私的 昭和テレビ大全集
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そっくりショー (1964)

該当番組画像募集


只今、個人誌『昭和テレビ大全集レコード版ライト 巻之弐』発売を記念し、
昭和三十年代の番組を特集しております。
その誌面で扱った番組に限らず、今ではあまり振り返られなくなってしまった、
テレビ黄金時代の幕開けを飾る、輝ける昭和30年代を、広く振り返ろうと思います。

この時代の番組実見談を語れる人は、ネット上では非常なる少数派です。
それがため、本当にテレビが熱気を持っていた時代の番組、
出演者に関する記述・記憶が、現今の劣化番組の情報再生産も有り、
どんどん掻き消されていってしまっております。
ぜひ奮って、皆さんのご記憶をお聞かせ下さい。
皆さんが楽しんだご記憶を、歴史の片隅に、ぜひ積み重ねて戴きたいと思います。

コメント欄も含め、全ての文責は当ブログ設置者が請け負っております。
どうか深く考えず、お気楽に書いてみて下さい。
記憶違い、不確かな話、今では表現規制されるような話、
昭和のテレビに関する話であれば、ここは、ほぼなんでも受け付けております。
往時を知る方の、一人でも多くのコメントでのご参加をお待ちしております。
今回は、記憶している人も多いであろう、この番組です。




番組題を聞けば一聴瞭然。
有名人のソックリさんが集まるという、ただそれだけの番組でした。
けれども何故か、そんな番組が視聴率40%超という大人気に。
いわゆる歌真似番組は既に有ったけれども、視覚に訴えたソックリ番組は、
意外や、この番組が出るまで無かったかと思うんですよね。
歌真似・声真似は、既に芸としても存在していたし、
ラジオでもそうした芸を流したりはしていたかと思うのですが、
視覚だけのソックリもので番組を作るというのは、おそらく前例が無かったため、
なかなかそうした発想にならなかったのだと思います。

ま、ソックリさんが集まるだけとは書きましたが、
実際にはそれではテレビ番組として成立しないので、
なんだーかんだーという芸… の真似事みたいな事はさせてました。
歌手のソックリさんの時は、当然、その歌手の有名な歌を歌う訳です。
ワタクシは、これが子供の頃に本当に不思議でね。
なにしろ、誰も彼も声はまったく似ていないし、
それだけならともかく、大抵の人は物凄く下手糞なんですよ(笑)。

いくら顔が似てるからって、声は全然違うのに、
なんでいちいち歌を歌わせるんだろう、というのが、その疑問だったのですが、
「なんで歌わせるんだろう」というのは、「歌わせるなよ」という事で(笑)、
とにかく下手くそな素人の歌を聞かせられるのには閉口してました。
で、けっこう大きくなってから、ただの時間潰しなんだなと気付く訳ですが(笑)。
だって、ソックリさんを紹介してハイ終わりだと、テレビ的に間が持たないし、
30分の放送時間を毎週埋めるのが大変ですもんね。
人は、そうした事情を理解しながら大人への階段を昇るのでした(笑)。

歌手のソックリさんの場合はそれでまだ良いのですが、問題は、
歌手でない有名人のソックリさんの時に、どう時間を潰すか(笑)。
もっとも、大抵の有名人はなんらか一曲は歌を出してたりしますから、
そういうものをみんなが歌ったり、どうしても歌が無い人の場合は、
それっぽい感じの歌を勝手に持ってきて歌ったりしてたかな。
歌が無かった回というのは、ちょっと思い出せないんですけど。

話題を呼んだソックリさんとしては、森繁久彌ソックリのお巡りさんがおりました。
時は昭和41年1月25日放送回。
この人は東京・築地のお巡りさんで、森繁久彌の巻で見事に優勝。
♪ おれは河原の枯れススキ と船頭小唄を披露し、
顔だけならず仕草までソックリと評判で、歌もなかなか渋い喉。
そして優勝賞金の二万円を、「似ているからといって賞金なんてとんでもない」
と辞退し、あゆみの箱に寄付したのでした。
昔の男は、お巡りさんは、こうした考えの人が結構いたような印象です。
この人のソックリぶりは仕草までだったので、見事に優勝者大会でも、
9人の中で優勝してしまうのです。

この時の賞金十万円も、あゆみの箱なり困った人に差し上げてと辞退し、
副賞のヨーロッパ旅行も、一人でのんびりなんて出来ないと辞退。
ただ優勝トロフィーの前で満足げにしている写真が残っております。
もちろん名前まで判ってはおりますが、素人さんですのでそこまでは書きません。
けれども、当時はこの美談は、けっこうニュースになっていたのですよね。
昨今、DJ警官がウケて、警察組織でもその人気を利用したりしておりますが、
この時も、このお巡りさんの知名度に当て込んで、
交通安全週間の際に、「森繁そっくり交通相談所」というのをこさえたのでした(笑)。
そして、あゆみの箱の顔でもあった森繁は、このソックリさんへの謝意か、
この開所式にわざわざ出席、両者の顔合わせが再び実現したのでした。

