私的 昭和テレビ大全集
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アッポ・しましま・グー (1969)

該当番組画像募集


只今、個人誌『昭和テレビ大全集レコード版』&『ライト版』発売を記念し、
TBS金曜夜の番組、及び、子供向バラエティ・教育番組を織り交ぜて特集しております。
今回は、テレビ朝日がまだNET、日本教育テレビと名乗っていた頃の、この番組です。


♪ アッポ しましま グッググー アッポ しましま グッググー
  アッポンアタント アッポットー


『虹色の湖』が大ヒットした中村晃子が、力感そのままに歌っていた主題歌。
中村晃子はキングレコードの歌手で、キングレコードは講談社系列のためか、
その昔から童謡や、そこからの流れと思われるテレビ主題歌、
特に子供向け番組の主題歌に強かった。
だからキング所属の歌手というのは、みな多くのテレビ主題歌を吹き込んでおります。
快傑ハリマオの三橋美智也、新選組血風録の春日八郎、バス通り裏の中原美沙緒、
等々、枚挙に暇は無いのですが、昭和40年代も半ば頃になってきますと、
歌手のテレビ主題歌に対する立ち位置が、少し変わって来るのですね。

すぐに割れたSP盤に比べて、非常に軽く丈夫で扱い易いビニールレコードが
昭和30年代半ば頃から一般的になり始めます。
時あたかも高度成長に差し掛かり、テレビの普及率も飛躍的に向上。
身近な画面の中で歌手が実際に歌う姿(もっとも、初期には口パクが多かったはずですが)を
見るようになり、人々は歌謡曲に対して親近感を強めていったでしょう。
この時期、レコードプレーヤーも急速に普及したと思うのですね。
それまでのSP盤時代は、富裕層の物だったはずです。
我が両親も、SP盤時代にはレコードを購入していなかったようです。

ビニールレコードもLP盤は、昭和30年代当時としてはまだ高価な物で、
やはり富裕層か、かなりの趣味人しか買っていなかったでしょう。
そこへ現れたシングル盤は、音盤の革命的な発明品でした。
ずっと後年になって我々がCD登場の時に感じた利便性、
軽くて丈夫で小さくて扱いやすく音質も良い、という事を、
この当時の音響マニア層はきっと感じたと思うのですね。
そして、その利便性故にマニア層にとどまらず、我が親のような
軽めの好奇心旺盛な人間まで巻き込み、レコードの黄金時代へと突入するのです。

そうしてレコードのヒット曲が当たり前のように何十万枚と売れる時代になりますと、
昭和30年代には一年に十枚以上とか当たり前のように発売していた歌手側も、
一曲一曲を出し惜しむと言いますか、次の音盤発売までの間隔を空けるようになります。
その間にお金を貯めて、また私のレコードを買って下さいね、という事ですな(笑)。
そうなると、歌手の側としましては、テレビの主題歌なんかに関わっていられないわけです。
昔は月一枚以上出してたから、少しくらい企画ものが混じるのもご愛敬だったでしょうが、
頑張れば数十万、下手すると百万枚以上も稼げるとなってくると真剣です(笑)。
ドラマの主題歌である以上、詞はその番組世界に関わるものが特に当時は多く、
そうした物を他局で歌うのも、やはり憚られたでしょう。
昭和30年代は万事鷹揚で、小坂一也のライフルマンとか、普通に他局で歌われましたけどね。

また、そのような歌故に、よほど国民的に知られた番組主題歌でもなければ、
売り上げが限られるのも見えるわけです。
その番組がそれだけの知名度を得るかどうかは吹き込み時には普通わかりませんから(笑)、
売れ線の歌手にすれば普通に歌を出した方が安全な売り上げを見込める訳で、
この昭和40年代半ば頃から、売れ線歌謡曲歌手、特に露出を重視したアイドル歌手は、
テレビの主題歌をあまり吹き込まなくなるんですね。
主題歌を担当しても、音盤として発売しないという例も非常に多かったです。
代わりに、その人間を売り出すために挿入歌として劇中で歌わせるという形が出てきました。
挿入歌であれば、必ずしもその番組世界そのものを歌う必要が有りませんから、
或る程度は自由に詞や曲を宛がう事もできますので。

