うちの子にかぎって… (1984)
只今、個人誌『昭和テレビ大全集レコード版』&『ライト版』発売を記念し、
TBS金曜夜の番組、及び、子供向バラエティ・教育番組を織り交ぜて特集しております。
今回は、田村正和が新境地を拓いた、この番組です。
MANZAIブーム、とりわけ、ビートたけしの笑いが受け入れられた後、
それまでの日本に於ける権威・様式の相対化と言いますか、
もっと露骨に、嘲笑の対象とまでするという、日本人の特性にとって、
非常に大きな揺籃期が1980年代前半に起こります。
高度成長も成し遂げ、社会は安定。規範を揺さぶっても、大勢に影響無し。
折しも女性の社会進出も少しずつ進み始め、週休二日制も定着してゆき、
社会体制も、実は少しずつ、本当に少しずつですが、変容を孕んでいました。
この時実は、時の権威者たちは、断固としてタモリやたけしを指弾しておかねばならなかった。
しかし日本のマスコミは、GHQの日本分断工作の色、非常に濃く残っている体制で、
大雑把な言葉で表現すれば、当時は特に左翼色が非常に強く、
日本の旧来の体勢を崩す事は、彼らにとっては善とされたのです。
ま。ご本人達がどこまでそれを意識的にやっていたのかは、判然としませんが。
結果としまして、永六輔がタモリを、大橋巨泉がビートたけしを大いに重用。
それまでの旧体制人からすれば、本来なら顰蹙をかって然るべき両者が、
まるで文化人のような待遇でマスコミ連から厚遇されたために、
その目眩ましにあって、二人とも、旧体制人からも少しずつですが認められていきました。
ん?
『うちの子にかぎって…』の話じゃねーのかよ?
と思ったあなた、しばしお待ちを(笑)。
これはあくまでも枕、導入部でございます。
うちの子にかぎっての導入部で、本格的?文化論を読める。
なんとお得なブログなのだろうと思って下さい。
飽きないで(笑)。
チャンネルはそのまま!(笑)
さて、ここに書いております「旧体制人」と言いますのは、
具体的には、我が親を思い起こしながら書いております。
特に母親は、ビートたけしが好きではなかったし、言っている事にも眉をひそめました。
そして、それが正しい大人の反応だったと思います。
ああしたものは、決して真っ向から認めてはいけないものだったのです。
あそこらあたりから日本人の節度が少しずつですが、劣化していきました。
過去ログを見ればわかるように、ワタクシは、べつにたけしもタモリも嫌いではないです。
ただ、真っ向正面から、ああしたいかがわしい存在を認めては、やはりいけないと思いますね。
権威と革新の鬩ぎ合い無き所、腐敗しか生じない。そのように思います。
彼らは旧来の美徳を悉く揶揄、相対化。
当時に於いても、「タテマエ」から「ホンネ」の時代になったと言われました。
そうして少しずつ、しかし確実に旧来の意識が変容していく中、
教師の威厳も相対化されていき、それは現実の教師の規範意識の低下も招いていると思いますが、
この番組に於いて、ついに教師がコメディードラマの主役となってしまうのでした。
それも、それまでメロドラマや時代劇で二枚目を演じ続けていた、田村正和によって!
正にコペルニクス的、価値観の反転劇。
田村正和がコメディードラマを演る。十年前に、誰人が予測出来得たでありましょうか。
この配役の実現は、先述したような文化的・社会的背景を重ねてきての故であります。
この独創的な見解、どうぞ論文等でご自由にお使い下さい。
但し、個々人の判断に基づいて。 ワタクシに汚いケツを持って来ないように(笑)。
とにもかくにも、そのような論説を並べたくなるほど、
あの田村正和の役柄には衝撃を受けたものでした。
フライパンで頭を後ろからぶっ叩かれたくらいの衝撃を、少なくともワタクシは貰いました。
もうね。その配役を実現させた時点で勝負あったですよ。
仮に所ジョージがあの役やったって、面白くもなんともないですもの。
遊びは真面目にやらないと、つまらなくなる。
糞真面目な人間が少しだけ遊ぶと、面白くなる。
一応は小学校を舞台にして、子供たちの魅力も借りてはおりましたが、
基本は田村正和の幅を広げたところに勝因が有った事は、万人が認めるところでしょう。
そうして広がった幅は、後年の古畑任三郎あたりまでも含んでいったという事ですね。
この番組の主題歌も、価値観の変容を象徴していたかのようでした。
主題歌は、チェッカーズの『星屑のステージ』。
題名も、歌詞も、歌手も、このドラマとはなんの関係性も無い。
「主題歌」という言葉が、なんと虚ろなものとされてしまっているか。
この後、怒濤のタイアップ漬けにされていくドラマ主題歌の、先駆けのような動きでした。
その上、シングル盤のジャケットのどこにも、レーベルのどこにも、
ドラマの主題歌である旨などは一つも記載されず。
その昔は、価値観を縛られるテレビ主題歌を売れ線歌手が避けていたように感じられた。
ところがここに置いて、そうしたテレビ側の価値観も完全に無視されるようになっていたのです。
テレビの主題歌も、ただ歌さえ流して相互の利益に貢献すれば良い、となっていくのでした。
あくまでも枕と書いていたけど、今回はうなぎのように長い枕で終わった気もします(苦笑)。
ご自身の想い出、この記事への感想、情報、なんでも結構です。
記事や最終コメントの日付は関係ありません。
あなたのコメントがこの記事に再びの息吹を下さるのです。
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それまでの日本に於ける権威・様式の相対化と言いますか、
もっと露骨に、嘲笑の対象とまでするという、日本人の特性にとって、
非常に大きな揺籃期が1980年代前半に起こります。
高度成長も成し遂げ、社会は安定。規範を揺さぶっても、大勢に影響無し。
折しも女性の社会進出も少しずつ進み始め、週休二日制も定着してゆき、
社会体制も、実は少しずつ、本当に少しずつですが、変容を孕んでいました。
この時実は、時の権威者たちは、断固としてタモリやたけしを指弾しておかねばならなかった。
しかし日本のマスコミは、GHQの日本分断工作の色、非常に濃く残っている体制で、
大雑把な言葉で表現すれば、当時は特に左翼色が非常に強く、
日本の旧来の体勢を崩す事は、彼らにとっては善とされたのです。
ま。ご本人達がどこまでそれを意識的にやっていたのかは、判然としませんが。
結果としまして、永六輔がタモリを、大橋巨泉がビートたけしを大いに重用。
それまでの旧体制人からすれば、本来なら顰蹙をかって然るべき両者が、
まるで文化人のような待遇でマスコミ連から厚遇されたために、
その目眩ましにあって、二人とも、旧体制人からも少しずつですが認められていきました。
ん?
