37:12 | URL | テレビマニアな30代
容助おんちゃん
高知のリポーター・浜田容助氏と言えば、「ニッポンの高知から元気をお届けします!」が決め台詞でしたね。ナベチンさん御指摘の通り、この方はアナウンサーではなくローカルタレントという位置付けで、その為に地元企業(入浴剤やら日本酒やら)のCMにも出演していたほどです。もし彼が局アナだったとしたら、企業CM出演など絶対にありえなかったでしょう。
あと、ズームインでの高知といえば動物ネタが定番で、「アニマル高知」などと異名を取っていたほどです。それから、高知ローカルでは毎年暮れになると、各地の歳末風景を見せながら、1年間の名場面を振り返る「ズームイン高知」という特番も放送されていました。ローカル局が全国向け番組の総集編を放送するなど、地方からの中継が年々縮少傾向にある今日では考えられないでしょう。
2013/01/08(火) 19:06:58 | URL | うみがめ
ズーム、イン!シュババババ
花王と言えば、イレコミ情報の「GAMEOVER」の後の「朝のポエム」のコーナーのスポンサーでしたね あと「31分31秒」ていうコーナーも覚えてます(確か地方局の持ち込み企画のコーナーだったような) そう言えばウィッキーさん、一昨年だったか徳光氏の24時間マラソンの時に久々にテレビで見ましたが今何やってるんでしょうね? それと背景の人々で覚えてるのがいつも「子供のことでお困りの方」(だったけ?)と書かれたプラカードが出てましたね 相談か何かだったか?
2013/01/09(水) 19:38:20 | URL | 鉄ドン
久しぶりに反響多くて嬉しいです(笑)。
この番組の影響度が反映されてますねえ。

● 北国さん
長くても3分から5分で忙しく切り替えていくというのは、
身支度で忙しい朝の生活に合わせたものだったようです。
徳光さんは、堂々と依怙贔屓できる番組がやれて、制作者に感謝してますが(笑)。
ワタクシは、当時はゴリゴリのアンチ読売球団だったので、
そうだ、この番組の、というか、徳光さんのそういう姿勢が物凄く嫌で、
実はこの番組はほとんど見た事が無くて、おはようテレビ朝日と朝のホットラインを主に見てました。


● とらおさん
へえ。三枝さんの新婚さんいらっしゃいに対抗してるみたい(笑)。


● ナベチンさん
おはよう700は、もっと堅い感じというか、報道系が強かった印象ですね。
そう。正に、ニュースという言葉を使えない故の、「NS」なんです。
ニュース&スポーツという言葉を連想させるけど、もし報道からイチャモンがつけば、
「いや、ノース&サウスです」って言い逃れようと(笑)。
辛坊次郎さん、あちらではいろいろ喧しいようですね。
天気予報の歌は、シート音盤化されているようです。


● yigさん
なんぎやなーって、今でもつい使っちゃいますけどね。
集英社のCMコーナー有りましたっけ。
ワタクシはそのジングルを聞くと、どうしてもラジオ欽ドンを思い出しますね。


● テレビマニアな30代さん
いやあ、お若い。その若さ、吸い取りたいほどに(笑)。
ホテルニュージャパンも忘れ難いですね。
と言うか、昭和54年生まれで覚えてるって(苦笑)。


● うみがめさん
あらためて、全国から挨拶が届くっていう構図、いいですよね。
ここは東北勢が少々弱い感じなんですけど、四国の情報はお陰様で、
うみがめさん等に色々お世話になっております。
アニマル高知ですか。さすがカワウソもいた土地。


● 鉄ドンさん
一応、花王は有力スポンサーだったわけですが、CMはそのコーナーに集中させたようですね。
ウイッキーさん、少し前ですが、みのさんと女絡みで揉めたという週刊誌記事を読みましたが(笑)。
2013/01/10(木) 06:06:14 | URL | ごいんきょ
某長崎県テレビ局の抵抗(笑)
この番組を長らくネットしていたKTNテレビ長崎では7時台でネットを打ち切って、終了の字幕無しになし崩し的に8時からはひらけポンキッキ同時ネットという豪快な事やっとりました(笑)。

