どんぐり音楽会 (1966)
只今、個人誌『昭和テレビ大全集レコード版』&『ライト版』発売を記念し、
TBS金曜夜の番組、及び、子供向バラエティ・教育番組を織り交ぜて特集しております。
今回は、たまには他局の番組もという事で(笑)、子供向けバラエティからこの番組です。
と言いましても、中部日本放送制作で、TBSでは放送はしてなかったけど、
これもTBS系列の局が制作した番組なのでした。TBSの回し者疑惑は一蹴できず(笑)。
この番組、関東人たるワタクシは当然、ただの一度も観たことありません。
しかし、そんな当ブログのコメント欄ですら、過去に数回登場している番組名。
これは、地元ではよほど名の通った番組だぞとは思っておりました。
今回、下調べをしようと検索をしてみて、その思いをもはるかに凌駕する、
身震いするほどの記述の多さ。
しかも、どれもこれも内容が濃い。
いかに中部の人に愛されていた番組かがわかります。
ローカル番組の至宝と言っても過言ではないでしょう。
内容は、要するに素人の、それも子供限定によるのど自慢。
ローカル番組ですので、出場者も自然、中部の人々という事で、
そういう家族的な雰囲気と、子供達のくれるほのぼのした空気、
そしてそれらが、日曜の朝9時という時間に合っていたという事なんでしょうね。
まだ落ち着いていた昭和日曜の朝、中部の人たちはもしかすると、
日本で最も恵まれたテレビ視聴をしていたのかもしれません。
初代司会者は柳有(やなぎ・ゆう)。
戦前は住友生命大阪本社に勤め、戦後、NHK長野放送劇団に加入。
昭和26年、中部日本放送に移籍し、劇団CBCで活躍した人です。
審査員は、浅野壽美子(幼稚園園長)、中川弘一郎(作曲家)、横江要子(音楽家)。
なにしろ17年もの長きに渡って放送されただけに、いろいろ変遷も有るようで、
司会者は後に、砂川啓介や石川進、マイク真木などが務めているようです。
三人とも、東京キー局の子供向け番組でも活躍しましたね。
砂川啓介時代には、彼の歌う番組主題歌がレコード化までされました。
少なくともその時代の提供は、オリエンタルカレーと、納屋橋饅頭。
オリエンタルは全国的に有名だと思いますが、納屋橋饅頭はローカル番組ならでは。
明治十九年創業の、名古屋名物のようですね。
当然、現役でご活躍中のようです。
出演した子供達は、舞台上でこの両社からお土産が貰えていたようですね。
審査員も変化が有ったようで、名古屋少年少女合唱団の水谷俊二先生の名も。
http://dreamofvoice.seesaa.net/article/138423348.html
上記ページでは、会場でCMのお手伝いをした貴重な体験談も読めます(笑)。
そう言えば、似たような事やってた『がっちり買いましょう』もオリエンタル提供だったな。
「おりゃウハウハウハウハ喜ぶでや ハヤシも有るでよ」のCMもやってたんでしょうね。
上記ページではハンバーグの素を宣伝させられたとありますが、それは覚えてないなー。
うちの母親は、そんな物を作るほど料理探究心無かったしな (^_^;
ま、共働きでも昔の男は家事をまったくやらず、そんな気力も無かったでしょうが。
ローカル番組の至宝だの、日本で最も恵まれていただの、表現が大袈裟すぎるだろと、
中部以外の人からは思われるかもしれませんが、中部の人には違和感無いのでは?
