私的 昭和テレビ大全集
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ヤング720 (1966)

該当番組画像募集


只今、個人誌『昭和テレビ大全集レコード版』&『ライト版』発売を記念し、
TBS金曜夜の番組、及び、子供向バラエティ・教育番組を織り交ぜて特集しております。
今回はまた番外的に、帯番組の中でも特にテレビ文化を色濃く形作った、この番組です。


♪ セブン、トゥーオ~  デュデュンデュンデュン

昭和40年代前半のヤングを狂喜させていたスキャット・オープニング。
ワタクシはこの当時、ヤングというよりヤンガー。
裏の『おはよう!こどもショー』を見ながら、先般亡くなった加藤精三が演じる
ガマ親分のダミ声と共に、キューピーちゃんだのロバくんだのを見ていたお年頃。
もう、かな~りの後年になってこの番組の存在を知り、それは悔しかったものです。
と言って、うちの親が見るはずもない。
これだけ様々なチャンネルの様々な番組を、一部分でも眺めてきているワタクシですが、
自分でも後から改めて驚く事に、グループ・サウンズの記憶が皆無に近いのです。

その少し後にくるフォークの面々は、覚えているのも多いですよ。
と言うより、当時のフォークソングは、ワタクシの根元を構成する一部ともなっています。
みな「優しい」歌で、幼少時にテレビからああいう歌が恒常的に聞けた事は、
今、非常にたおやかな記憶として仕舞われており、歌の記憶が甦る毎に、
気持ちが心から安らぐのですね。そして、大袈裟で無くそれが、生きる力ともなっている。
大体、大きくなる毎に多くの人間は、苦しさや辛さが増えてくるものでね。
そうした事に耐えられる精神、これは、小さい頃に育まれているものだと思います。
更にその後の四畳半フォークは、あまり美しくはなかったですがね(笑)。

で、そんなTVバカ一代であるワタクシが、ただの一場面も、ただの一曲も、
グループ・サウンズというものを記憶していないのです。
ただ一つだけ例外が有ります。ブルー・コメッツで、彼らの代表曲ブルー・シャトーと、
女王・美空ひばりが君臨した真っ赤な太陽は、これはよく覚えております。
しかしその他の事は、本当に何一つ覚えていない。
スパイダースもタイガースもテンプターズも君だけに愛をもエメラルドの伝説も、何も。
それは一体、何故か?
ちょっとしたクイズですが、皆さん、正解を考えてから下に進んでみて下さい。



正解は、本当のところは勿論、ワタクシにもわかりません。
大きくなって気がついたら、記憶が無いという話ですからね。
しかし理を建てて考えると、ある一つの仮説は浮かびます。
そして恐らく、その推測は正しいでしょう。
おそらくウチの親は、グループ・サウンズを騒がしくて嫌っていて、
少しでも映るとチャンネルを替えていたのでしょう。
それにしても、恐ろしいまでの徹底ぶりだったと思われます。
何しろワタクシ、TBSの歌謡曲ベストテンとか歌のグランプリ、
フジの夜のヒットスタジオ、ヒット速報といった有名音楽番組は軒並み見ておりますし、
いわゆる普通の歌謡曲の記憶は、かなり数多くのものが残っております。
GSはそれら番組にも勿論レギュラーのように出演していたのですから、
これらが全く記憶に無いという徹底ぶりは、今更ながら凄いものが有りました。

書いているうちに思い出してきたぞ~(笑)。そうそう。
その頃はだから、GSとかグループ・サウンズという言葉も知らないわけですし(笑)、
どんな格好でどんな歌を歌っているのかもわからないわけですが、
何かしらが映った時に親父が、「あ~、もう替えて」とか言ってましたね。
でワタクシも、まだ子供だったので、ロックの曲調がそれほど好きでなかったんでしょう。
普通なら歌番組は好きですから抵抗するはずなのに、あまり逆らわずに替えてました。
で、彼らが歌い終わったろうという頃にチャンネルを戻したり、
替えた先が面白いと長く見ていた場合も有ったんでしょうけどね。
そんな具合なのは、きっと我が家だけではなかったと思います。

