私的 昭和テレビ大全集
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あにき (1977)

あにき

只今、個人誌『昭和テレビ大全集レコード版』&『ライト版』発売を記念し、
TBS金曜夜の番組、及び、子供向バラエティ・教育番組を織り交ぜて特集しております。
今回は、映画界最後の大物を引っ張り出した、この番組です。


 皆さんはどうお考えかわからないが、テレビというものは恐竜の卵のようなものだ。
 今なら簡単に潰せるが、これが孵化したら恐ろしい怪物になる。
財界人の集まりで、阪急・宝塚・東宝総帥の小林一三は、こう漏らしたと伝わります。
半分は慧眼、半分は盲目、かように総括できるかと思います。
 テレビはたしかに恐竜の卵であった。
 卵は孵化し、恐ろしい怪物が生まれ、育ち、日本を蹂躙し、破壊した。
 けれどもその卵の殻は、人間に潰せるほど柔らかい物ではなかった。
産み落とされた以上、いつかは必ず孵ってしまう怪物、それがテレビでした。

ごく初期には映画界から舐められ、関係者から歯牙にも掛けられなかったテレビ。
但し、まだ無名の大部屋俳優などは、食うために出演したりもしておりました。
それだって、かなりの都落ち意識が有った事でしょう。
予算も制作体制も、映画界から見れば子供騙しだったテレビなんぞに関わるという事は、
映画界の人間からしたら、屈辱以外の何物でもなかったわけです。
特に、権威主義だったり誇り高き人などは、
テレビが孵化し、怪物となってからでもひれ伏すのに抵抗を見せました。
その最大の代表格が、黒澤明でありましょう。
斜陽が訪れた映画で食い詰め、何度も周りがテレビへの道案内をするも、
彼は孤高に、映画への純愛を貫き通したのでした。
例え死を選ぼうとも、テレビ如きには与せぬという意地が有ったかと思われます。
ま。CMはやりましたがね(笑)。 ギャラの問題だけだったのかな?

俳優でも、そうした存在が数名おりました。
大体は、映画会社の側が出し惜しみをしていただけだと思われますが、
後年の渥美清などは、意識的にテレビへの露出を控えていたんじゃないでしょうか。
そして俳優側の最大の代表格と言えば、この人を置いて他にはいない。
高倉 健。
彼も、まだ駆け出しの頃には数回、テレビと縁が有ったようですが、
主演格となってからは、完全に隔絶。

もっとも、東京12チャンネルで、鶴田浩二と歌の共演が実現してはおります。
番組プロデューサー金子明雄は、東映ニューフェイスだった経歴を持つ変わり種。
同期には山城新伍、室田日出男、山口洋子らがいたようです。
そんなこんなで映画界とも繋がりが有った彼ならではの企画実現でしたが、
実は歌手としても多くのヒット曲を持つ高倉健の歌唱テレビ映像は、
間違い無くそれだけでありましょう。
もし映像が残っているのであれば、是非とも発掘して戴きたい。
ま。例によって残っていないとは思いますがね。

一方、映画界の斜陽が訪れるにつれ、高倉同様にテレビ出演を拒み続けた大物たちが、
続々とテレビに活動の場を移しだしておりました。
石原裕次郎、萬屋錦之介、勝新太郎、三船敏郎 等々…
最後の最後に気高くそびえていた砦が、高倉健でありました。
おそらく裏では、数多のテレビ関係者が、様々な条件で打診し続けていたはず。
視聴者側への話題提示でも、いつかいつかという話は、度々ありました。
それが愈々実現したのは、前述のお歴々よりもかなり遅れての、
昭和も五十年代に入ってからとなりました。
ちなみにその後も、他のお歴々のようには気楽な感じで出演はしておりません。

やはり最大の説得力を持ったのが、「倉本聰脚本」という事だったのではないでしょうか。
ギャラの金額もかもしれませんがね(笑)。
そう言えば、そちらはあまり話題にはならなかったなあ。
おそらく破格の金額だとは思いますが。
とにかく、高倉健テレビ連続ドラマ初主演という話題は、猛烈に喧伝されました。
その名も、『あにき』。
なんという剛速球ど真ん中(笑)。