もっとも「全員集合」を最末期までTBS系列で
ある筈のNBC長崎放送はネットしなかった(県民放1局時代からの日テレ同時ネットを継続)様な県ですから、こんなのは序の口で、「思いっきりテレビ」に至っては、KTNは12時台で打ち切り、且つ番組開始当初「思いっきり」内包コーナーとなっていた「ごちそうさま」や「おしゃれ」と言った1時台は、NBCが2時からの遅れネットと訳分からん事に(爆)。
そんなこんなで、かの日本テレビ系列が誇るメインイベントである筈の「24時間テレビ」も長崎では土曜NBC→日曜KTNのリレー中継でローカルコーナーでは両局のアナウンサーが仲良く募金を呼び掛けていましたとさ。
2013/01/11(金) 00:04:51 | URL | TXが無いテレビなんて・・・
ウィッキーさんの英会話
ズームインの名物コーナーの一つだった、ウィッキーさんのワンポイント英会話は、最終的には7:30頃だけになりましたが、一時は、8:10頃にもやっていたような気がします。

しかし、さすがに8時台は通勤や通学で気が立っていて、「急いでいるのに呼び止めるな」などというクレームがあったのか、8時台は廃止になりました。

それにしても、当時は、素人が写るテレビ番組が多く、コーナーとコーナーの間には目障りなほど目立つ人もいたのに、ウィッキーさんに呼びかけられるとみんな逃げていく(場所はそれぞれ違う)のが、当時の日本人の英語アレルギーを物語っています(末期にはだんだん話す人も多くなりましたが)。

でも、ウィッキーさんが、日本人に英会話を親しみやすくした人であることは間違いないです。
2013/01/13(日) 07:54:35 | URL | 10000k
デビューしたばかりの松田聖子
「ズームイン!!朝!」は
中学校に毎朝行く前によく観て
いました、高校生の頃は夏休みや
冬休みにのんびり観ていましたね。
記憶に残っている出来事のいくつか
ですが・・・。

・松田聖子「ズームイン!!朝!」
 に生出演。
 1979年にデビューしたばかり
 で本当に初々しくてかわいらし
 かったですね、ブームになった
 聖子ちゃんカットでした。

・1979・80年頃だったと思い
 ますが、原宿?のブティック
 「ボートハウス」と言うブランド
 のアルファベットのロゴの
 デザインのトレーナーが大流行し
 お客さんが大行列みたいな
 リポートを観ました。
 私もほしかったですね、あまりに
 人気がありすぎて、模造品も
 あらわれて問題なったようです。
2013/01/13(日) 20:43:47 | URL | くも
こちらはデビュー前
くもさんのコメントで思い出したのですが、デビュー前の松本明子さんもこの番組に出演していました。今は無き宇高連絡船に乗り、大志を抱いて上京するという触れ込みでした。
後に彼女が、過激な発言で世間の注目を集めることになろうとは、このとき誰が想像したでしょうか?
2013/01/19(土) 12:43:23 | URL | うみがめ
● TXさん
往時は、そういう安直な繋ぎもけっこう有ったと思うんですよ。
豪快というか、地方ナメられとったですよね(苦笑)。


● 10000kさん
たしかに、2回くらい有ったと思いますよ。
場所を多少移動してね。
気が立ってたのかな。そういうシーンを見た気はしませんが、逃げられるのは普通でしたよね。
英語で話すのも確かに嫌だったろうけど、朝って寝癖とかも気になるしなあ(笑)。


● くもさん
聖子さんはたしか、日テレのドラマでデビューじゃなかったでしたっけ。
日テレになにがしかコネが有ったんでしょうね。
ボートハウスですか。原宿かあ。覚えてない訳だ(笑)。