そんな我が家ですもの。仮にこどもショーを見てなくても、見る訳無いでしょ。
ってな番組が、ヤング720でした。  でしたよね?(笑)
こういうワタクシがこの番組に関して何か書こうとすれば、必然、
資料に頼らざるを得ない。
ところがこれまでも言ってきたように、この番組に資料はほぼ皆無。
と思っていたのですが、最近読んだ資料の中に、この番組の作家の本が有り、
中で、これまで目にした事が無いほどこの番組に触れられていたので、
なんとか概要を掴む事ができました。http://goinkyo.doorblog.jp/archives/8240991.html
更に、他にも持っていた資料を思い出し、調べたところ色々出てきたので、
ようやく懸案のこの番組に取りかかる事が出来ます。
なんか、既に前文にして一番組分の容量を書いてしまっておりますが(笑)。

この番組は、一言で言えば若者向け情報番組なのですが、
その後のこういう番組は、深夜とか、早くても夕方になりました。
それが自然だろうと思うんですよね。
ところがこの時期は、まだ深夜番組というものもそれほど開拓されてはいないし、
夕方もそれに繋がる番組… その後に開拓される15時台周辺とかですね…
も、あまり番組は無く、午後は全体として再放送がどっとなされているだけでした。
そこへいきなり17時台とかにポツンと、こうした番組をする発想にはならないでしょう。
一方、早朝に関しましては、日テレがワタクシの見ていたこどもショーを開拓しており、
んじゃあ、こちらは若者の方を頂くか、という発想になったんでしょうね。

だから、その後に考えると少しチグハグと言うか、
よくまあ、朝っぱらからこんな番組やっとるなという感じです(笑)。
なにしろ第一コーナーが、ヤングミュージック。
NHKでは締め出しを決定したグループ・サウンズが、こぞってここに登場。
GSブームに風を送り続けた番組がこれでした。
なんで朝の7時台からGSなのかと言うと(笑)、通学通勤のヤングが、
これを見るまで家にいて遅刻するといけないから。
朝7時からエレキギター。よくまあ、放送を続けられたと感心します。

開始時の司会者は、松山英太郎、関口宏、竹脇無我、由美かおる、小川知子、大原麗子。
これが男女一人ずつ組んで、交代で司会を務めるわけです。
当初のコーナーは、ヤングミュージック、若い広場、ガミガミ・コーナー、
フォークソングを歌おう、星占いといった具合。
若い広場というのは、若い世代にとってのヒーローへのインタビュー。
映画俳優、TVタレントは言うに及ばず、時代を象徴するような層として、
デザイナーやカーレーサー、前衛芸術家なども登場しました。
特にレーサーの人気が高かった時代のようです。
デザイナーは、今にまで名の通る日本のデザイナーは、大体この番組に出てますね。

ガミガミコーナーは、若者への意見、苦情、忠告の類を投書するもの。
おそらく、朝っぱらからこんな番組を!と不快に思う層へのガス抜きですね(笑)。
無事に数年こんな番組を朝っぱらから出来たのも、その甲斐あってかもしれません。
GSだけでなく、フォークもこの番組は押し立てました。
昭和40年代の二大若者音楽を、ともに一手に引き受けていたわけです。
YouTubeに正式デビュー前の天地真理が歌う音声が上がってますが、
おそらくこのコーナーに出演したのだと思います。
フォークソングを歌おうは、素人がフォークを歌うコーナーでした。
おそらくアメリカ帰りの景山民夫が出演したのも、このコーナーでしょう。
彼はカントリー&ウエスタンを弾き語ったといい、
それでこの番組のスタッフと知り合い、放送作家へと進んでいくのです。
星占いは、マリー・オリギンですね。
朝の情報番組は星占いをやるという悪弊は、この番組が始めたものでした。

