私的 昭和テレビ大全集
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デン助劇場 (1959)

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只今、個人誌『昭和テレビ大全集レコード版ライト 巻之弐』発売を記念し、
昭和三十年代の番組を特集しております。
その誌面で扱った番組に限らず、今ではあまり振り返られなくなってしまった、
テレビ黄金時代の幕開けを飾る、輝ける昭和30年代を、広く振り返ろうと思います。

この時代の番組実見談を語れる人は、ネット上では非常なる少数派です。
それがため、本当にテレビが熱気を持っていた時代の番組、
出演者に関する記述・記憶が、現今の劣化番組の情報再生産も有り、
どんどん掻き消されていってしまっております。
ぜひ奮って、皆さんのご記憶をお聞かせ下さい。
皆さんが楽しんだご記憶を、歴史の片隅に、ぜひ積み重ねて戴きたいと思います。

コメント欄も含め、全ての文責は当ブログ設置者が請け負っております。
どうか深く考えず、お気楽に書いてみて下さい。
記憶違い、不確かな話、今では表現規制されるような話、
昭和のテレビに関する話であれば、ここは、ほぼなんでも受け付けております。
往時を知る方の、一人でも多くのコメントでのご参加をお待ちしております。
今回は、関東ではかなり例が少ない劇場喜劇中継ものだった、この番組です。




大宮敏光。その芸名は覚えてなくとも、デン助の名は記憶している人も多いという、
正にデン助一筋で生きた喜劇役者。
テレビが始まる前からほぼデン助一筋で、テレビに登場するようになってからも、
これまたデン助一筋。どの局のどんな番組に出ても、大抵デン助なのでありました。
これだけ徹底していたので、大宮デン助の名で覚えていた人も多そうです。
ハゲヅラ、太眉、ドングリまなこに円周ヒゲ。
メリヤスのシャツに直接背広をだらしなく羽織り、
腹巻きに腰手拭いをぶら下げ、頭をふらふら振るのが決まり動作。
こんな愛すべきデン助が繰り広げる喜劇を、毎週中継していた番組でした。

とにかく、一人の喜劇役者が一人の人物であり続けたというのは、
他に例を思い浮かべられないんですよね。
末期の渥美清が寅さんであり続けましたが、
大宮敏光が木村デン助であった統一性に比べれば、問題にならぬほど。
ただ、その恰好や性格付けなどで、渥美寅さんには大宮デン助に通じる、
もしかすると影響を受けたのだろうなと思われる部分は多いです。
関東の喜劇と言えば浅草に止めを刺す訳で、
デン助劇団ももちろん浅草で名を成し、あの萩本欽一も弟子入り志願したといいます。

このデン助は、いわゆる単純オツム。
けれども曲がった事が嫌いで、それでいて義理堅くお人好し。
「デーンとまかせろ」が得意の台詞で、それでデン助なのかと言うと、
実は実在のモデルがいたようで、大宮が子供の頃に近所にいた表具師が、
江戸っ子で義侠心が強く、やはり頭はあんな感じだったようで(笑)、
その名が木村伝助だったというのですね。

舞台のデン助は、たしかに義侠心も強かったけど、
何より大事な事はオッチョコチョイという事で、でないと喜劇にならない(笑)。
「デーンとまかせろ」と言われてもまったく頼りにならないけど、
最後にはいつも、何故か丸く収まるというのがお決まりでした。
そんなデン助の唯一の弱点が、すみちゃんという自分の娘。
これまた宮田圭子がずっと演じ続けておりました。

昭和30年代はじめはテレビ各局で引っ張りだこだったデン助ですが、
テレビ朝日の前身であるNETで、開局から定時枠を持つようになり、
放送時間はいろいろ変わったものの、概ね土曜日放送。
最後の方は土曜日の昼1時半から2時10分の40分番組でした。
その少し前は、金曜の同じ時間に放送し、土曜に再放送という形でしたが。
その時間帯で、しかも放送十年にもなろうかという頃でも、
平均して10%を超える視聴率を稼いでいた人気番組でした。
初期の提供は殖産住宅で、新聞広告では大宮敏光としてコメントしたりしてました。

それでもマンネリを打破したいと考えた大宮は、昭和44年、
劇中結婚式を挙げる人を募集。36組応募の中から一組が選ばれました。
第一幕でその二人の話を元にした喜劇が行われ、
第二幕では大宮が仲人となり、観客が参列者という形で、
テレビ結婚式を挙げるという事が有りました。
昭和30年代には、これも遠くない先に扱う予定の
『テレビ結婚式』という番組がけっこう人気あり、
他の番組の中でも芸能人らがテレビ結婚式を挙げる事が、しばしば有りました。