さて、かなり回り道が長くなってしまいましたが(笑)、
そんなこんなで昭和30年代に中核歌手となっていれば、もっと主題歌を歌っていたであろう
中村晃子も、この頃の主題歌担当は、この番組くらいじゃないでしょうか。
これが言いたいがために、状況説明が非常に長くなってしまいましたがね(苦笑)。
ずっと後年、『恋の綱渡り』を弾き語りで久々にヒットさせましたが、
あれもドラマ挿入歌で売り出すという例の一つでした。
『ドラマのTBS』を標榜していただけあって、TBSの得意技とも言えましたね。

で、肝心の番組解説の方が短くなりそうな気配で、本末転倒とはこの事なのですが(苦笑)、
この番組は、ブルーハットを着けたアッポちゃん、しましま狼、アヒルのグーの
三者を中心として描いた人形劇でした。ブルーハットと主題歌では歌ってますが、
わが家はまだ当時、白黒テレビだったと思いますけどね(笑)。
初期の頃はカバゴンこと阿部進が進行を担当し、場内に呼んでいた親子と話していたようですが、
回が進むに連れ、普通のスタジオ人形劇となったようですね。
阿部進は、この当時、本当に至る所で見た。あんなに顔を見ていたのに、
教育評論家という仕事で見た記憶は無いのが、また不思議なのですが(笑)。
この劇中にも、人間体のまま「あーべ」として出演したりしたようですね。

女の子と狼という設定からも窺われるように、元々の発想は赤頭巾ちゃんのようですが、
余計な一匹のグー、声は大泉滉ですけど、これが加わっている事でもわかるように、
結局はごくごく普通のドタバタ劇になったようです。
ごくごく最初の頃は、しましまもアッポちゃんを「食べちゃうぞ」と脅してたんでしょうけど、
グーがそれを馬鹿な行動で邪魔したりするうちに、逆にしましまの方が遊ばれる立場に。
主題歌ではその辺を、次のように歌っております。
♪ 食べられるってイヤだけど 一人ぼっちは つまんない~

これ、子供のころ聞いて、凄く不気味で嫌な感じだったんですよね(笑)。
仲よく遊んでいても、いつか食べられちゃうかもしれないなんて。
でも、よくよく考えてみると、人間関係ってそういうものなのかもしれない(苦笑)。
この人形劇は清水浩二が担当していたわけですが、
http://ningyonoie.com/zukan/appo/hajimari.html
彼は元々、宇野小四郎とともに、ひとみ座の前身となる劇団をやっていたんですね。
http://www.puppet-house.co.jp/ph/phr-kataoka1.html
老舗のプークとは違い、元々が演劇だった事も有ってか、ドラマ性が強かったのかもしれません。
ちなみに、ひとみ座は、あのひょうたん島の人形劇団です。
文化豊けき196・70年代のテレビでは、人形劇も影絵も、数多く見る事ができました。

しかし結局、そんな人形劇や影絵で実直に子供達へ夢を届けようとしていた人々は、
ほとんど例外無くと言っていいのではないかと思いますが、
テレビというものに絶望感を抱いて去りました。
毎日毎週新しい物を送り続けなければならないテレビというものの貪欲さは、
そうした志を消耗させ、貪っていた場合も、往々にして有ったのでしょう。
黎明期には創作者の熱で、消耗を顧みず、とにかく良い物をという格闘も有ったのでしょうが、
テレビが成熟し、その卑しさを臆面も無く我が物顔で振る舞うようになると、
後に残ったのは垂れ流しの画面ばかり。芸も無く、作り込まれず。
実はこれこそがテレビの本質で、大宅壮一がテレビなどはニュースとスポーツだけだ
と喝破したのは、実に慧眼だったと時の流れを超えて証明されたのです。
我々は、ことテレビに関しては、もう有り得ない良い時代を見られたのでした。
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コメント
この記事へ寄せられたコメント
NETで放送されていたんですね!
おはよう子供ショー
ピンポンパン
トリプルファイター
アッポ・しましま・グー
を幼稚園時代に
朝のテレビ番組として視ていた記憶があります。
アッポちゃんはフジテレビかと思っていました。
2014/01/19(日) 20:11:18 | URL | ぼの子
NET朝8時台、ピンポンパンの真裏でしたから、見ていた方は少なめと思われます。
トリプルファイターと被ってた時期ありますか。
2014/01/19(日) 22:18:17 | URL | ごいんきょ
曖昧なザックリ記憶で申しわけありませんです<(_ _)>
他にも「おはよう!こどもしょー」の
グリーンマンやレッドマンとかも
通園前の記憶に刷り込まれておりますw
時期的にはズレまくりですよね::
2014/01/19(日) 22:32:01 | URL | ぼの子
グリーンマンとレッドマンでは結構あいだ有りますけどね(笑)。
小さい子供の頃の記憶ですと、ゴッチャに固まってしまうのは解ります。
2014/01/19(日) 22:38:11 | URL | ごいんきょ
幼児番組が苦手なTBS
おはようこどもショー
ピンポンパン
アッポ・しましま・グー