番組開始に先立ち、TBSはミス・ヤングを募集。
まず15人が選ばれ、それから次々、毎週交代で年52人登場していたようです。
このミス・ヤング出身に、吉沢京子がいます。
昭和42年春からは司会者の半数が入れ替え。
竹脇無我、原田糸子、大原麗子が抜け、田辺靖雄、ジュディ・オング、恵とも子が加入。
月火・英太郎&とも子、水木・関口&かおる、金土・靖雄&ジュディという布陣です。
昭和43年秋には、月火担当が山内賢&川口晶から替わり、黒沢久雄&ブラバー・シェスに。
このブラバー・シェス、印日ハーフで、真理アンヌの妹という事でした。

その後も様々な人物が司会になり、最末期の昭和45年春には、土居まさるが司会を担当。
各曜日の女性アシスタントは、月・可愛和美、火・小西まち子、水・岡崎友紀、
木・岸ユキ、金・青木英美、土・吉沢京子という布陣となりました。
更に秋には、月火・Kとブルンネン、水木・大石悟郎&市地洋子、
金土・越智友嗣&久万里由香となり、内容も完全に一新。
月曜=ゴーゴー(昭和語)などを教えるヤング・ワンポイント、
火曜=我慢コーナー、水曜=ヤング特許局、木曜=様々な種目の勝ち抜きコーナー、
金曜=地方に焦点を当てたヤング地方部、土曜=セックスを含む愛情相談。
この時、GSは完全に死に絶え、フォークも四畳半フォークへの移行期と、
この番組が次々と啓蒙したヤング文化も、一通り出尽くしてしまったのかもしれません。
これが最終の顔触れとなりました。
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コメント
この記事へ寄せられたコメント
司会陣について補足めいたことを。
当方が勝手に色々なところから情報を仕入れたところで(汗)、歴代司会者についてちょっと補足めいたことを幾つか書き残しておきたいと思います。

・最初の1ヶ月は竹脇・小川、関口・大原、松山・由美が1週ずつ交代で司会をやってみたいです。曜日別になったのは41年12月(放送6週目)からとの事。
・大原麗子・竹脇無我は42年春に即降板という形ではなく、隔週の出演だった(大原が恵とも子、竹脇が田辺靖雄との隔週出演)。同時に大原は松山とのペアになり、松山とペアを組んでいた由美は大原に代わって関口と金・土曜の司会を担当。
・ジュディ・オングの出演は1967年末まで。
・川口晶は一時降板した時期があった模様(その間は声優で有名な藤田淑子が代役を務めています)。
・松山の後任だった小柳徹は1969年3月に交通事故により夭折。代わって大石悟郎が司会陣に加入。
・女性司会陣では由美は最も長く司会を担当。ただ、担当期間の終盤に当たる43年7月〜9月までは後輩の江美早苗との隔週出演だった模様(一気に仕事量が増えたからか・・・?)。
・昭和44〜45年の女性司会陣は岡田可愛、岡崎友紀、早瀬久美、小山ルミ、小橋玲子ほか。45年4月以降は完全日替わり制となり、岡崎以外のアシスタント役が総交代(岸ユキ、吉沢京子らが加入)。

と・・・思い当たる限りではこんな感じです(汗)。
2014/02/09(日) 21:27:20 | URL | (ハンドル未記入)
おお。
これは大変な補強情報をありがとうございます。
藤田淑子さんが、なんでって感じもしますがねえ。