なんか中途半端な放送時間だなと思われるでしょうが、
実はその頃のデン助劇場は、最後の五分間が「デン助問答」という時間でした。
これは一般人とデン助が五分間対談するという企画だったのですが、
昭和45年7月4日放送では、重症の心臓病の女子中学生が出て、
喋りもあまりままならないため、デン助がほとんど語りかける形で、
一年前に失踪した彼女の兄に連絡を呼びかけるという場面が有りました。
昭和時代のテレビでは、時折、このような失踪者への呼び掛けが行われる
テレビ番組が散見されていたものです。
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コメント
この記事へ寄せられたコメント
生デン助劇場を見ました。
やっと書き込めます(笑)。

台東区に住んでいたものですから(生まれは浅草寺の裏手の方で、このころは、浅草から都電で行ったところに住んでいました)、母の実家の東北から親戚が出てくると、国際劇場に連れていくというのが定番で。

デン助劇場もリクエストがあったのか?行きました。私はまだ小さかったので、生デン助だ!とか、生でまじかに見れることに感動していました(笑)。

ごいんきょさんの記事を読んで、ああ、そういうこともあったなあと。

生で観たときも、デン助さん、客席とのやりとりで、とてもいい人だなあと思った記憶が。

2014/03/24(月) 09:22:03 | URL | たかちゃん
あ。待機して戴いてたんですか。
それは申し訳無い事でした(笑)。

うひゃっ!
なんとまあ、羨ましい出自で(苦笑)。
うわ~。そんな場所で生まれ育ちたかったなあ。
うーんと、テレビのデン助劇場を、生でご覧になったという事でしょうか。
つくづく羨ましい(笑)。
2014/03/25(火) 22:39:59 | URL | ごいんきょ
土曜午後の定番舞台中継
まだ学生時代の頃に(現在のテレ朝である)NETで視ただけでしたが、当時も珍しかった舞台中継だったのを覚えています。一回完結の定型的な人情喜劇だったかと思いますが、浅草・松竹演芸場からの中継だったかと…。ただ終幕後のインタビューからは、客席が閑散とした雰囲気が窺い知れて、まもなく劇団の解散を機に中継番組が終わったのも予想通りの成り行きと感じられました。当時の浅草芸能シーンでも、昔ながらの軽演劇の世界がテレビに押されて右肩下がり状態で細々と続いていたのを、のちになって知りました。その後、一時、大衆演劇の興盛が見られましたが、笑いと涙を散りばめた義理人情の世界は、時代錯誤のイメージを持たれることになったかと考えると残念な気がします。現在だった私も日参とまではいかないまでも、観に行っていたと思います。
劇団解散後は、座員はそれぞれの道に進んだと言われていますが、大宮敏光氏は時代劇映画にも出演しながら、舞台劇でのノリが染み付いていて、カメラの前の立ち回り演技では、度々往生する場面もあったと聞いたことがありました。生粋の舞台人だったのでしょう!?
デン助劇団で若手俳優として活躍した河野通夫サンが有名な鯨料理店『捕鯨船』を、かつての劇場に近い六区街伝法院通りで経営し、ビートたけし氏を始めとする芸人諸氏の溜まり場なっているのがせめてもの救いです。河野氏は、デン助を髣髴させるような気風の好い江戸っ子を絵に描いたような人物で、往時を偲ばせるスポットと云える場所のひとつかと思います。
2015/12/03(木) 13:49:28 | URL | 建半
懐かしい~
土曜日の午後、ですよね、そうそう!
スミちゃん、そしてご近所の人が「目黒さん」に「渋谷さん」なんですよね。
2015/12/04(金) 09:11:51 | URL | オリビア
● 建半さん
浅草も、いま回想されているほど常に賑わったわけではなくて、
この番組の末期とかはもう廃れていたんですよね。
いい芸人もこぞってテレビに取られていくし。
『捕鯨船』、いい情報をありがとうございます!
ワタクシも鯨は大好きですので、いずれは行ってみたいですね。
高そうですが(苦笑)。


● オリビアさん
こちらとしてはオリビアさんの方が懐かし~という話ですけど(笑)。
目黒と渋谷かあ。
銀座や新宿じゃないんだな(笑)。
2015/12/13(日) 20:39:01 | URL | ごいんきょ
主題歌
♪進め 進め あくまで進め
♪首を振り振り とにかく進め
♪たとえダメだと言われても
♪心の粋な男なら
♪俺にまかせと胸を張る
♪おいら江戸っ子デン助だ
♪首を振り振り往く下町の空は夕焼け
♪明日も晴れる

