私的 昭和テレビ大全集
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テレビ劇場 (1958)

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只今、個人誌『昭和テレビ大全集レコード版』&『ライト版』発売を記念し、
TBS金曜夜の番組、及び、子供向バラエティ・教育番組を織り交ぜて特集しております。
今回は、TBSドラマの、いや、日本TVドラマの礎ともなっている、この番組です。


三洋電機というのは、日本のテレビ史に於いては、
特筆されるような電機屋さんだったんですよね。
日本初のスペースオペラとも言われる『宇宙Gメン』を作ったり、
これまた日本初のカラー連続アニメ『ジャングル大帝』を作ったり、
リモコンでチャンネルがガチャガチャ回る、奇態なテレビを作ったりね(笑)。
サンヨーと言えば、ワタクシはいまだに「ズバコン」。
あの、♪ サンヨースバーコンッ というジングルと共に、即座に浮かびます。

そんな三洋電機が、これもテレビの黎明期に提供していたドラマ枠、
それが『サンヨーテレビ劇場』でした。
内容は、いわゆる名作と言いますか、文芸作品を原作としたドラマ。
それを1~4回程度で放送していた、形態としては割と自由度の高い枠でした。
但し、内容はあくまでも名の通った原作付きに限る。
これが厳然たる三洋側の意向として存在していたようです。
だから当時の先鋭的なドラマ関係者は、むしろこの枠を軽んじていたようですね。

元々は火曜20時枠で昭和33年1月に始まっているのですが、9月より金曜21時枠に移動。
以後三年ほども続く、TBS初期の名ドラマ枠でした。
そして枠移動後わずか2ヶ月ほどした時、いきなり、テレビオリジナルの
『私は貝になりたい』が放送されたのです。
これはどういう動きだったのでしょう。
芸術祭出品作ではありますが、べつに原作付きでも出品は出来たでしょうし。
おそらく、かねてから独自ドラマでやりたかった制作側が、
なんだかんだと騙して… と言うと言葉が悪いか(笑)、
上手くスポンサーを転がして、芸術祭くらいはやりたい事をと実現させたんでしょう。

これが、日本のテレビドラマの夜明けとも評される馬鹿当たり。
提供の三洋電機、サンヨーテレビ劇場も、その名を高めました。
馬鹿当たりというのは視聴率ではなく、評論に於いて、
ほとんど賛辞の嵐だったという事ですね。
なにしろ初期のテレビは、電機紙芝居と言われるお粗末な表現力。
この番組では導入間も無いビデオテープも用い、
それまでの完全生放送では難しかった、90分級のコクあるドラマを実現。
もって、テレビは映画に近づいたという感慨が、見ている人間を襲ったのです。

この『私は貝になりたい』、当時のドラマの中では奇跡的に生き残り、
現在までも度々放送されておりますし、放送ライブラリでも閲覧可能です。
それで、現在の、数々の段階を経てきた目で見てしまえば、
いろいろ拙い面も見受けられるとは思うんですよね。
でも、あくまでもあの当時としては、画期的なドラマ表現であったのだという事は、
当時の同時代資料をあたるにつけ、実感されます。
そして当時から、評論している面々は、至らない点も数々有る事は指摘しつつ、
総体としてのあのドラマの表現力、訴求力を称えていたのでした。

ただ、テレビが映画に近づき、その表現力が注目を浴びた事により、
一気にテレビヌーベルバーグのような動きも出てくるんですね。
テレビドラマの芸術性を高めようとした演出。
そうした物や、テレビはあくまでもお茶の間の物だからとして、
そうした動きを排除する考え、または、折中した表現を目指す動きなど、
昭和30年代のテレビドラマは、非常に熱い存在となりました。
このすぐ後、専門月刊誌も現れ始めます。

以後は、このドラマの評判がスポンサーを動かしたのか、
この枠でも特に名作と言われるようなものでない、
独自のドラマが少しずつ増えていくのでした。
その流れを決定づけたのが、昭和34年、同じ岡本愛彦演出による
『いろはにほへと』が、二年連続で芸術祭大賞を受賞した事でしょう。
この時は流石に三洋電機も鼻高々といった様子で、
前年の受賞作『貝』の再放送と抱き合わせで新聞広告まで出しております。
それで、かなり独自ドラマを作り易くなったのでしょう。

ただ、当時のTBSはこのような空気の中で、どんどん先鋭的な作り手が集結。
例えば実相寺昭雄の名を出せば、マニア層にはお判り頂けるかもしれませんが(笑)。
お茶の間に流れ、もう既に普及率もかなり行っていたテレビという媒体で、
本気で前衛表現のような模索も、この当時はされていたと思うんですよね。
それで、これは三洋かどうかは忘れましたが、
「芸術を作らせるために提供してるのではありません」と、
しっかりと釘を刺した所も有ったと言います。
それだけ昭和30年代のテレビは、作り手側に熱い志が漲っていたのでした。
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三洋電機
三洋電機は、パナソニックに買収されて、ついに家電品から完全撤退しました。

ただし、サンヨーが得意としていた冷蔵庫と洗濯機は、中国のハイアールに買収されて、「AQUA」という新ブランドで展開されます。

特に、サンヨーの独占ともいっていいコインランドリー用洗濯機、乾燥機も、AQUAが引き継いでます。

サンヨー以外は、このカテゴリーはほとんど外資系の機器の為、日本の産業が外資系に占領されたようなものです。

同根企業とはいえ、当時は、三洋が松下電器に買収されるとは夢にも思わなかったでしょうね。
2014/02/16(日) 06:00:22 | URL | 10000k
サンヨーカラーテレビ
サンヨーのテレビといえば、エノケンさんやキャンディーズがCMに出たり、久保田早紀の「異邦人」がコマソンに使われたりなど、意外にCMで印象に残るものが多いです。

特に、異邦人は、この会社にとって宝のような曲なのか、25年近くたってから、再びサンヨーの太陽電池システムのCMに使われました。
2014/02/16(日) 06:12:12 | URL | 10000k
そうなんですよね。
日本企業が次々お取り潰しや合併の憂れき目に遭って。
ズバコンの奇態な動きが忘れられないなあ(笑)。
2014/02/17(月) 01:29:18 | URL | ごいんきょ
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