この番組を見ていた人にとって、小柳徹さんの事故死は、記憶に刻まれる事件でしょうね。
2014/02/10(月) 01:47:03 | URL | ごいんきょ
何故か観た記憶が…
この当時、私も朝の時間帯は「こどもショー」を観ていたクチですが、何故か「ヤング720」も観た記憶があります。
実はこの番組、午後5時から再放送があったのでした。恐らくはそちらで観ていたのでしょうが、何せ当時の私は未就学児童、内容については「星占い」以外記憶にありません。
2014/02/10(月) 14:24:25 | URL | うみがめ
そうなんですよね。
当初は勿論、そんな事はしていないのですが、
再放送のリクエストがかなり有ったようで、途中から夕方再放送するようになったんですね。
この番組は、最初から生放送ではありませんでした。
だから一本くらいテープ残しておいてくれたら良かったんですがねえ。
最悪、最終回くらいは残しておこうってなるでしょう、まともな価値観持ってれば(苦笑)。
2014/02/12(水) 06:52:38 | URL | ごいんきょ
国立国会図書館で「ティーンルック」のデジタル資料化されたものを確認しましたら、
1968年5月11日~28日に小橋玲子がソビエトロケ(放送日…6月7・8・14・15日)に出かけている間、藤田淑子が代替として関口宏と金曜・土曜の司会をしていたみたいです。
江見早苗についてですが、由美かおるがイタリアに行ってる間の代替として小柳徹と水曜・木曜の司会をしていたみたいです。
また、1968年夏ごろに「第2回ヤング720まつり」と銘打って、葉山マリーナ・鈴鹿サーキット・滑川アイランドでの公開録画やカラー放送の回が7月中盤に相次いで行われたようです。
2014/02/13(木) 00:29:29 | URL | 鳥飼
ヤング720は基本的に白黒放送でしたが、1968年7月17日放送分で初めてカラーでの放送して以降、

・デイブ・ディー・グループが出演した回(1969年2月14日放送分)
・1969年4月1日、10月1日
・放送1000回記念(1970年1月23日放送分・当時の司会陣総出演+北山修、加藤和彦、はしだのりひことシューベルツほか)
・グアムロケ?(1970年8月26日放送分、司会・土居・岡崎、山本リンダほか)
※http://blogs.yahoo.co.jp/music1960_70/60838005.htmlのコメント欄参照
・1971年の正月と最終回前の1週間ずつ

と時節カラーでの放送を行ってました。
しかし、教養部セクション製作で朝の帯番組でなおかつ基本は白黒放送ってのもあったのでしょうが…
VTRが1本も残ってないのは悲しいですね。
2014/02/13(木) 00:38:35 | URL | 鳥飼
へえ、そんな事ができるのですか。
すると、単語検索もできるのですか。
それは便利になりましたね。

ティーンルックでそんなに詳しく情報を扱ってたんですね。
きっと提携してたんだろうな。
おそらく番組の方でも、ティーンルックの名前はよく使っていたのではないかと。

フォークルが解散後に一堂に集まっていたなんて。
昨年、北山さんと坂崎さんの催しを観に行きましたが、
面白くて、北山さんの辛さも伝わって、良いものを見られたと思いました。
小室等さんのまったく衰えない歌唱には魂消ましたが。

これ、教養部なんですか?(笑)
それにしても皆さん、貴重な情報を沢山調べて頂いて、お礼申し上げます。
どんどんTBS別働隊みたくなっておりますが、ここ(笑)。
2014/02/13(木) 04:41:05 | URL | ごいんきょ
RCサクセションと忌野清志郎を世に出したのもこの番組だったそうです。
僕が生まれるはるか前に終わった番組なので思い出等は一切無いのですが、豆知識を一つ。
後に日本のロックシーンに革命を起こすこととなる、忌野清志郎率いるRCサクセションも
1969年にこの番組のオーディションに出演したことがあるそうです。
その直後に東芝主催のオーディションにも出演し第3位となったこともきっかけとなり、
RCは1970年にプロデビューする運びとなります。