他局が朝7時台に幼児向け番組をやっていたのに対して、TBSはニュースやおはよう700、古くはヤング720など、情報番組をやっていて、他局とは一線を画した番組構成でした。

今から見れば、ズームインやめざましテレビなど、朝はニュースし情報系番組が当たり前だから、よくいえば先見の明があったといえますが、やはり、TBSは幼児向け番組が苦手なんですね。

別トピにあった「ワンツージャンプ」も、これらの番組よりかなり後で、しかも後発ゆえに、あまり話題にならずに消えてしまいましたね。

でも、「ヤング720」なんて、関口宏や、故・松山英太郎など、そうそうたる面々が司会をやっていたそうで、見てみたかったです。

YouTubeには、スチル写真とOPテーマがあります。
2014/01/19(日) 23:33:39 | URL | 10000k
TBSの朝の幼児番組
子供が小さい頃に「じゃんけんキッズ」と言う番組を短期間やってたのを思い出しました。

短いスポット的なコーナーを繋ぎ合わせた15分ほどの番組でした。

うごうごルーガほど突き抜けた内容ではなかったけれど
ゆるく道徳を教える子供番組だったと思います(≧∇≦)
2014/01/19(日) 23:45:54 | URL | ぼの子
● 10000kさん
TBSは、一般に大人志向ですよね。
これは後発のフジテレビが、母と子のフジテレビを標榜したので、
棲み分けを意識したというのも有るのかなと思ってますが。
一つが当たるとどこもかしこも同じものをやるのではなく、
他とは違うのを考えていかないと不健全ですね。
ヤング720もやろうやろうとは思っているのですが、資料少なすぎです。


● ぼの子さん
平成の番組ですね。
ミキハウスですか。
2014/01/22(水) 01:11:02 | URL | ごいんきょ
ヤング720
確かにヤング720は資料が少なすぎますね。
東京版だけですが毎日・朝日・読売の番組表でヤング720だけを調べた事があったのですが、アナウンサーだからなのか土曜日に司会していたとされるABCの道上洋三さんの名前が見当たらなかったのです。
終わる7か月前(1970.9)に最後の司会交代が行われているのですが、それだと
(月・火)Kとブルンネン
(水・木)大石吾朗、市地洋子
(金・土)越智友嗣、久万里由香
となっています。
しかし、この後10月から1週間通しで出演するゲスト歌手枠が設けられるのですが、土曜は出ていなかったようなのです。
もしかするとその辺りに司会もしくはレポーター的な役割で道上さんが出ていたのかもしれません。

今の朝番組にも通じるかもしれませんが、ヤング720にはネット局の持ちよりで「今朝のミス・ヤング」というコーナーがあったり、ロケコーナー(インタビュアーはTBSの今井アナ?とかヴィッキー・モンゴメリーとか)があったりしました。
2014/01/30(木) 00:58:36 | URL | 鳥飼
情報ありがとうございます。
いずれはやる予定も有りますので、それまで取っておいて頂けると助かります(笑)。
2014/02/01(土) 06:43:55 | URL | ごいんきょ
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