テレビで「デン助おじさん」を視ていたのは小学生の頃でした。
歌詞もハッキリ覚えてません。
どなたか修正していただけませんか。
2016/02/02(火) 22:01:17 | URL | くりうめ
えー。
この番組に、そんな歌詞付き主題歌が有ったのですか。
これは驚天動地の情報です。
2016/02/11(木) 22:01:19 | URL | ごいんきょ
主題歌
お~いらデン助 え~どっ子だい
で~っかい目玉をぎょろりとさせて
朝からば~んまで 笑いを飛ばす
わ~らいのことなら デ~ンと任せろ
わ~らいのことなら デ~ンと任せろ
2017/02/21(火) 20:06:14 | URL | さざんくろす
デン助自伝
亡くなるちょうど三年前、1976年12月に三笠書房から出版された「大宮敏充自伝・デン助浅草泣き笑い人生」終章に、涙涙の劇団解散・浅草さよなら公演(1973年4月1日から10日間、浅草松竹演芸場)の千秋楽当日のことが詳しく記されています。この本、現在Amazonでも結構古書価が高く、送料込で1000円近くしますが、まあ、今時こうしたものを買おうという奇特?な人はまれでしょうな。

テレビの「デン助劇場」終了がその前年、72年3月25日ですので、それから1年余りで劇団自体も露と消えたわけです。大宮敏充という人は、師匠のエノケン譲りで面倒見がよく、ほとんどの浅草出身芸人が世話になっていて、東けんじ、三波伸介も「オヤジ」と慕っていたそうです。したがってこれらのタレントは、売れっ子になっても何回かは必ず劇団公演にゲスト出演しています。

テレビの方のテーマソングは、この本にも三番までフル・ヴァージョンが載っていて、それぞれの節の終わりに、一番なら ♫陽気で明るいデン助さんというコーラスの合いの手が入っています。その他、松竹映画「天晴れデン助」の主題歌(♫強いばかりが男じゃない ちょいとデン助江戸っ子だい…)もありましたが、「さざんくろす」さんご紹介のものはさすがにありませんでした。

個人的には、もちろん時々は見ていましたが、あの過剰なまでのウェットさは、松竹新喜劇とはまたちょっと違うニュアンスで、やはり昭和30年代生まれのアプレゲールには付いていけませんでした。まあ、人それぞれでしょうが(苦笑)。
2017/02/22(水) 09:27:09 | URL | 権兵衛
お詫び
前投稿「『さざんくろす』さんご紹介』は「『くりうめ』さんご紹介の誤りでした。お二方には失礼をお詫びし、訂正させて頂きます。
2017/02/22(水) 09:37:22 | URL | 権兵衛
● さざんくろすさん
それは、くりうめさんの書いてくれたものと別の歌なんでしょうか。
主題歌が替わったのかな。


● 権兵衛さん
送料込み千円なら適価と思います。
稀な人間なので、いつか買うでしょう(笑)。
情報感謝します。

松竹の喜劇も結構湿ってると思うんですがねえ。
ワタクシなんぞは、植木等さんのようにカラカラのものが好きなので(笑)。
2017/02/26(日) 20:21:45 | URL | ごいんきょ
主題歌その他
ご隠居さまが本をご購入になるまでのつなぎに(笑)、主題歌の歌詞を心覚えに。
なお、一番は「さざんくろす」さんのご紹介と同じなので、二番から。

俺らデン助江戸っ子だい
できないことも 話をきけば
いやとはいえぬ お人好し
こまったときには デンとまかせろ
こまったときには デンとまかせろ
(コーラス)やさしく気がよいデン助さん

俺らデン助江戸っ子だい
まがったことなら なんでもきらい
横丁の角でも だいきらい
まともなことなら デンとまかせろ
まともなことなら デンとまかせろ
(コーラス)がんこできかないデン助さん

大宮敏充作詞、吉田正作曲。千秋楽の当日、浅草はまるで涙雨のように小雨がそぼ降っていたそうです。
なお、先の書き込みで「1976年12月に三笠書房から」は「1973年12月に…」の誤りでした。謹んで訂正します。
大宮敏充氏は劇団解散のわずか三年後、1976年(昭和51)12月23日没。以外に若く、享年まだ63歳でした。
2017/02/27(月) 20:59:47 | URL | 権兵衛
デン助さん、テレビの黎明期だったために、その偉業に比べて現在の知名度がなさ過ぎですね。
昔は60過ぎは年寄りって感じで、亡くなってもまだ早いなんて感じではなかったですがねえ。
急速に長寿大国になってしまった感が。
2017/03/05(日) 21:46:13 | URL | ごいんきょ
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