『うちの子にかぎって…』の話じゃねーのかよ?
と思ったあなた、しばしお待ちを(笑)。
これはあくまでも枕、導入部でございます。
うちの子にかぎっての導入部で、本格的?文化論を読める。
なんとお得なブログなのだろうと思って下さい。
飽きないで(笑)。
チャンネルはそのまま!(笑)
さて、ここに書いております「旧体制人」と言いますのは、
具体的には、我が親を思い起こしながら書いております。
特に母親は、ビートたけしが好きではなかったし、言っている事にも眉をひそめました。
そして、それが正しい大人の反応だったと思います。
ああしたものは、決して真っ向から認めてはいけないものだったのです。
あそこらあたりから日本人の節度が少しずつですが、劣化していきました。
過去ログを見ればわかるように、ワタクシは、べつにたけしもタモリも嫌いではないです。
ただ、真っ向正面から、ああしたいかがわしい存在を認めては、やはりいけないと思いますね。
権威と革新の鬩ぎ合い無き所、腐敗しか生じない。そのように思います。
彼らは旧来の美徳を悉く揶揄、相対化。
当時に於いても、「タテマエ」から「ホンネ」の時代になったと言われました。
そうして少しずつ、しかし確実に旧来の意識が変容していく中、
教師の威厳も相対化されていき、それは現実の教師の規範意識の低下も招いていると思いますが、
この番組に於いて、ついに教師がコメディードラマの主役となってしまうのでした。
それも、それまでメロドラマや時代劇で二枚目を演じ続けていた、田村正和によって!
正にコペルニクス的、価値観の反転劇。
田村正和がコメディードラマを演る。十年前に、誰人が予測出来得たでありましょうか。
この配役の実現は、先述したような文化的・社会的背景を重ねてきての故であります。
この独創的な見解、どうぞ論文等でご自由にお使い下さい。
但し、個々人の判断に基づいて。 ワタクシに汚いケツを持って来ないように(笑)。
とにもかくにも、そのような論説を並べたくなるほど、
あの田村正和の役柄には衝撃を受けたものでした。
フライパンで頭を後ろからぶっ叩かれたくらいの衝撃を、少なくともワタクシは貰いました。
もうね。その配役を実現させた時点で勝負あったですよ。
仮に所ジョージがあの役やったって、面白くもなんともないですもの。
遊びは真面目にやらないと、つまらなくなる。
糞真面目な人間が少しだけ遊ぶと、面白くなる。
一応は小学校を舞台にして、子供たちの魅力も借りてはおりましたが、
基本は田村正和の幅を広げたところに勝因が有った事は、万人が認めるところでしょう。
そうして広がった幅は、後年の古畑任三郎あたりまでも含んでいったという事ですね。
この番組の主題歌も、価値観の変容を象徴していたかのようでした。
主題歌は、チェッカーズの『星屑のステージ』。
題名も、歌詞も、歌手も、このドラマとはなんの関係性も無い。
「主題歌」という言葉が、なんと虚ろなものとされてしまっているか。
この後、怒濤のタイアップ漬けにされていくドラマ主題歌の、先駆けのような動きでした。
その上、シングル盤のジャケットのどこにも、レーベルのどこにも、
ドラマの主題歌である旨などは一つも記載されず。
その昔は、価値観を縛られるテレビ主題歌を売れ線歌手が避けていたように感じられた。
ところがここに置いて、そうしたテレビ側の価値観も完全に無視されるようになっていたのです。
テレビの主題歌も、ただ歌さえ流して相互の利益に貢献すれば良い、となっていくのでした。
あくまでも枕と書いていたけど、今回はうなぎのように長い枕で終わった気もします(苦笑)。
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