私的 昭和テレビ大全集
Google
Web全体から検索 当ブログ内 検索
総計
昨日  本日

01 | 2017/02 | 03
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 - - - -



みんなで歌おう (1962)

該当番組画像募集


只今、個人誌『昭和テレビ大全集レコード版』&『ライト版』発売を記念し、
TBS金曜夜の番組、及び、子供向バラエティ・教育番組を織り交ぜて特集しております。
今回は、当時もユニークな番組と称されていた、この番組です。


♪ 苦虫噛んでいるよりも 恥ずかしがっているよりも
  さあ歌ってみよう 歌ってみよう
  声を~合わせて~ みんなで歌ってみよう
  ラーララ~ ララララ~ はいっ
 (ラーララ~ ララララ~)
  ラララーラー ラララララ~ はいっ
 (ラララーラー ラララララ~)
  一二の三で手を打とう はいっ
  (パン パン パン パン パン パン パン)
  ホラ誰だって 愉快に なるだろう~~


今は昔の歌声喫茶。
狭い空間で少人数がそれぞれに悦に入る閉ざされたカラオケボックスと違い、
店全体の何十人、何百人という人間が、みな大きな声を合わせて歌っていた空間。
連帯の時代を象徴するかのような喫茶店が全盛の頃、
その空気をそのままテレビ画面に再現したかのような番組が登場しました。
司会は、日本のコーラスブームを影から主導した、小島正雄。
彼が、自らの秘蔵っ子であるコーラス・グループの代名詞、
ダーク・ダックスを従えて、毎週数百人の観客と共に繰り広げた音楽番組でした。

歌声喫茶のように、その場にいる全員が歌う訳です。数百人の観客、皆がね。
オープニングは、そうした場の雰囲気を作り出す絶好の歌。
ダークダックス作曲のこの主題歌、ダークが(はいっ)と合図をすると、
みんなが後に続いてラララ~と歌い、手を打とう(はいっ)の後には、
全員で手拍子を取って息を合わせていました。
幸せなら手を叩こうは今も残っているでしょうが、
その原型?とも言えるこの歌の事を覚えている人は、そう多くないでしょう。

当初は、新人の小川正子がアシスタントのような存在でおりましたが、
一年ほどして、梓みちよがその位置を占めるようになりました。
小川正子について検索してみても、平凡な名前のために調べづらく、
ザッと見た感じでは、有用な情報は見当たりません。
有名芸能人を肉親に持っていたようですが、誰の事だったのでしょう。
詳しい方はいらっしゃいますかね。
梓みちよは登場当時、デビューしてまだ一年少しという存在。
すぐ後に、この番組と並行して出演した『夢であいましょう』の今月の歌で、
レコード大賞となる『こんにちは赤ちゃん』を発表。
瞬く間に超人気者となってしまった、正に彗星のような新人でした。

番組内で歌っていた歌は、歌声喫茶で歌われていたような歌や、
この番組で再発掘した歌、そして、番組独自の歌も有りました。
19時からという時間帯も有って、子供の歌のようなものが中心ではありました。
番組独自の歌は、石原慎太郎作詞、山本直純作曲の『海よさらば』など。
勿論ゲストも登場し、昭和38年4月23日の放送では、
『月曜日の男』という当時の人気ドラマに出演中の待田京介が出演。
あまり歌が得意でないという彼の珍しい歌の映像で、
♪ 出したNGが五万回 と、五万節の替え歌を歌ったといいます。
昭和39年12月18日に出演した西田佐知子は、『雪』を歌うも、
歌詞を忘れてしまい、こんな優しい歌の歌詞を忘れるとは不勉強なと、
当時の視聴者からお叱りを頂戴しておりますね(笑)。

昭和40年秋、『光子の窓』を世に出した日本テレビの名物男・井原高忠が、
久々にショー番組を手掛けると話題になりました。
その番組は、『九ちゃん!』。
坂本九を司会にしたそのバラエティは、公開録画で、
会場全員が一緒に歌える番組を狙うと言いつつ、
井原は、『みんなで歌おう!』のような国民歌謡ではなく、
『柔』などのヒットソングを歌う番組にすると表現しました。
この言葉は、『みんなで歌おう』という番組を取り巻いていた、
或る種の空気感の薄れを象徴していたと言えましょう。