● うみがめさん
ああ、明子さん四国・香川ですからね。
野生児なんだな(笑)。
2013/01/28(月) 00:07:22 | URL | ごいんきょ
♪集英社の雑誌です
おおむね7時40分頃になるとこのジングルが流れて少年ジャンプだとかプレイボーイなどの生CMやっていましたね。
(NONNOとかMOREはまた別のジングル)

但し、このCM見れたのは
夏休みなどの長期休暇のときだけでしたが…
2013/01/29(火) 00:33:28 | URL | yig
あのアイドルの名場面みたいな
番組で、日本テレビ系のドラマ
「おだいじに」で松田聖子という
芸名と同じ役で太川陽介と共演
していたのを観た事があります。
「ズームイン!!朝!」に出ていた
松田聖子のファッションを思い
だしてみました、清楚なワンピース
でしたが、インタビューの内容
は残念ながら忘れました。
1980・1981年頃は全国の
校内暴力特集というコーナーが
あって、各地方のリポーターが事件
のあった中学・高等学校から生中継
するという内容でした。
ガシャーンというガラスの割れた音
とおどろおどろしいタイトル・衝撃
的なバックミュージックが不安を
感じさせました。

・うみがめさん
 たしか演歌でデビューしたと思い
 ますが途中でバラドルに転向
 していますね。

・yigさん
 私もそのCMを観た事があります
 少年ジャンプの新刊の表紙
 を出していました。
2013/01/29(火) 18:59:10 | URL | くも
● yigさん
夕方の出門英さんがやっていた『マイスタ』では、講談社がCMやってました。
♪ おれーとお前の、ヤーング マガジーン
ビーバップが人気出始めの頃ですね。


● くもさん
ああそうそう。おだいじにでしたっけ。
あそこでの役名も松田聖子なんですよね、たしか。
校内暴力特集って凄いな(苦笑)。
何を紹介してたんでしょう。
割れてるガラスの枚数でも競って多のかな(笑)。
2013/01/31(木) 02:10:43 | URL | ごいんきょ
コーナー名は
「校内暴力なぜ?」だったと思います。各地の校内暴力の発生した学校を実名で紹介し、背景を掘り下げるというようなコーナー。地元でも市内で有名な荒れた学校が出ました。さながら全国荒れた学校選手権みたいな様相を呈していました。当時は対教師暴力、今は対生徒暴力が問題になってます。
2013/01/31(木) 07:37:41 | URL | とらお
ははあ。
制作側の意図は、そういう悪い部分がテレビで有名になってしまうと恥ですよ、という意識を持たせたかったのかな。
いま体罰が問題になってますけど、今度はそちら側からやってみる手も有りそうですね。
2013/01/31(木) 20:57:52 | URL | ごいんきょ
ちゃらんぼらんなところが吉と出た?
齋藤さんの談によると、初代の司会に徳さんが決まった大きな決め手は、”社員としての勤務実態の悪さ”にあったらしいです(汗)。

当時の徳さんは一日テレの社員でありながら、タイムカードを押しに着たらすぐにデスクワークも放りっぱなしにして大井競馬場やら月島やらの競艇場で一日中ギャンブルに勤しむという有様。ちなみにその頃すでに局内では徳さんの「大穴狙い癖」は有名だったらしいですけど(笑)。

そんな徳さんの”自由出勤”ぶりを見て、齋藤さんは”堅苦しくない番組にするにはこのぐらいチャランボランな奴が司会やるぐらいが一番いいだろう”ってことで徳さんに白羽の矢を立てた・・・ということらしいです。
ま、それは表向きの事情でして、裏の事情は”主任クラスのアナウンサーなんだから、ちゃんとデスク職もしてもらわんと後半に示しがつかんだろ”という上層部の至極真っ当な観点があったからんですけど(汗)、何れにせよ、徳さんという良い意味で”ゆるい”空気を持った人が最初にメインを受け持った時点で十分に”勝算”はあったと言ってもいいかもしれませんね。朝から堅苦しいイメージのアナウンサーが深刻な顔してニュース評論なんてしてたら見てる側が疲れてきちゃいますからね(笑)。