なにしろこの番組、ローカルにも係わらず、出場希望者が常時千人いたと言い、
まだラジオも力を残していた当時の日曜朝9時という時間帯でありながら、
視聴率は驚異の16%を固持していたと言います。
その時間にテレビを付けていた人全体のどれだけがその番組を選んだかという、
占有率で考えますと、あのNHKがべらぼうに強かった時代であっても、50%、
つまり、テレビを付けている家の半分は、この番組を見ていたわけです。
あの、中部ローカル番組にそぐわぬ検索情報の数、
そして、そこで語られている思い出の数々、むべなるかなであります。
ご自身の想い出、この記事への感想、情報、なんでも結構です。
記事や最終コメントの日付は関係ありません。
あなたのコメントがこの記事に再びの息吹を下さるのです。
トラックバック受付アドレスは、コメント欄の下にあります。
これもTBS系列の局が制作した番組なのでした。TBSの回し者疑惑は一蹴できず(笑)。
この番組、関東人たるワタクシは当然、ただの一度も観たことありません。
しかし、そんな当ブログのコメント欄ですら、過去に数回登場している番組名。
これは、地元ではよほど名の通った番組だぞとは思っておりました。
今回、下調べをしようと検索をしてみて、その思いをもはるかに凌駕する、
身震いするほどの記述の多さ。
しかも、どれもこれも内容が濃い。
いかに中部の人に愛されていた番組かがわかります。
ローカル番組の至宝と言っても過言ではないでしょう。
内容は、要するに素人の、それも子供限定によるのど自慢。
ローカル番組ですので、出場者も自然、中部の人々という事で、
そういう家族的な雰囲気と、子供達のくれるほのぼのした空気、
そしてそれらが、日曜の朝9時という時間に合っていたという事なんでしょうね。
まだ落ち着いていた昭和日曜の朝、中部の人たちはもしかすると、
日本で最も恵まれたテレビ視聴をしていたのかもしれません。
初代司会者は柳有(やなぎ・ゆう)。
戦前は住友生命大阪本社に勤め、戦後、NHK長野放送劇団に加入。
昭和26年、中部日本放送に移籍し、劇団CBCで活躍した人です。
審査員は、浅野壽美子(幼稚園園長)、中川弘一郎(作曲家)、横江要子(音楽家)。
なにしろ17年もの長きに渡って放送されただけに、いろいろ変遷も有るようで、
司会者は後に、砂川啓介や石川進、マイク真木などが務めているようです。
三人とも、東京キー局の子供向け番組でも活躍しましたね。
砂川啓介時代には、彼の歌う番組主題歌がレコード化までされました。
少なくともその時代の提供は、オリエンタルカレーと、納屋橋饅頭。
オリエンタルは全国的に有名だと思いますが、納屋橋饅頭はローカル番組ならでは。
明治十九年創業の、名古屋名物のようですね。
当然、現役でご活躍中のようです。
出演した子供達は、舞台上でこの両社からお土産が貰えていたようですね。
審査員も変化が有ったようで、名古屋少年少女合唱団の水谷俊二先生の名も。
http://dreamofvoice.seesaa.net/article/138423348.html
上記ページでは、会場でCMのお手伝いをした貴重な体験談も読めます(笑)。
そう言えば、似たような事やってた『がっちり買いましょう』もオリエンタル提供だったな。
「おりゃウハウハウハウハ喜ぶでや ハヤシも有るでよ」のCMもやってたんでしょうね。
上記ページではハンバーグの素を宣伝させられたとありますが、それは覚えてないなー。
うちの母親は、そんな物を作るほど料理探究心無かったしな (^_^;
ま、共働きでも昔の男は家事をまったくやらず、そんな気力も無かったでしょうが。
ローカル番組の至宝だの、日本で最も恵まれていただの、表現が大袈裟すぎるだろと、
中部以外の人からは思われるかもしれませんが、中部の人には違和感無いのでは?
なにしろこの番組、ローカルにも係わらず、出場希望者が常時千人いたと言い、
まだラジオも力を残していた当時の日曜朝9時という時間帯でありながら、
視聴率は驚異の16%を固持していたと言います。
その時間にテレビを付けていた人全体のどれだけがその番組を選んだかという、
占有率で考えますと、あのNHKがべらぼうに強かった時代であっても、50%、
つまり、テレビを付けている家の半分は、この番組を見ていたわけです。
あの、中部ローカル番組にそぐわぬ検索情報の数、
そして、そこで語られている思い出の数々、むべなるかなであります。
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