この様に、「森繁久彌の巻」とかの内容で、毎回一人の人物を扱う内容だったのが、
昭和41年10月18日放送より、『勝ち抜きそっくりショー』と改題され、
出場者同士の勝ち抜き戦と替わったのでした。
例えば、美空ひばりのソックリさん対吉永小百合のソックリさんという対決をし、
毎週七人の出場者が勝ち抜き戦を行う。
更に、その勝ち抜き者と、先週からの勝ち抜き者が対戦し、
その週の勝ち抜き者を決めるというものでした。
このチャンピオンが五週勝ち抜くとグランド・チャンピオンとなり、
グランドチャンピオンが十人誕生すると、グランドチャンピオン大会が開催されました。

そうなってから話題となった勝ち抜き者に、西郷さんのソックリさんというのがおりました。
この人、外人さんでありながら、上野の西郷さんの恰好をして、更に犬を連れて登場。
当時の日本はこうした外人さんに激甘でしたから、もちろん優勝し、
大きな話題となったのでした。
米軍横浜基地の人で、奥さんが日本人という日本びいき。
西郷さんの事にも、生半可な日本人より詳しかったりするのでした。
もっとも、この時の審査員の一人は、時の佐藤栄作首相にも似ていると評しましたが。
審査員と言えば、この番組の審査員はコメントが下手だったようで、
けっこう苦情の対象になってますね(笑)。
素人相手に、思慮の浅いコメントを結構やっていたようなんですよね。

これまでの話題人はいずれも完全な素人さんですが、
この番組からは、それだけで終わらない人も出ております。
その最たる例は、十朱幸代のソックリさんだった、丘みつ子。
それから、少し知名度は落ちるでしょうが、田村エミという人もおりました。
彼女は、九重佑三子のソックリさん大会で二位。
その後ジャズを学び、『黒い太陽』で歌手デビュー。
TBSのヤング720にも一時出演していたようです。

単純な構成だからか、何度も何度も甦った番組で、
じゃあ何故そんなに終わったのかと言えば、その都度、人材が枯渇するんですね。
で、終わってから何年かすると、新しい有名人がけっこう出てきて、
そのソックリさんでまた回数を稼げるってな具合の繰り返しで、
昭和39年秋の放送開始から、断続的になんだかんだ、で
昭和50年代始めまで存在していた、素人参加番組の代表格でした。
やはり、見た目さえ少し似ていれば芸は無くても出られたというのが、
この手の番組としては低めの垣根だったのでしょう。
でも、なんでアンタが!と言いたくなる人も、けっこう出てましたけどね(笑)。
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コメント
この記事へ寄せられたコメント
井上順司会の末期のそっくりショーは覚えていますけど・・・
私の記憶にあるのは、第4期の井上順司会の時代と、微かに第3期のなべおさみ司会時代が記憶にあるような無いようなって感じですね。
なのでお話出来るのは第4期だけですけど、会場(大阪近郊ばかりだった様な(笑)に設置しているセットのしょぼさと言い、司会の井上順以外全く有名人が居ない番組構成(審査員も著名どころは出ていたのかどうかトンと印象に無い)と言い、明らかに繋ぎ番組というか、田舎か場末の会場のそっくりさん大会というか・・・・・・・、
当時、私ですら関西ローカルとしか思っていなくて、後年、王選手の本塁打世界新記録絡みで、この番組が全国ネットだった事を知ってビックラこきました(笑)。

第4期の話題としては上にも書いていますけど、7:30からの巨人戦中継前の、このそっくりショーの時間に王選手の本塁打世界新記録が飛び出して、生中継出来なかった事に苦情が殺到した位(ちなみに私はまんが日本昔ばなし→クイズダービーと観ている最中にニュース速報のテロップで王選手の世界新記録達成を知り、慌てて読売テレビにチャンネルを変えたって次第で)ですねぇ。
2014/03/16(日) 04:34:51 | URL | TXが無いテレビなんて・・・
あの王さんの756号、ワタクシの「記憶」では、すっかり放送で見た気になっていたんですよね。
その話をウィキペディアで見た後も、あれーそうだったかな?という感じで。
ベーブルースを超えた時の記憶とゴッチャになっているのかもしれません。