そういう意味でも(あの頃の)徳さんを超える”朝の情報番組にぴったりな”司会者・アナウンサーって多分今後も現れないんじゃないでしょうかね・・・。ある意味、朝の情報番組はこうやって仕切るんだという”教本”を身をもって示してくれたっていうか。

単なるジャイアンツ親父(笑)と想っていたら大間違い。徳光和夫という人のテレビ史・アナウンサー史に残した存在感は世間一般が想像している以上に大きいものがありますね・・・。
2013/04/26(金) 08:13:34 | URL | YOU&I
沢田隆治プロデューサーの東京初進出番組という側面も
この番組は「てなもんや三度笠」終了後、不遇をかこっていた沢田隆治プロデューサー
の事実上の東京初進出番組(それ以前に東京12の金スペ(引田天功シリーズ等)や、日テレ等の単発番組に関わって
はいた。)でもありますね。

「スチャラカ社員」「てなもんや三度笠」を手掛けたコンビの沢田プロデューサーと脚本担当の香川登志緒の対立が先鋭化し、スタッフ・出演者も巻き込んで内部分裂状態となったのが、「スチャラカ社員」と「てなもんや三度笠」が終了した最大の原因(三度笠の場合は、他にカラー放送化に伴うスポンサー料増額に対して前田製菓が「ならスポンサー降りるわ」と降りたという面も大きかったですが)ですけど、その収拾の過程でABCは脚本の香川の方を選び、沢田は以降の「てなもんやシリーズ」のみならず、彼が関わっていた殆どの番組の担当から外され、以降閑職に追いやられた状態となっていました。
その間も「新婚さんいらっしゃい!」の企画立ち上げに関わったりしていたらしいですが、いざ番組が始まると彼の後輩が担当プロデューサーに据えられ、沢田は番組制作に全く関わる事が出来なかったり(又、その直後にラジオ報道部に事実上の左遷)と文字通りの不遇な立場に置かれていました。
そんな沢田に対して日テレの井原プロデューサーが不憫に思っていた様で、彼を東京に誘い、沢田はABC在籍のままながら、彼個人の製作プロ・東阪企画(社名の名付け親はABC社内での彼の理解者の一人だった原清社長)の設立で井原氏からの誘いに応じる事になります。幾つかの在京キー局制作の単発番組に関わった後、「50歳での引退」を公言していた井原プロデューサーの代理の様な格好で「ズームイン!!朝!」の総合プロデューサーに付く事になり、彼得意の演芸でも「花王名人劇場」(関西テレビ製作)で漫才ブームの火付け役
と評された程の復活を遂げた訳です。
そんな一方、沢田氏個人は古巣のABCからも「局の垣根を越え、放送界に於ける功績が著しい」として、定年延長後の63歳まで在籍という厚遇を受けた訳ですが、こうも厚遇を受ける事が出来たのも、朝日新聞創業家の一つ村山家の遠縁にあたり、朝日系縁者の勧めで日テレ入りしたという経歴を持つ井原氏の後ろ盾があったからこそとも思えますね。
2013/04/26(金) 16:12:13 | URL | TXが無いテレビなんて・・・
● YOU&Iさん
うーん、真偽はわかりませんが、仕事ほっぽってギャンブルしている人が、
「良い意味でゆるい」とは言えないと思いますが。
本当なのかな。
まあ徳光さんのお父さんは、日テレでもそれなりの地位の人だったようですから、
特に問題とはされなかったのかもしれないですね。
この番組は紛う事なきテレビ史に残る番組で、徳光さんも朝アナの代名詞なのは間違いないです。
でも、ワタクシは、徳光さん以外にいないとは全く思わないですよ。
過去にも、未来もおそらく、そして現在でも、大した人物だと思っている人はいます。
木島則夫さんとかの番組への姿勢を知るとね、不真面目な人が朝に合うというのには、
ワタクシは同調しづらいな。好みの問題ですね。
現在では、TBSの井上貴博さんが非常に素晴らしい人材だと思っています。
TBSは彼をきちんと扱ってあげて欲しいですね。
バラエティ崩れに堕していく半端なアナや、テレ朝の吉沢アナみたいに
飼い殺し同然にはなって欲しくないです。