現在でも帯の情報番組は放送時間が膨大になることからまともに保存されていないそうなんですが、
この若き日のRCサクセションの映像がもし現存していたら、日本ロック史の重要な映像遺産になっていただろうにと常に思っています。
2014/02/25(火) 17:23:16 | URL | 補足
転校生の頃
昭和43年、転校した先のクラスではグループ・サウンズの話題でいっぱいでした。
クラスメート達は転校生の私を取り囲んで、誰のファン?と聞いてくれましたが、それまで歌は聴いたことがあるものの、テレビでグループ・サウンズを殆ど観ていなかった私は答えられませんでした。

一日も早く新しい友達を作りたい一心で、クラスで毎朝話題になる「ヤング720」を観るようになりました。
我が家では朝のテレビはNHKと決まっていたのですが、転校でしょげている娘を不憫に思ったのか、親も許してくれました。きっと父はかなり我慢をしてくれていたと思います。

その後、タイガースのピーさんのにわかファンになって、
♪ビーバーティンルック、ビーバーティンルック、ティーンルーック、ティンルック、ティンルック!!
とタイガースがCMしていたティーンルックを読んだり、明治チョコレートの包み紙を送って、ピーさんのソノシートをもらったりしました。

ヤング720の記事を読んで、転校したての不安がいっぱいだったあの頃を思い出しました。
2014/02/27(木) 18:03:49 | URL | モデラート
● 補足さん
ほー。
すると、やはり『フォークソングを歌おう』に出演したんでしょうね。
初期の忌野さんは、たしかそんな感じだったかと。
幸い、あのヤングインパルスで初期のRCは残してくれてますけどね。


● モデラートさん
夜だってGSには露骨な不快感を示す大人ばかりだった当時、
朝からこの番組を見るのは、かなりの葛藤が各家庭で有ったろうと推察されるのですね(笑)。
どうか、各家庭でのお話を聞かせて戴ければと思います。

ピーさんがようやく復帰されて、本当に全員が揃ってのコンサートをテレビで見ましたが、
皆さんよく動いていたなあ。
特にピーさんは、あれだけの空白期が有って、しかも、幾つも違わないとは言え最年長で、
あの動きはおかしいですって(笑)。
どれだけ入念に準備していたのか、あの人の人生、性格を考えると、
大いに理解できるのですけどね。
あれだけ全てを入念に出来たら、悔いの無い人生だって自信を持って言えるでしょうねえ。
2014/03/02(日) 05:42:14 | URL | ごいんきょ
憧れて見てました
GS時代前夜、フォークの時代だったのでしょうか? 何でこんな朝っぱらからこんな番組をやっていたのか、なんて今でも思います。
司会者は皆アイビー世代あるいはそれより少し後だったわけですね。
中学生にとって、VANジャケットやホンダN360など若者向けアイテムと並んで、この番組の出演者は一種憧れでした。
当時のリーダー役は関口氏でしたか? 小柳徹氏が亡くなった翌日、憔悴しきった顔で視聴者に報告したのも多分関口氏だったように思います。
黒沢久雄氏も覚えていますが、今回このブログを見て、西野バレエ団がほぼ総出演だったことは意外でした。
2014/06/13(金) 23:13:52 | URL | 元朗
GSの直前からフォークが出てるでしょうけど、GS後もフォーク勢は頑張ってましたよね。
ビリーバンバンさんとか。
で、GSも廃ると四畳半フォークの暗い世界になるかと思います(笑)。

VANというのは団塊世代にとって、神話的ブランドなんでしょうねえ。
やはりこの番組とは切り離せなくて。

関口さんが中心という事は無いと思いますが、
やはり親もああですしテレビ慣れしているといった感じで、
自然とそうした役割になってたのでしょうね。
2014/06/13(金) 23:43:07 | URL | ごいんきょ
おいしそうでした
確か土曜日は「ヤング朝食会」
とかで食卓におしゃれなサラダ
などが並んでいて、出演者がそれを
食べながらトークしてたと思います。
グルメ番組も殆どなかった時代で
おいしそうだなと思った記憶が
あります。
2017/03/21(火) 08:30:24 | URL | shusshu
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