私的 昭和テレビ大全集
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欽ちゃんの週刊欽曜日 (1982)

欽ちゃんの週刊欽曜日(1982)
コント55号としての活動がドリフに追い落とされる形で頓挫。
昭和46、7年頃の萩本欽一は、かなり追い詰められていたようです。
日テレ、スター誕生の司会として一本立ちして新境地を開き
雄々しくテレビ界に返り咲いた萩本は、ラジオ企画のテレビ化、
フジ『欽ちゃんのドンとやってみよう』でドリフの全員集合に一矢。
この欽ドン自体は、すぐに新スター志村けんに破れるものの、
タイトルと骨子だけは『欽ドン 良い子悪い子普通の子』として
月曜日に再登場し、新たな人気を呼びます。

既にテレ朝で放送されていた『欽ちゃんのどこまでやるの』も人気番組で、
その新『欽ドン』との合併企画も年に何度か両局で企画され、
萩本は視聴率男として再び時代の寵児となります。
そんな時期にTBSで始まった欽ちゃん番組が、この番組です。
萩本欽一という人は基本的にデタガリの人で…(笑)。
丸一日フジテレビに出ずっぱりという企画をやった事もあります。
3時のあなたとかワイドショーには当然生で出演し、
ドラマとか録画のものにも、端役でちょこっと出演したりね。
そういう人ですから(笑)、全部のテレビ局に一度にレギュラーを持つという事も、
きっと野望の一つだったんでしょう。最盛で週五本やってたと思います。

最初のコーナーは『ちなみショー』。
シルクハットにタキシ-ド姿の萩本、B作、慎吾が登場し、一人一人語ります。
最後の一人が、「ちなみに私は…」と言ってオチを付けるパターン。
正直、きちんと動いてコントを繰り広げる他の二番組と比べて地味な進行で、
ここいらが当初出遅れた最大要因だと思われます。
次が、清水由貴子らも参加しての本格的シチュエーションコント。
ところが、この本格的コントというのがいかにも萩本らしくない。
もう少しゲリラ的な制作が萩本の番組の魅力であった事もあり、
この、いかにもな本格シチュエーションコントは、ワタクシには退屈でした。
当時はもう、シャボン玉ホリデー的なコントの作りは無理があったでしょう。
実際、視聴率が伸びなかったのもそうした理由だと思います。

後半は、出演者全員による欽ちゃんバンド。
これが、この番組の最大の華でした。
というか、最初からこれでいいんじゃないかと(笑)。
大将・萩本欽一はじめ、ほとんど全員が演奏の素人で、
練習しながら茶々を入れ合うという進行でした。
佐藤B作が、清水善三と清水由貴子を「善三と由貴子は、アチチだ~」
と冷やかすのがお約束のパターン。
それでも最後には拙いながらちゃんと演奏をし、喝采を浴びるという趣向です。
このコーナーではゲストも招かれ、歌や演奏で参加しました。

或る週から、演奏後に風見慎吾が持ち歌を歌うようになります。
この番組も当初は、20%以上を軽く弾き出す先行二番組と比べて苦戦しました。
しかし、この風見慎吾が歌う『僕 笑っちゃいます』がヒット。
ザ・ベストテンなどで慎吾、佐藤B作、小西博之のトリオでパフォーマンスし、
この番組への興味を誘う事に成功したと思います。
実際ワタクシは、それで本格的に観る気になりました。
更に、それまで二番組で行われていた期首合併特番を三番組に拡大。
欽ちゃんファミリーがテレビ局の垣根を超えて共演する様は、
まさにテレビをおもちゃ箱として扱ったような、萩本のアイデアの開花でした。
中心となる人物にかなりのカリスマ性がなければ実現は非常に難しく、
前例が出来ている現在でも至難でしょうが、当時は本当に難航したと思われます。
一週間のレギュラー番組合計視聴率が100%を超えるとし、
萩本欽一はこの頃、視聴率100%男としてその名を轟かせました。
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コメント
この記事へ寄せられたコメント
欽ちゃんバンド!
ごいんきょ、お久しぶりです。
「週刊欽曜日」懐かしいですね~。
視聴率100%男。確かにこの頃のTVは欽ちゃんだらけでしたね。
2005/02/11(金) 14:39:27 | URL | キャサリン
欽、ちゃん、バ~ンド
と発音するのが正しいでしょうね(笑)。