● TXさん
なるほどねえ。面白い話でした。
ただ、井原さんが沢田さんに肩入れした理由がよくわからないです。
2013/04/28(日) 23:29:51 | URL | ごいんきょ
時はABCテレビの前身大阪テレビがオープンネットの時代・・・
「スチャラカ社員」等で知られるABC(当初はOTV)日曜お昼コメディ枠(現在の「新婚さんいらっしゃい!」に繋がる枠でもあります)は、当初KRT(TBS)では無くNTVの方に2年ほどネットされていたそうで、その頃にAD→ディレクターを務めていた当時の沢田さんと、同じくプロデューサーとしてのキャリアを歩み始めたばかりの井原さんと知り合った様で、その頃以来の付き合いらしいですね。
ラジオ部門在籍時から演芸・お笑い番組を得意とした沢田プロデューサーと、学生時代のバンド活動で音楽に強かった井原さんとの交友から生まれたのが、沢田さん担当ではミュージカル仕立ての股旅喜劇(良ーく考えるとかなり異色な取り合わせではありますな(笑))てなもんや三度笠となり、井原さんにとっては音楽バラエティのシャボン玉ホリデーになったとも言えるのでは無いかなと。

まぁ、それぞれ下地となった(パクったとも言う(笑))番組も別に存在するって事も承知のご様子のごいんきょさんにとっては書きたい事も山々でしょうけど(汗)
2013/05/03(金) 04:51:54 | URL | TXが無いテレビなんて・・・
あ~。ダイマルラケットさんの『びっくり捕物帳』は、関東では日本テレビだったんですね。
局同士は完全に無関係ではないとしても、井原さんと沢田さんが結び付くには、
更にかなりの曲折を必要とする感じですが。
2013/05/05(日) 15:36:00 | URL | ごいんきょ
これ以上はあくまでも憶測でしか無いですが・・・
これ以上の事は完全に当時のABC社内事情にも関わる話なので、あくまでも憶測でしか無いですが、ABCの最高幹部若しくは親会社の朝日新聞方面に、1974年まで出資していた日本テレビ、若しくは村山家と遠縁の井原プロデューサー個人に通じた人が居て、その方が間を取り持ったのでは無いかと?
本来ならサラリーマンの副業となる個人製作プロの設立にABC社長の原清氏(ちなみに腸捻転解消時、前面に立ってTBSやNETとの交渉を進めた人物としても知られる)が関わっているというのも、当時の「企業戦士社会」日本では普通あり得ない話ですし。

憶測序でに私個人の考察を一つ述べさせてもらうと、沢田プロデューサーが現場の第一線から外された頃より、ABC社内の指向がそれまでの在京キー局のサブ機能を担う文字通りの準キー局から、関西ローカル指向と内向きの姿勢が顕著になってきた様に見受けられるんですけどね。
それは、おいんきょさんなら知っていると思われる「成田プラカード事件」にABCスタッフも関わっていた(というよりもABCが製作メインの全国ネットのニュースショー番組「ポーラ婦人ニュース」に依る取材中の出来事であった)余波も大きかった面もあるかとは思いますが。
一方それと入れ替わるかの様に、放送免許申請時以来のライバルMBSが東京12と業務提携をしたりと在阪随一のキー局を目指す姿勢を鮮明にし、NETとの関係がますます悪化する事となります。

