私的 昭和テレビ大全集
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うちのトノサマ (1959)

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只今、個人誌『昭和テレビ大全集レコード版』&『ライト版』発売を記念し、
TBS金曜夜の番組、及び、子供向バラエティ・教育番組を織り交ぜて特集しております。
今回は、今日ではあまり振り返られなくなった人物に触れる、この番組です。


いま現在の垂れ流しのテレビというものを横目の一角に眺めながら、
黎明期のテレビを調べ、記述していくという行為は、実に辛い作業です。
いまのテレビが腐りきっている事は、よほど鈍感な人でもなければ感じるでしょうし、
実際、ネット上でも様々な人が様々な形で表現しております。
ここも、そのうちの一つと言って良いでしょう。
そんな意見が羅列される中、そもそもテレビなんて昔から腐ってただろ、
という意見が散見されます。

当事者が実体験として語るのなら判りますがね、そうでないなら、
あまりに一面的と言いますか、きちんと往時を調べてから言っているのか?
と言いたくなりますね、ワタクシなどは。
そりゃ、昭和30年代だって40年代だって、腐ってる番組はきっと山と有ったし、
腐っている(ように見える)人間も、いくらか見受けましたけどね。
でも、そうではいけない、俺たちはそうじゃないという気概を持って、
実際にそうでない番組制作をしていた人間も多かった。と、思うんですよね。

小島正雄という人物も、そのように感じます。
昭和43年1月、五十四の若さで急逝。
その時、インターネット時代のはるか以前であり、なおかつ、
テレビすらもまだ完全カラー化される前の神話時代末期とあって、
この膨大なネット上の情報の中で、なんと記述の少ない事よ。
それに比して、昭和末期から文化を劣化させ続ける仕掛人放送作家などは、
次々と賛辞を重ねられ、それが規定化してゆく。
残す努力をしてこなかった神代期の連中の怠慢が、
日本の若者から文化の豊かさを奪っていっている。
残す努力をしてこなかっただけでなく、掘り返そうとする努力も容赦なくむしる。
その現実のやるせなさと、己の非力さとに打ちのめされる日々。
ま、非力ながらも爪は立てて行き続けますが。


また横道に逸れてしまいましたが、そのように、例えば小島正雄にしても、
彼に関する記述がその功績に比してあまりにも少な過ぎるのです。
百科事典を標榜し、ほぼ恒常的に先頭で表示されるウィキペディアがその象徴。
なんとスカスカである事か(苦笑)。
大体、11PMの司会をやっている現役司会者として亡くなったのに、
小島の稿にも11PMの稿にも、その旨がただの一行も無いって…。
小島は11PMの初代司会者であり、彼の急死に伴い、暫定的に後任となったのは、
金曜司会の大橋巨泉。小島の代わりに一時的に月水も担当し、月曜は後々まで担当し続けました。
11PMというと俗悪番組のように認識している人も多いでしょうが、
初期はニュースショーの色合いが非常に濃いものでした。
金曜に巨泉が登場してきて、少しずつ砕けていくのですね。


気がつくと、また、
ん? 『うちのトノサマ』の話じゃねーのかよ?
と思われてしまう状況になっている(苦笑)。
このように、記述の少ない小島の功績も振り返りつつやっていきますので、
どうかチャンネルはそのままで!(笑)


彼は元々、ブルーコーツというジャズ楽団のバンマス?司会者で、
まずはラジオと関わり、その流れで、昭和33年頃からテレビでも活躍しだします。
アッと言う間に神風タレント(昭和語)となりましたが、
その頃、バンド上がりの司会者という存在は、変わり種と言われました。
既述の『光子の窓』、今後すぐ扱う予定のある『みんなで歌おう!』等、
やはり出身経歴から、主に音楽色の強い番組で、司会者として活躍しました。
博学からくる豊富な話題、人柄を偲ばせる話術は、常に好評を得て、
見る見るテレビの仕事が増えていったのです。

そこへ持ってきて、KRテレビ(今のTBS)から打診された、本番組の主役。
好奇心旺盛な小島は、最初から結構やる気あったんだろうと思いますがね。
しかし売れっ子だけに、過密スケジュール。
そこで彼は、関わっている番組の関係者等を集めて、
皆さんでいいように相談して下さい、とやったというんですね。
おそらく、マネージャーという存在が、まだ確立していなかったんでしょう。
さりとて自分で調整や説得をするのも面倒だったという事なんでしょうね(笑)。
この、使う側同士で調整させた事は、如何にも小島らしいとされました。

内容はホームコメディーで、一般的な小島正雄観からすると、少し意外な感じもしたでしょう。
後には『光子の窓』の中でズッコケたりしたのも、この経験が有ったから出来たのでしょうか。
彼が演じたのは、東山金太郎という、やや古風な考えの封建主義的人物。
外交官あがりで貿易会社の社長という、当時のテレビ描写では当然の、歴とした富裕層。
彼が、自分は東山家のトノサマであるという具合にふんぞり返っているわけです。
この点に関して本人は、怒りは敵、愛は許し也とするキリスト的信念を固持する自分とは、
似ても似つかぬ存在ではないかと思ったらしいですがね。
ところが、放送を見た奥様が、こう宣ったとか。
「あなたって得な方ねえ。ふだん家にいる時と同じことしてお金もらうのね」(笑)。