文中でも書いているように、一度に全部の局でレギュラーを持つというのをやってみたかったんでしょうね。
さすがに視聴者もそこまではついていけず、
欽ドン、欽どこ以外は伸びませんでした。
実際、日テレでも何か始まった記憶がありますが、よく覚えてません(苦笑)。

あと、日曜にオールスター家族対抗歌合戦とかやってましたね。
2005/02/11(金) 23:37:20 | URL | ごいんきょ
欽ちゃーんバーンドw
しかしいまいち面白くなかったというか・・・・・・。
このころって欽どこでのぞみの不祥事があった頃ではなかったですかね?だから視聴率も伸びなかった??????
個人的には清水善三さんが好きでした。
2009/03/12(木) 14:18:05 | URL | 緑のおばさん
ああ、あけすけですね(笑)。
欽どこ、欽ドンの人気に引っ張られる形で少しずつ視聴率も上がりはしましたが、
いつも伸び悩んでいたのが思い起こされます。
たしかに欽ちゃんも飽和状態って感じで、
新しい形の笑いを作るのは難しかったでしょうね。
出演者に完全な素人は使わず、素人臭のする芸能人を集めてましたけど、
それがハマらなかったようにワタクシも思います。
唯一の収穫は、風見慎吾さんの発掘かな。
少し後のブレイクダンスは、かなり時代を先取りしていたものでした。
2009/03/25(水) 04:28:45 | URL | ごいんきょ
銀座の雨の物語
シチュエーションコントの締めはこの歌で終わっていましたよね。
歌は小西博之さんと清水由貴子さんでした。
「雨、雨、雨銀座~、愛、愛、銀座~」

それにしても清水由貴子さんに何があったのかは分かりませんが家族のお墓の前でお亡くなりになるとはあまりにも哀しいです………

ご冥福をお祈り致します
2009/04/21(火) 23:20:08 | URL | yig
ユッコさんねえ。
結婚もされず、人生の全てを家族のために捧げてるって感じが当時からしてました。
それだけの気持ちを、少しでも彼女のファンに対しても向けてくれてれば、
また違ったのかもしれないですけど。
なんであそこまで家族に全てを捧げていたのか、余人には量りかねます。
2009/04/22(水) 06:42:57 | URL | ごいんきょ
清水由貴子さん
タレントとしての
ユッコさんしか知らない僕にとって
ユッコさんの活躍ぶりは
地味だったけど僕は応援していた。
彼女が歌手デビューしたと
知るのはだいぶ後のこと。
長いこと欽ちゃんの番組に出ていた
欽ちゃんファミリーの一人である
彼女が晩年はお母さんの介護のため
ひっそりと芸能界を引退
そして介護疲れで自殺するとは。
芸能人、芸能界にありがちな
色恋沙汰も全然なく
家族と共に過ごす日々というのも
やはり彼女がまじめな性格
だからなのだろうが。
でも、何も自殺しなくても
と、思った。