まぁ、それもこれも朝日新聞と当時、電波行政を牛耳っていた越後方面の大物政治家(笑)が新聞系列に基づくテレビネットを確立する事で、テレビというメディアを自らの支配下に置こうと多方面に政治工作していたのに起因しているとも思えますけどね。
直接は関係ないですけど、極近くの国に、前々回の大統領選で投票前日まで優位と見られていた自党候補が投票当日に逆転負けを喰らった事を恨みに思ったのか、次の大統領選で大勝した後、その越後の大政治家と同じ事を目論んだ大統領並びに政権与党(現在も政権与党ですが)がありましてね・・・。民主化以降、リベラル系の牙城と目されていたテレビメディアを、保守色が強い(つうか......、日本でも蔓延った例のキャンペーン通り
の姿勢です(笑))新聞メディアの支配下に置く事で政府・政権与党の介入を容易にしようという意図で、前大統領在任中に見事にテレビメディアの新聞系列化が進み、その弊害が日本でもウンザリするほどの大キャンペーン(爆)。あれじゃ日本の保守・勝共系まで激怒するわと呆れるやら。
無論、あの手の連中のネット嫌いも、結局は往年の日本映画界の五社協定と同質だとしか。

関係ない話まで失礼しました。
2013/05/15(水) 14:25:02 | URL | TXが無いテレビなんて・・・
物の本で読んだのですが、当時としては騒がしい内容の朝の情報番組にしたのは、他局で6時台に再放送していたアニメの視聴者である子どもたちにまず目を向けてもらおうという狙いがあったそうです
もともと日テレではズームイン以前の7時台におはようこどもショーやカリキュラマシーンといった子供番組を放送していたのもあって、子供の目に止まりやすい環境であったのもその発想の原点じゃないかと思います

今はズームインの遺産を日テレ自ら投げ捨てて見る影も無いですが、朝の情報番組の概念自体を変えた歴史的番組であったということには異論を唱える人は居ないでしょう
2013/06/27(木) 00:31:56 | URL | (ハンドル未記入)
デビュー前
スームイン朝で香川 西日本放送の唯一の汚点が平井明子(旧姓:松本)さんが歌手として高松港から東京へ行かれる時生放送されたことです。丸亀市長の娘さんに里帰りの時宇野~高松間で1960年暮れ瀬戸内海に飛び込む寸前に助けてもらったと母が言ってました。1966年4月8日生まれの娘さんが居るとも言ってました。この話正しければ平井明子さんの母になります。本籍:高知県
2014/04/30(水) 01:45:12 | URL | 名無しのおばん
● TXさん
井原・三井家と村山家は遠縁ですか。
でも、井原さんは昭和32年頃ならサブでしょうから、びっくり捕物帖にも何か関わっていたのかもしれません。
著書ではまったく触れられてませんけどね。