そっくりショーの司会と言えば、本文では省きましたが、やはり小野栄一さんが最も記憶に残る所です。
小野さん司会の頃は、同名のよしみで贔屓筋だったのか、小野薬品が提供。
小野薬品提供小野栄一司会で売ってました。
2014/03/16(日) 09:28:18 | URL | ごいんきょ
第4期は加美乃素提供でしたよね、確か。
そっくりショーの第3期・第4期は、大元を正せばトニー谷司会の「アベック歌合戦」まで遡る、二ッケ→エベレストジャー→加美乃素単独(または二社のうちの筆頭)提供枠の系譜に含まれるんですよね。
加美乃素単独提供期では、確か「全日本歌謡選手権」の最後期もこの枠で放送されていたような・・・・。

加美乃素は1990年代半ば、多くの企業CMがVTR製作に切り替えた後も既に10年以上は製作されてから時間は経過しているであろうフィルムCMをずーっと使い続けていた印象が強いです(汗)。なんか紺色の背景に、横をむいた女性の長い髪が風になびいていて、その光景を捉えたまま商品の映像に切り替わって終了・・・というかなり単純な内容のCMだったような・・・。

2014/03/19(水) 05:12:45 | URL | (ハンドル未記入)
加美乃素本舗って、よく提供してたんですよね。
でもCMは、映像はなんとなく記憶に残ってるんだけど、
煽り文句とか思い出せないんですよ。
ただ女の人が長い髪をなでてるだけって感じの画面に、
ごく普通のナレーションが被さっている、代わり映えしないCMだった気が。
2014/03/19(水) 21:07:20 | URL | ごいんきょ
加美乃素のCMって、ヨーロッパのどこかの街角に佇む地元の人々の何気ない表情を捉えた(もしかしたら仕込みだったかも?)フィルムをバックに、確か以下のような歌詞の男女混声コーラスが流れていたような記憶があります。

♪見知らぬ街角ぉ
見・知・ら・ぬ人々
こんにちはぁ
こぉんにちはぁぁ
そうさ そうだよ
世・界は友達ぃ
そうさ そうだよぉ
あぁ 加美乃素 A~

加美乃素は神戸の会社なので地元のサンテレビで15秒CMをかなり流してると聞いたことがありますが最近はどうなのでしょうか。個人的には加美乃素、ロゼット、明色化粧品がTVコマーシャルを観なくなった三大会社です(笑)。
2014/03/22(土) 23:03:38 | URL | ナベチン
加美乃素のCM
「♪そうさそうだよ、世界は友だち~」というCMソングは、往年のステージ101を彷彿させるソフトロック調の曲でしたね。

15秒CMは、今でも神戸のサンテレビでは流れているとききました。

おそらく、20年以上は前のものとおもわれるのに、今でも画像がそれほど劣化してないのが奇跡的です。

もうひとつ、加美乃素のCMで有名なのは、「♪トゥ、トゥ、トゥ、トゥトゥ~」というスキャットをバックに、5人くらいのレオタード姿の女性が、頭をモミモミするものでした。

こちらは、画像の劣化はともかく、さすがにBGMや映像に時代を感じさせます。

ロゼットのCMを見なくなったのは、売れなくなったことの他に、「白子、黒子」といういいかたが、今では問題になるというのがありそうですね。

ちなみに、ロゼットは、今は、通販で、少し高価格の化粧品を売ってます。
2014/03/23(日) 07:33:42 | URL | 10000k
これですかあ。
http://nicoviewer.net/sm21242938
サンテレビでは現役で流れてるって話ですね。
ただワタクシ、まったく記憶に無いのですが。
明色アストリンゼンという名が忘れられません(笑)。
2014/03/23(日) 08:57:28 | URL | ごいんきょ
加美乃素のCM
作曲者の津野陽二です。
私のYOUTUBEのページに、昔の古い映像ですが、あげてあります。
観て下さい。yoji3030か津野陽二で検索を。
2014/05/13(火) 04:11:17 | URL | yoji
申し訳ありません。
YouTubeの津野さんのページで、全ファイルを見てみましたが、どうも該当する物が見当たらないのですが。
できましたらURLを記入して戴けましたら助かります。

津野さんのファイルはこちらですね。
https://www.youtube.com/channel/UCfflOmcoqAHNcdFSvHHoWIw/videos


津野陽二先生の作品では、「ごめんねジロー」こそ、ワタクシが生まれて初めて口ずさんだ歌なのです。
ワタクシの幼少時、我が家では犬を飼っていたのですが、その名がジローだったのでした。
そしてワタクシは、♪ ごめんねジロー と、ジローによく語りかけていたというのですね。
本人は、犬を飼っていた事すら記憶に全く無いのですが、
このことをよく両親から聞かされていて、「ごめんねジロー」はワタクシにとって、非常に特別な一曲でした。
まさかその先生が、自らYouTubeを開設なされているとは。
しかし、何故かウィキペディアにまだ項目が無いようです。
あそこもまだまだ修行が足りませんな(笑)。
2014/05/24(土) 23:46:38 | URL | ごいんきょ
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