清水由貴子さんの
ご冥福をお祈りします。
  
2009/04/22(水) 14:49:28 | URL | 梅吉
真面目。
そうなのかもしれないですね。
小川宏さんのご病気でも思いましたが、
真面目に笑顔を作り続けている人の内面は、
ワタクシのようないい加減魔には計り知れない闇の落とし穴が有るのでしょうか。
2009/04/22(水) 23:22:43 | URL | ごいんきょ
真面目、に関して。
当時、週刊プレイボーイのインタビュー記事に出ていて、下品な質問にも一生懸命に答えていました。
こんな時に不謹慎な、と思われた方にはすみません。
清水由貴子というと、真っ先にその記事での真面目な答え方を思い出します。
2009/04/22(水) 23:40:45 | URL | あぶもんもん
ああ。なんかそんな感じですよね。
受け流したり、トボけたり、もちろん嘘なんて言えないっていうか。
2009/04/22(水) 23:45:44 | URL | ごいんきょ
不快な記事だった
週プレのインタビューの話、当時は「そういう時代」だったという事ではないでしょうか。
週プレならまだ解るんですが、当時は「平凡」や「明星」でのインタビュー記事でも、今ならスポーツ新聞が新人アイドルに対して訊きそうな下世話な質問(ばかり)が連発されていたんですよ。「パンツは何枚?」とか「初潮はいつ?」とか(←アイドルにそんな事を訊くなよ!)。
ユッコはどの質問にもきちんと答えているんですが、いま思えば名前と写真だけを貸し、やり取りは記者が勝手に書いていたんじゃないかな。
2009/04/27(月) 11:08:23 | URL | 石毛零号
大体そういう記事は、事務所サイドの判断でボツやカットになりそうな気がしますけどね。
ゆっこさんが下り坂の頃かな。
会社同士は持ちつ持たれつの部分も有るのかもしれませんが、
本人やファンにしてみればちょっとたまらないですよね。
ワタクシのような、ゲスな完全なる第三者ですと、
もしかしたらドキドキしながら読んだかもしれません。すみません(苦笑)。
2009/04/29(水) 06:10:20 | URL | ごいんきょ
>ゆっこさんが下り坂の頃かな
違います! 私が読んだ週刊プレイボーイの記事は、たしかデビュー間もない(昭和52年か53年)頃でした。彼女に限らず。週プレはいつもそんな感じでした。GORO は比較的「良い子」だったという印象があります。
白状すると私もその下品なインタビューを読んでムラムラしました (^^; でも、亡くなってしまった今、記事の内容はもう言えません。墓場まで持っていくことにします。
2009/04/29(水) 17:21:32 | URL | あぶもんもん
うーむ。
デビュー間もない十代アイドルにそんな質問を浴びせるなんて、たしかに酷いな。
編集部での創作としても、アイドルの名前は使っているわけですからねえ。
でも、出版されたものですから墓場までってのは大袈裟でしょう(苦笑)。
ここはテレビブログですから必要ありませんが。
2009/04/30(木) 00:08:31 | URL | ごいんきょ
週刊欽曜日は
放送開始から最初の半年はかじりつくように見ていました。
ちょうど月曜は「良い子悪い子普通の子」、水曜は「欽どこ」と、平日に欽ちゃんのレギュラー番組が目白押しでそれこそ勉強そっちのけでのめり込みました。
当時は「ちなみショー」→中原理恵メインの「明子と暗子」→「欽ちゃんバンド」の構成で、僕も中学でB作さんのマネをしたり、「僕笑っちゃいます」や「ハイスクールララバイ」「ティアドロップ探偵団」をよく歌い、まさに欽ちゃんの番組に、人生の黄金期を支えていただいたようなものでした。
しかし中学3年になって学習塾の時間帯が欽ちゃんの番組と重なって見れなくなり、「欽曜日」もそうですし、「欽どこ」のわらべの3人を見たいのも辛抱して勉強に励み、高校入試が終わって久々に「欽曜日」を見たときは、オープニングも内容も変わっていて、以後は終了まで見ませんでした。「良い子~」も見なくなったけど、それでも「欽どこ」だけはわらべが出ていたので、高校1年の終わりまで見ていました。
2015/05/15(金) 10:28:30 | URL | リオ
えー。
中学生で9時過ぎまで塾が重なっていたなんて、相当の勉強家ですな。

週刊欽曜日は新しいOPになってからの情報が来ないですね。
多分、小西さんが中心になった?感じなのですが。
視聴率も落ちたんでしょうかね。
2016/05/19(木) 22:49:41 | URL | ごいんきょ
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