昭和30年代は、子供が大人の歌謡曲などを歌うと、本気で怒られたものでした。
しかし40年代に入り、カラーテレビの時代となってくると、人々の考え方も急速に進歩化。
楽器もエレキ時代となり、若者の音楽的興味は、そちらへと雪崩を打ちました。
そして、この番組で扱われているような歌の羅列は、堅苦しさに繋がっていました。
マンネリ感も有ってか、視聴率も鈍化。
昭和40年いっぱいで、提供会社も手を引く事となりました。
おそらく、開始以来の東洋紡績、日本エクスランだったかと思いますが、
この両社(実質一社)は、『百万円Xクイズ』以来、5年以上提供してきた関係。

この番組だけでも3年もの長期に渡って提供していた、
この両社が提供を降りた事は非常に大きな打撃で、次の提供会社は、
すぐに、前会社のイメージが残る番組の終了を指示。
視聴率が10%前後まで落ちていた事も有り、
昭和41年1月いっぱいをもって、急遽終了という事になったのでした。
当時ディレクターの中村寿雄は、現場の人間として無念を語ったものでした。
なにしろ視聴率は落ちたとは言え、参加申し込みの多さは相変わらずで、
一回の募集で五千通は来ていたと言います。
そんな関係者の不完全燃焼の想いが、昭和46年の復活へ繋がるのですね。
そちらも、都合4年も続く人気番組となっております。

終了にあたり小島正雄は、次のように述べました。
「いい歌、悪い歌を区別するという考え方より、
 ヒットソング第一という考えが強いようですね。
 ヒットソングではないが、いい、地味な歌も必要だと思います」
いま日本を完全に覆い尽くしてしまった、売れたもの勝ちの考えは、
音楽は勿論、漫画、テレビ番組、全てが蝕まれて、
二進も三進も行かない状態となってしまいました。
売れなくとも、内容が良質な物の存在する余地が無くなり、
そうした状況は、つまり、質の悪い物ばかりに囲まれている状況は、
そこに育まれる人間の精神性や価値観にも、大いに影響しておりましょうし、
今後は更にそうした懸念が強まっていくのではないでしょうか。






昨年11月以来、60本以上も継続してきました、TBS金曜夜の番組特集。
まだまだ続けようと思えば続けられますが、
取り敢えずこの辺までにしておこうかと思います。
既に800本もの番組を語り終えていた後で、
ただ一局の一曜日だけでこれだけ語れるのですから、
いかにテレビ番組というものが数多く存在していたか、
その一端をお判り戴けるのではないかと思います。
そんな中、TBS広報でもないのに(笑)、
TBSだけを扱い続けるのも潮時でしょう。

次回以後は、失われし時代を偲んでの、昭和30年代特集と参ります。
語れる人、興味を持たれる人は大いに激減するかと思いますが、
ここが非営利個人の強みと申しますか、好きなように出来ますのでね。
興味が持てない方は、数ヶ月後にまた覗いて戴ければと思います。
昭和30年代特集とする理由はもう一つ有りまして、
近々、レコード版のライト版第二弾として、
昭和30年代特集のものを出す予定でもあるのです。
懲りずに(笑)。
関連記事


◆◆ 関連記事 ◆◆

Loading...

[猫カフェ]futaha



この記事を読んでくださった方へ

この記事を読んだよ~という方、できれば下のコメント欄からコメント下さい。
ご自身の想い出、この記事への感想、情報、なんでも結構です。
記事や最終コメントの日付は関係ありません。
あなたのコメントがこの記事に再びの息吹を下さるのです。
トラックバック受付アドレスは、コメント欄の下にあります。
コメント
この記事へ寄せられたコメント
楽しい音楽番組
我が家は音楽番組が大好きで、この番組も観ていました。