高倉が演じたのは、妻に先立たれ、行き遅れている病弱な妹を思いやる鳶組頭の兄貴。
マドンナっぽい感じで、高倉とは肌合いの違う秋吉久美子。
妹は、大原麗子が演じておりました。
役柄はやはり、高倉を活かしたような、わりと重い感じの男。
しかし、ライトコメディーのノリも得意な倉本だからか、
高倉の希望が有ったのかはしりませんが(笑)、
ガチガチの文芸ドラマではなかったですね(笑)。
なんだか、『ムー』みたいなノリも有ったように思います。
突然、画面が暗転して舞台演技っぽくなったりね。

役者にとって出演承諾のための大きな要素として、共演者も挙げられましょう。
映画・網走番外地シリーズで何度も共演し、
私的にも高倉を慕い、憧れていたという彼女との兄妹役であった事。
これも非常に大きな要素だったであろうと推察できます。
二人は、高倉がNHK初出演となった山田太一脚本『チロルの挽歌』でも夫婦役をこなし、
その作品は大原にとっても会心の作だったのか、
亡くなった時のDVDにセットされていたという事です。
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コメント
この記事へ寄せられたコメント
高倉健がCM等に登場したのは
高倉健が一時期CMに幾つか出るようになったのは、その頃「高倉健死亡説」が広く流布していた事も大きかったのでは無いかと思われます。
高倉本人がわざわざ記者会見を開き「私はこの様に元気です。」と憤懣やる方ない表情で述べた程でしたからねぇ。
あの頃は何故かテレ東の(名前も失念した様な無名番組でしたけど)バラエティークイズ番組にも準レギュラーみたいな形で出ていた(高倉さんが実は如何にも九州人らしいお喋り好きという知られざる一面が見られたのは貴重でしたけど(笑))様な。
映画に拘りを持ち、出演作も厳選する役者としての有り様が「高倉健死亡説」の流布の原因となったかの様な現在の日本社会の下衆振りに何処か嘆かわしさすら感じるのは私だけでしょうか?
2014/01/29(水) 21:43:08 | URL | TXが無いテレビなんて・・・
でも、いなくなっても、あれ、最近見ないなとすら思いしてもらえないより良いのでは。
悪評も評価ですからね。
気にされているうちが花ですよ、芸能人。
ま、高倉さんはもう、花のまま終われる人ですけど。
2014/01/30(木) 00:37:26 | URL | ごいんきょ
健さんと文太さん
高倉健といえば私の時代は映画「鉄道員(ぽっぽや)ですが、健さんは、昔から映画一筋に生きてきました。
網走番外地とかは、今も根強いファンがいます。
健さんと文太さんは共演映画はありもませんが、広島のやくざ抗争の時から健さんは文太さんと抗争していて改造トラックにも「トラックは荷物を運ぶもの。改造するものではない」とバッサリ。
テレビで「殺人課」があった時も「石原プロの猿真似」とも言ってました。
2015/01/18(日) 15:13:40 | URL | 永山修一
健さんがそんな事を言う、はずが無い!ですよね。
高倉健さんの他者への思いやりは、我々の常識外まで行くようですから。
これは、どこで聞いた話か書いて戴きたいです。
あまり悪質なデマを流布すると、禁止措置を執ります。
2015/01/18(日) 17:45:43 | URL | ごいんきょ
この前はどうもすみませんでした。
銀幕のスター高倉健さんといえば網走番外地とか昭和残侠伝などの仁侠映画があります。私の世代は「鉄道員(ぽっぽや)」がありますが、健さんの昔の映画はどれも今も根強いファンがいます。
で、健さんは宇津井健と映画で競演のしましたし、武田鉄也とも競演しました。
この時代、菅原文太さんも主演映画で活躍しました。
で、健さんは、テレビドラマ「兄貴」でしたが、文太さんは「警視庁殺人課で」でした。石原裕次郎は「太陽にほえろ!」、二谷英明は「特捜最前線」、渡哲也は「大都会」、「西部警察」でしたが、それらを迎え撃とうとしましたがだめでした。
健さんは映画では「南極物語」とかにも出ていました。
文太さんや「男はつらいよ」の渥美清とともに、日本の20世紀の映画界を盛り上げてくれました。
この三人に盛大な拍手を送りたいと思います。
2015/02/15(日) 16:14:45 | URL | 永山修一
文太さんの方は、きっと健さんをなんらかの形で意識していたかと思いますけどね。
二人は、ほぼ同期みたいな感じなんですねえ。
2015/05/06(水) 12:55:57 | URL | (ハンドル未記入)
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