でまあ、実際にはホーム・コメディーですから、そんなトノサマも、
自分では威張っているつもりが、実は奥さんを含めみんなに上手く転がされているという、
そうした愛すべき存在なわけで、故に「トノサマ」と片仮名表記なのでしょう。
小島はそれより以前、日本テレビの『OK横丁に集まれ』でお婆さん役をやっており、
それでコメディーっぽいのももいけそうだと判断されたんでしょう。
プロデューサーは小松達郎でしょうか。
脚本は飯沢匡で、小島も、飯沢の作品なら出たいと思ったようです。
元テアトル・コメディの飯沢という事で、プリマドンナだった牧まりが、
お婆ちゃん役で出演していたと言いますが、この辺になるとワタクシも門外漢で、
書いていてよくわかっておりません(苦笑)。奥さん役は轟夕起子でした。


ダーク・ダックスもゲストで出たようですが、彼らは正に、小島の秘蔵っ子。
ダークに、銭を貰える歌を歌え!とハッパをかけ続けたと言います。
http://ozsons.jp/KojimaMasao/index.htm
そんなダークとは、後に、これもTBS金曜の『みんなで歌おう!』で師弟共演。
あの手の音楽番組としてはかなりの長期間放送され、愛されました。
小島は引き続き、女性のスリー・グレイセスも手掛け、
日本人に和声の美しさを啓蒙・伝道し続けました。

小島や、日本テレビで彼と仕事をし続けた井原高忠らが、
あれほど懸命に育もうとしていた日本人の音楽的素養が、今、破壊されつつあります。
そして、その破壊者の仕事のみが拡大再生産され続け、
より上質なものを求めて切磋琢磨していた人々の業績は蔑ろにされ、
日本の文化、文化意識は、実は凄まじいほどの危機状態なのです。
テレビは決して、昔から腐りきっていたのでもありません。
「銭を貰える歌を歌え」と厳しく教え、
実際に銭を取れる歌を歌っていた人々が、何年も番組を持っていた時期が有るのです。
より美しく優れている技術を育む意識を、他ならぬ我々が、忘れないようしたいものです。
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この記事へ寄せられたコメント
小島正雄のような知的でダンディなTV司会者が、過去に埋没され顧みられることもあまりなく、今の反吐が出るようなお笑いタレント上がりの下品で知性の欠片もないような司会者が持て囃されているのは、何とも理不尽で腹立たしい気持ちです。
2014/02/24(月) 23:44:26 | URL | (ハンドル未記入)
補足めいたことを。
11PMに関しては最初の半年間(41年4月2週目まで)は当時読売新聞の報道部キャップの任にあった山崎英祐という人が日本テレビ版のホスト役をやっていて、小島さんはその後任、2代目のホスト役ということになりますね。

因みに最後の11PM出演は43年1月17日(水曜)。この放送の直後に体調不良で入院、その僅か3日後の同20日にで54歳という若さで黄泉へと旅立たれました。

この後、巨泉さんの暫定司会を経て、43年4月から水曜の新ホストとしてサントリーの生CMをやっていた三木鮎郎さんが昇格。同時にその相手役として番組初期のカバーガールの中でも群を抜いて人気のあったかのジューン・アダムスを起用。後に彼女は篠山紀信と結婚、”長旅に出る”という名目でフェードアウトしてやはりカバーガール出身のジュディ・アントンに相手役が代わり(46年10月から)、48年暮れで愛川欽也・立木リサ(秋川リサ)にバトンを渡しました。

・・・・という過程がWikipediaには一切掲載されていないというのがあのサイトの限界を物語ってる気もしなくはないですが・・・(汗)。

因みにあそこではジューン・アダムスの後が沢知美になってますが、色々これも調べてみると彼女は月曜の初代アシスタントだったようでして、その後に応蘭芳、次いで44年春から松岡きっこへと交代した・・・という感じみたいです。

あと、たぶん様々な古いラテ欄にも目を通しているであろうごいんきょさんなら御存知でしょうが、小島さんはフジ「スター千一夜」の初期司会陣の一人でもありました(これもWikiには記載がない)。他の初期司会陣は知っている限りでは小島さんのほか、高橋忠雄、三木鮎郎、フジの今井彬アナ、杉本隆平アナといった面々がいたようです。
2014/02/25(火) 04:17:00 | URL | (ハンドル未記入)
知的でダンディですよねえ、小島さん。
今の人々にも良い面は有るのでしょうけど、往時の人々の仕事が残されていかないのは理不尽に感じます。
往時を知る人々に、もう少し頑張って欲しいです。


あ、ごめんなさい。二代目司会者ですね。
11PM第一回は奇跡的に映像が残っていて、
ワタクシも入手できていたのですが。
小島さんに雰囲気が近い、やはり知的でダンディな人で、混同してしまいました。

非常に細かい補足、ありがとうございます。
ウィキペディア日本版の情報偏りが、非常に甚だしいですねえ。
アレを見ると、本当に日本の現今のヲタクのイビツさを痛感します。
どうでもいい情報をつらづら箇条書きで書き並べていたり、
武器だのなんだの、そこまで細かいのはファンサイトに任せればいいだろうと思うのですが。
ページが冗長になって、非常に読みづらいです。
逆に、現今のヲタクが興味を示さない、昔の子供番組以外のテレビ番組や芸能人に関しては、
あれだけ一世を風靡した人の記述が、なんでこんなにスカスカなんだと思います。
昭和30、40年代のテレビ・芸能を知る人たちに、もう少し頑張って欲しいですね。

スター千一夜に関しては、まだ精査していないので、よく知りませんでした。
三木さんは有名でしたが、小島さんもやってましたっけか。
2014/03/02(日) 05:23:58 | URL | ごいんきょ
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