会場の人たちが参加する場面も多かったと思います。
「アルプス一万尺」の替え歌を会場のお客さんが作って、どんどん舞台の上に上がって一人ずつ途切れることなくマイクの前で歌っていた記憶があります。
大人から子供までいて本当に楽しかったし替え歌の内容が面白かったので家中で笑いながら聴いていました。

「アビニョンの橋の上」をダークダックスさんが歌うのですが、
♪アビニョンの橋で踊るよ踊るよ
 アビニョンの橋で輪になって踊る
 子供も通る大人も通る
で「子供」と「大人」の箇所をいろいろに変えて、
♪・・さんも通る・・さんも通る
(・・は忘れました)
と歌った後、右からゲタさん、左からゾウさんが現れ、
ゲタさんが「もうかりまっか?」
するとゾウさんが「ぼちぼちでんな」
のやりとりで会場が爆笑、我が家も爆笑でした。

今月の歌があり、覚えているのは「白い想い出」。子供心になんて綺麗な歌なのだろうとしみじみ聴きました。

「九ちゃん!」も観ていました。
会場中で「九ちゃん!!」と呼んで始まっていたかしら。
お客さんが舞台に上がってジェンカを踊ったりしましたね。
「サブちゃん!」と呼ばれて北島三郎さんも出演されていたような。

ダークダックスさんも九ちゃんも音楽的に素晴らしいだけでなく、一般のお客さんを巻き込んで楽しませることができるエンターテイナーですね。
2014/03/02(日) 01:24:36 | URL | モデラート
替え歌はコーナーが有ったんでしょうかね。

おそらく、「大阪の人が通る」とやった後に、
「儲かりまっか?」とやったんでしょう。

白い想い出、トッポ・ジージョの声をやっていた山崎唯さんの作のようです。

九ちゃん!も、いつか扱いたい番組です。
十年以内には。
こればっかですが(笑)。

本文中で書いた井原高忠さんは、あの『光子の窓』の制作者。
そしてその番組の司会が、小島正雄さんでした。
かつては同じ番組で日本のエンターテイメントを切り開いた二人が、
奇しくも売れ線と地味歌で路線が別れてしまったわけですが、
べつに仲違いしたわけでもない事は、11PMの司会に小島さんが抜擢された事で判ります。

売れ線でもいい歌、いい歌手の人は勿論いますし、
小島さんが言っていたのは、やはり多様性の問題だと思うんですね。
どちらも有れば問題無いのだけれど、売れれば勝ちという考えのみで凝り固まって、
現今の芸NO人だらけの状態になってしまったわけで。
今の日本は、文化的には非常に貧しい時代だと思います。
2014/03/02(日) 06:50:09 | URL | ごいんきょ
これでファンになりました
初めてコメントさせて頂きます。

私、当時11歳でしたが この番組を見てからダークファンになり、現在もファンクラブ(正式にはダークダックス後援会です)のメンバーです。
ダークも随分長く続いて来ましたが後援会も細々ながら存続中(笑)

この番組のオープニング曲ですが
未だに歌詞とメロディを口ずさむと当時の情景が浮かんで来ます。

♪誰かさんが言ってたけど~
歩いているより 座っている方が楽ちんちんに決まっているさァ
けどけど ラランラララ ラララララ

歩いてみようよ 歩いてみようよ
一人だけなら 大きく手を振ゥって
二人で居たなら 手と手を繋いで
沢山居たなら 駆けてもみようよ

ほらネ ほらネ ほらネ ほらネ・・・うれしくなって来るだろう
ほらね ほらね ほらねェ

小島正雄さんは早逝されてしまわれましたが、ダークはその後も現役で頑張って。。。でも60周年コンサートの企画中にパクさんが亡くなられてしまい、今年に入ってゲタさん・マンガさんも相次いで鬼籍に入られてしまいました。

ダークのラジオのレギュラー番組の代表が「サンデー ダークダックス」でしょう。三菱電機提供で初期の頃はスタジオ録音や東京タワーのサテスタからでしたが、途中から公録形式も取り入れて全国各地へ出向いての公開録音になり、私も追っかけ旅行?などして愉しい青春時代を過ごさせて頂きました。
我が家も公開録音の場所に提供させてもらったりしたことも今は好い想い出の一コマです。
現在はゾーさんお一人になりましたがまだ現役で、今年もしゅうさえこさんとのジョイント コンサート(二度目)をクリスマス・イブに東京で開催予定です。