● 未記入さん
はー。
ま、裏にピンポンパンが有りましたからね。
この番組がピンポンパンに引導を渡したんだなあ。


● 名無しのおばんさん
松本明子さんが上京する時に生放送したんですか?
まあスタ誕出身ですから日テレが押してもおかしくないですけどね。
2014/05/07(水) 01:39:48 | URL | ごいんきょ
ズームが大好きで。。
いまだにyoutubeで、朝時代のテーマ曲を聴きます。32年間の移り変わりのopタイトルを繋ぎ合わせた強者もいますよw
実は、今も24時間テレビの日曜日の朝には、懐かしのズームインポーズにズームイン!!朝!のロゴ、テーマ曲、シュルシュルの画面切り替え音が流れるんですよ。もちろん、徳光さんと羽鳥さんが出ています。
2014/10/25(土) 16:29:21 | URL | たま
本当だ。
宮川さんの主題曲は素晴らしいけど、
朝からホイッスルという感覚は、よく考えると冒険でしたね。
2014/10/26(日) 00:24:33 | URL | ごいんきょ
今のZIP!にも。。
特に徳光・福留時代の曲調は20年の長きに渡って、平日には毎朝5分は流れ続けました。忘れようにも頭に焼き付いていますw。今はNHKでさえも、しょっちゅう曲が変わるので印象に残りません。朝番組で曲が変わらないのはラジオ体操の歌くらいでしょうかw
シュルシュルの切り替え音や特大温度計に到っては32年も使われました。(何と温度計は初代のズームイン!!朝!からデザインが全く変わらずズームインサタデーの関東のコーナーで今も生き延びています。)
中継には金がかかるので、このようなライブ感満載の番組復活は難しいでしょうね。
ただ、いまのZIP!にも、6時代に地方と結ぶコーナーがあります。そこは、見ていますw
2014/10/26(日) 03:53:35 | URL | たま
ああ、各地の挨拶の後ろでずっと流れてましたからね。
ラジオ体操はさすがにまだやっているのですか。
ズームインの遺伝子を継ぐ番組、ズムサタが有るのですね。
2014/10/26(日) 21:36:09 | URL | ごいんきょ
朝の番組の先駆け??
お久しぶりです。「ズームイン」と聞くと、私が生まれる数か月前からやっていたのに驚いてます。私の中では、徳光さん司会されてた時はすごく小さかったので、まったく知りませんが、<とめサン>こと、福留さんと福澤さんが司会されてた時に毎朝見てましたよ。とくに、「プロ野球いれコミ情報」では、福留サン&巨人寄りの解説者の方や、中京テレビさんの、ドラゴンズ寄りの情報では、名古屋のローカルタレントでもある、「きくち教児サン」と、元中日ドラゴンズOBの方とのやり取りそして、広島テレビのカープ寄りの情報では、「それいけカープ」のBGMにあわせて元カープのOBの解説者さん&広島テレビのアナウンサーさんとのやりとり、そして、当時のよみうりテレビさんの森たけしアナ&辛坊治郎アナや、脇浜紀子アナ&元阪神OBの解説者さんとのやり取りしている姿が目に浮かんでしまいます。当時の天気予報のローカル局差し替えの時のBGMが未だに耳に残ってますし、いま現在でもOAされている、「ズムサタ」がズームインのスタイルを受けて継いでいるので、安心ですね。
2015/08/16(日) 12:06:29 | URL | そらいちろー&くもいちろー
系列局につなぐ音
度々カキコ致します。基幹局の日テレから、各都道府県の局に取り次ぐときの「プシュシュシュシュシュ~…。」の音も何年たっても耳に残りますね。
2015/08/23(日) 16:36:21 | URL | そらいちろー&くもいちろー
朝番組の先駆けは
現在のスタイルの朝番組の先駆けはTBSの「ヤング720」由来と思われる「おはよう地球さん(後におはよう720→おはよう700とリニューアル)」かと。
その番組内の「キャラバンII」(おはよう地球さん時代は「パスポート」ってコーナー名だったかと)から、ビューティフルサンデーの大ヒットが生まれたりと当時はかなりの影響力がありましたよ。

日テレが「ズームイン!!朝!」を始めた際に先行するTBSの「おはよう700」が念頭にあったであろう事は疑いようが無いでしょうね。
2015/08/23(日) 20:16:36 | URL | TXの無いテレビなんて・・・
● そらいちろー&くもいちろーさん
ズームインより後に生まれたなんて、なんと若いのだと驚いてます(笑)。
天気予報と言えば、徳光さんが歌を歌っていたのでしょうか?
非売品シートが出回っておりますが。

