私的 昭和テレビ大全集
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江戸の影法師 (1955)

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只今、個人誌『昭和テレビ大全集レコード版』&『ライト版』発売を記念し、
TBS金曜夜の番組、及び、子供向バラエティ・教育番組を織り交ぜて特集しております。
今回は、民放時代劇の祖を振り返る、この番組です。


既に『新選組始末記』の稿でその名を書き留めました、中村竹弥。
彼こそは、テレビ時代劇スター第一号であります。
テレビの黎明期、時代劇はテレビには不可能とされておりました。
NHKくらいの財力と権威がございますればともかく、
とにかく民放には絶対不可能とされておりましたし、
事実、民放第一号の日本テレビ開局から二年以上、制作されませんでした。

それは何故か。
歴史を学ぶという事は、未来を学ぶという事でもあります。
少し前に、テレビから時代劇が絶滅した理由を考察してみましたが、
その理由は、おそらく、黎明期と同じだと思うのです。

まず何よりも、資金面ですね。
時代劇は、とにかくお金がかかるのです。
身の回りの小道具一つをとっても、予算が無いから手持ちの物で誤魔化す、
なんてわけにはいきません。
現代に普通に有る物は、江戸時代以前には無いのが普通です。
そんな具合で、建物からそれこそ服、装飾品に至るまで、
全てを特別に用意しなければなりません。

次に、人材がいない。
時代劇である以上、和服等の着こなしが要求されるのは基本で、
立ち居振る舞いから言葉遣いまで、やはり特別な素養が要求されます。
日本人の知性が平均化されてしまった現在では、
そんなものは、ほとんど蔑ろにされているでしょうけれども、
往時のテレビは富裕層、即ち知識階級の物でありましたから、
時代劇は言葉遣いからして、それなりのものが要求されていた。
そのような言葉遣い・立ち居振る舞いを身に付けた存在は、
当時、テレビとは犬猿の仲であった映画界に集中しておりました。

TBSの開局にあたりNHKから引き抜かれた石川甫は、
この不可能に挑戦しようと果敢に挑みました。
とは言え、流石に徒手空拳では不可能という事で、
彼は森繁久彌を頼ったというのですね。
そして森繁は、マキノ雅弘を紹介するのです。

「日本映画の父」と称されたマキノ省三を実父とする雅弘は、
映画界がテレビという存在を舐めきっていたために、
まだ本気では締め付けに入っていなかったとは言え、
既に敵とは認識されていた相手に、よく伝授したと言います。
様々な技法的な事から、道具類の世話から、人材斡旋まで。
もって能村庸一は、マキノ雅弘を「民放テレビ時代劇の恩人」と称しました。

しかしマキノと言えども、さすがに主演級の俳優は世話の仕様が無い。
端役ですら、映画俳優はテレビに出演する事を島流しのように感じた時代。
主演級の俳優をテレビで使うなど、意識的にも、金銭的にも不可能です。
そこで独自に見つけ出さなければならなかったわけですが、
石川はNHK時代に現代劇で使っていた、中村竹弥を抜擢しました。
中村は、元々が歌舞伎畑の人物で、時代劇に必要とされる素養も有りました。
齢37の新人時代劇俳優の誕生であり、故に、既に押し出しも良かったのでした。

中村竹弥が「テレビ時代劇スター第一号」と言われるのはこの由縁で、
しかも後にも『新選組始末記』等々、当時人気の時代劇で幾つも主演をこなし続け、
押しも押されもせぬ、右に出る者の無い、堂々たるスターだったわけです。
ウィキペディアの記述が、あまりにも貧弱です。
どなたか芸能に詳しい方による補強が待たれます。

さて、そうして始まった民放初の時代劇ですが、
まだまだテレビも黎明期とあって、いろいろ未熟な部分も有ったようです。
しかも、全編生放送ですからね。
台詞忘れ等のトチリは当たり前でしょうし、一応は30分番組なのですが、
時間通り終わらない事も有ったようですね。
もっとも、当時はそんな事はしばしば有ったのでしょうし、
そもそもテレビを見ている人間が、そんなに多くなかったわけで、
それほど問題にもならなかったのでしょう。

ただ、石川の演出はけっこう注目されたようです。
人物の肩越しに相手を撮ったりして、当時のテレビ技法からすると
斬新だったであろう画造りをしていたようですね。
それにしても、昭和30年に、夜9時過ぎのこの番組を見られた人は、
本当に貴重な存在ですし、間違い無く富裕層の人でしょう(笑)。
街頭テレビなんか消されている時間ではなかったかと思いますし、
放送人を除けば、本当に自宅で見ていた人なんでしょう。
現在では、ましてパソコン上では、例によってコメントを望むのは難しいでしょうね。

この頃はまだテレビを舐めきっていた映画界でしたが、
このように時代劇まで制作し始めたりと、徐々に脅威と認識されだします。
阪急・東宝総帥の小林一三は、映画界の歴々を前に、次のような事を語ったとされます。
 テレビというのは恐竜の卵のようなものだ。
 今つぶすのは簡単だが、放っておけばえらい事になる。
そして昭和31年、映画界はテレビへの作品・人材提供を完全に謝絶。

TBSは、スポーツ中継などで気を吐く日本テレビに対抗するため、
『ドラマのTBS』を標榜する事を打ち出し、
そのために舞台を中心とした数少ない人材を、専属契約で囲い込み始めました。
後々まで容易に他局に追いつかせなかったTBSのドラマ優位性は、
周到に培われていた路線であり、中村竹弥は、その第一号でした。
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