2016/11/06(日) 00:03:17 | URL | san悟風
初代?アシスタントの小川さん
「みんなで歌おう」の初代アシスタントの小川正子さんですが。。。
多分、萬屋錦之介さんや中村嘉葎雄さんの妹さんだろうと思います。

ダークのパクさん(高見沢 宏)の奥様が3代目中村時蔵氏の4女(つまり錦之介さんの妹)で小川正子さんは5女に当ります。

余談ですが
パクさんの結婚が決まった折りのコンサートなどでは「早春賦」を唄った時には他メンバーからよくひやかされたそうです。
歌詞に「さてはトキゾ~とおもうあやにく・・・」って云うのが出て来るのでね(笑)
2016/11/11(金) 12:58:34 | URL | san悟風
● san悟風さん
あなたが書いて下さるのをずっと待っていたのです(笑)。
しかし、ダークファンクラブの方とは、本当に素晴らしい。

主題歌はダークさん作曲となってますけど、凄く口ずさみやすくて、それでいて簡単単純でもなく、しかもみんなで歌えて遊べるという、これ以上無いものだったと思います。

んーと、悟風さんが書かれているのも開始主題歌なのでしょうか。
すると、途中で主題歌が変わったのですか?

それにしても、かなり入れ込まれたファンの方なんですねえ。
でも、きちんとした技量の人に入れ込めた方というのは、幸せですね。
特にこういう芸能界になってしまいましたから、余計にそう思います。


おー。ほとんど絶望していた小川正子さん情報を、
それも物凄く目から鱗の落ちるようなものを戴き、感謝に堪えません。
濃いファンの方ならではの情報でした。
2016/11/13(日) 21:15:54 | URL | ごいんきょ
メロデイーは同じです
ごいんきょさん~レス有り難う御座います。

?マークがついておりました件についてですが。。。
オープニング ソングが変わった訳では無くて、歌詞が増えた(一番とか二番とかネ)って事です。
メロディは同じです。
ごいんきょさんの歌詞が一番で私のが二番位かな。
何しろ相当の年月が経って居りますのでちょっと自信がグラグラですが(笑)
どちらの歌詞も間違ってないと思います。
2016/11/14(月) 00:13:33 | URL | san悟風
ははあ。この番組も歌詞変更が有ったのですか。
意外と無い形で、あとは『娘をよろしく』とかくらいですかねえ。
子供番組だと『快獣ブースカ』『光速エスパー』『シルバー仮面』等々思いつきますが。
2016/11/15(火) 06:40:28 | URL | ごいんきょ
小島正雄氏
トークは11PMでも「なぜか」記憶にあり(小学生が見ていい時間帯ではないので)、ソフトで知的なウィットを利かせていた印象が強いのですが、普段はベランメエの江戸っ子だったようで、無名時代のダークを見出した方でもあります。通称「チャーちゃん」は、なぜか米朝師匠のそれと同じですが、どちらが本家でどちらが元祖なのやらは分かりません。

ダークの「専門家」の方がおられるので、言わでもがなで僭越すが、ゲタさんの愛称は小島氏の「おめえのツラは四角いから便所のゲタだア。だからゲタだゲタ、ゲタッ」の一言で決まったようですね。早稲田ですから、ずっと年下の慶應ボーイ4人を罪のない形で「いじって」、面白がっていたのでしょう。もうじき没後何と50年。こういう邪気のない胸のすくような人は、得てしてダラダラと長生きしないものですね。
2016/11/17(木) 08:48:10 | URL | 権兵衛
初期の11PMは、特に小島さんが出ていた日は、そんなにエロくはなかったんでしょう。
小島さんが残したものは確かに有ったのですが、その財産も潰えてしまいつつある現今です。
2016/11/20(日) 01:10:27 | URL | ごいんきょ
月日の経つのの速い事
ちょっと調べてみましたら小島正雄さん没後48年にもなるのですね。
本当に月日の経つのって早いものですね。
残念ながら生・小島正雄さんにお目にかかる機会はありませんでしたが、ダークファンになったお蔭で中村雅俊さんや世良正則さんとの出会いが生まれました。
キッカケはテレビ番組からだった訳で。。。「たかがテレビ・・・されどテレビ」なのですよね。
2016/11/20(日) 23:04:23 | URL | san悟風
何故ダークさんから雅俊さんや世良さんに繋がるのか不思議ですが(笑)。
雅俊さんは、ワタクシの以前の知り合いにも元ファンクラブの人間(男)が居て、
自宅にファンを集めて手料理をご馳走していたとか聞いて、なんだかそのままの人だなと思いました。