>プシュシュシュシュシュ~
なるほど(笑)。


● TXさん
ん? おはよう720の前はおはよう地球さんなんて番組だったんですか。
知らないなあ(笑)。
2015/08/24(月) 03:45:50 | URL | ごいんきょ
そう言えば
そう言えばローカル天気予報コーナーで徳光さんの素っ頓狂な歌が流れていましたなあ(笑)。
2015/08/27(木) 00:35:51 | URL | TXの無いテレビなんて・・・
TXさんへ。そうそう!!(^^)
TXさんへ。そうそう!!私も思い出した!!「ズームイン!!朝!」のローカル天気予報で徳光さんの…その素っ頓狂な歌が流れていましたよね〜〜〜!!(^^)
2015/08/27(木) 10:56:37 | URL | マスダっち1971
やはり後ろで流れていたのですね。
きっと『朝のホットライン』のアルカトラズに対抗したんだろうけど、
あまりに彼我の差が大きすぎる(笑)。
2015/08/28(金) 01:00:39 | URL | ごいんきょ
もしも空から
ローカルの天気予報で徳光さんが歌っていたのはそんな感じの歌でしたね。

内容は

①お酒が降ったら→ビールのちウイスキー一時焼酎
②野菜が降ったら→きゅうりのち白菜一時大根
③お金が降ったら→こんな歌なんかうたっちゃいられねえよ

こんな感じでしたね
ちなみに初期(もちろんホットラインが始まる前)からありましたね。
但し2番は初期だけだったため実は
内容もうろ覚えなのですが…

この歌にはじゃれてるパンダの映像がありましたね。

そういえばこの歌の前に中継で全国の
天気があったはずなのですが、
誰がやっていたか覚えていない…(苦笑)

2015/08/29(土) 01:08:28 | URL | yig
うわっ!
2年前の自分のコメントの下の
ナベチンさんのコメントに
歌詞書いてありましたなあ…
2015/08/29(土) 11:37:02 | URL | yig
お父さん
平井明子(松本)亡きお父さんが高松のスナックで娘が東京へ行く前日香川の西日本放送の社員と意気投合してしゃべったのが原因で当日の朝の乗船する船まで教えたとのこと。
2015/08/31(月) 01:23:30 | URL | 名無しのおばさん
個人的復活運動
下手なタレントを数だけ並べるようなマンネリで無策な演出より地方各局のアナがそれぞれの独自色を生かして新鮮で多彩な話題を紹介していた。局アナ中心の起用に徹していたのも成功理由の一つ。とにかく飽きが来ない毎朝の楽しみ。やはり日テレにはズームイン!が似合うのだが。今や土曜日のみで辛うじて首の皮がつながっている状態。日テレさん復活を考えてくれないかぁ・・。
2015/08/31(月) 23:14:32 | URL | 六無斎リターンズ
● yigさん
本当だ。
しかもワタクシも、シート音盤化されてる事に言及してるし(笑)。
大体、もう2年も経ってる記事だなんて思えないし。


● 名無しのおばさんさん
記者側がお父さんを籠絡したという事でしょうかね。


● 六無斎リターンズさん
日本全国の地方局を活性化させた功績は大きいですね。
2015/09/09(水) 00:04:59 | URL | ごいんきょ
けが
いつだったか忘れましたが7月15日の早朝徳光和夫さん博多祇園山笠の台上がりして骨折してましたね。番組にはけがしても松葉杖で出演されてました。
2015/09/16(水) 01:07:35 | URL | 名無しのおばさん
あらら。
デスさんに四の字かけられて以来の苦難だな(笑)。
そう言えば死体が発見された事も有ったとか。
2015/09/23(水) 20:50:49 | URL | ごいんきょ
ズームイン!朝のハプニング
やはりワンポイント英会話でのビートたけし&高田純次の乱入事件でしょうか。元気が出るテレビ!!の企画でしたが、困り顔のウィッキーさんと福留さんの「あれ、たけしさんじゃないの!?」の叫び声には笑わせてもらいました。
でも、本当の面白味は何事もなかったかのように「朝の詩」へと入って行く場面だったでしょうか。
2016/11/18(金) 00:57:35 | URL | TSUSHIMA
そんな事が有ったんですか。
局も承知の番宣なんでしょうけどね(笑)。
2016/11/20(日) 01:27:40 | URL | ごいんきょ
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