ダークさんと宿敵というか同志というか、デューク・エイセスさんの方は、
構成人員を入れ替えて、現在でも4人で活動し続けていますね。
ワタクシも、近年になって近場にいらした時に見に行きましたが、
筑波山麓とか飛び跳ねながら歌っていたので嬉しくなりました(笑)。
ダークさんは、個々人の特質がそれぞれ認知されてましたからねえ。入れ替えが難しかったのかも。
2016/11/20(日) 23:28:15 | URL | ごいんきょ
前々からアゲようアゲようと思ってたんですが、
本日、ようやく重い腰を上げて作りました。

https://www.youtube.com/watch?v=S7DDaPxgd3Q
2016/11/23(水) 19:50:23 | URL | ごいんきょ
ギョウカイって意外に狭い!?
ダークから何故に雅俊さんとかに繋がって行くのか(笑)って話ですが・・・
「サンデーダーク」のプロデューサー氏がデビュー直後の雅俊さんのラジオ番組を創る事になって、個人的に応援を頼まれたのが始まりです。
ABCは大阪が本社でしたから普段の録音は東京支社のスタジオでも公録等で大阪を使う機会も多く、打ち上げの食事会を我が家でって~隠れ家的存在になって行き、次第に色んな方との繋がりが出来て行きました。

我が家は両親共々芸事好きで何の抵抗も無く。。。飲めや歌えが好きな家族だったのでしょう(笑)

コーラス界ではダークとデュークがよく比較されるのですが、デュークは男性ファンが多くてダークは女性ファンが圧倒的多数と云う違いがあります。
そして欠員が出来た時の対処方法もその差が顕著に表れました。
デュークはメンバーチェンジをしながら「デュークエイセス」と云う看板を守って行くスタイルに拘った様ですが、ダークはマンガさんが倒れた後もゾーさんが懸命に再起の為のリハビリを手伝われた経緯を特に古参のファンは知っていて応援もしていましたからね。
「同じメンバーじゃないダークは絶対にあり得ない」と。
色々と新メンバーの話も出た様ですが古参ファンがOKしなかったのです。
かく言う私もその一人でしたので確実な情報です(笑)
只、本当にこの選択で良かったのかなと。。。ふと思うこともありますが、ダークファンって最後までオリジナルメンバー一代での「ダークダックス」の「ファン」なのですよね。




2016/11/24(木) 10:33:39 | URL | san悟風
んん~。
「我が家」って、san悟風さんのお宅って事ですか。
なんだか凄い話だな(笑)。
しかし、それだけの人を相手に切り盛りするのも大変だな。
畏まった関東人だと勤まらないかも(笑)。

スポーツでもなんでもですけど、退き際って、見ている側は完全に好みの問題ですよね。
である以上、やはりご本人たちの決断が何よりだと思うのですよ。

ダークさんもデュークさんも、それぞれやり方が別れたというのも、なんかそれらしいじゃないですか。
どちらも実力や経歴に、何も傷つくとかそういうものではありませんものね。

ワタクシは、どちらの退き方も立派だと思うんですよ。
最後の一人までとことんやるのも、最初から最後まで変えずに貫くのも。
2016/11/27(日) 18:05:35 | URL | ごいんきょ
↑
コメントを投稿する
HP
アドレス:
コメント:
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL

この記事へのトラックバック
↑
レンタルCGI
管理者用
ブログパーツ