私的 昭和テレビ大全集
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ハロー・CQ (1964)

該当番組画像募集


只今、個人誌『昭和テレビ大全集レコード版ライト 巻之弐』発売を記念し、
昭和三十年代の番組を特集しております。
その誌面で扱った番組に限らず、今ではあまり振り返られなくなってしまった、
テレビ黄金時代の幕開けを飾る、輝ける昭和30年代を、広く振り返ろうと思います。

この時代の番組実見談を語れる人は、ネット上では非常なる少数派です。
それがため、本当にテレビが熱気を持っていた時代の番組、
出演者に関する記述・記憶が、現今の劣化番組の情報再生産も有り、
どんどん掻き消されていってしまっております。
ぜひ奮って、皆さんのご記憶をお聞かせ下さい。
皆さんが楽しんだご記憶を、歴史の片隅に、ぜひ積み重ねて戴きたいと思います。

コメント欄も含め、全ての文責は当ブログ設置者が請け負っております。
どうか深く考えず、お気楽に書いてみて下さい。
記憶違い、不確かな話、今では表現規制されるような話、
昭和のテレビに関する話であれば、ここは、ほぼなんでも受け付けております。
往時を知る方の、一人でも多くのコメントでのご参加をお待ちしております。
今回は、アマチュア無線の世界を描いた、この番組です。





♪ 誰だって 誰だって 一人じゃないんだよ

無名時代のいしだあゆみが歌う主題歌は、やなせたかし作詞。
彼も大きく制作に関わったこの番組は、科学技術教育局として発足した、
テレビ東京、東京12チャンネル発足当時のドラマでありました。
科学技術教育局を標榜するだけあって、その番組内容の縛りは最強のもので、
この番組もそうした事情から、科学技術に関する内容となっております。
それは、番組題から察しが付くように、アマチュア無線を扱っておりました。

「CQCQ」という呼び出しで会話するアマチュア無線というものは、
昭和30年代から50年代前半あたりまでの子供、特に男の子ですかね、
にとって憧れのものでありました。
大体ですね、それのはるか小型版であるトランシーバーにしてからが、
持っている奴はもう、仲間うちで英雄なわけです。
ワタクシの知り合いにも一人おりましたがね。
やはり金持ちで、嫌味な奴だった(笑)。

で、中学生くらいになってくると、読む雑誌の広告欄に、
「ハム」とか「アマチュア無線」の講座とかの広告が見られるようになりました。
その頃になると、もう家の財政事情とか己の能力とか性向がわかってきますから、
ハナから諦めの目で見ていて、強い憧れは無かったですがね。
こうしてワタクシの負け犬根性は育まれていきました(笑)。
そう言えば、中一の時の担任が、最初の挨拶でアマチュア無線やってるって言ったな。
でも、生徒の中ではまだいなかったかもしれない。

そんなこんなで子供達の憧れだったアマチュア無線、
これも後に扱う予定ですが、その昔にもCQペット21とか有りまして、
本当にたまにチラホラとテレビでも扱われてはおりました。
そして、さすがに科学技術教育局だけあって、この番組は更に深く扱いました。
内容は、中学生のアマチュア無線を通じての交流や活躍を描くもので、
検索すると、細かい内容を報告しているサイトが複数見つかります。
そこに有るように、フィルム撮りだったために、映像が現存しております。
なのに、何故、先のテレビ東京特番で扱わなかったのか。本当の開局期の番組なのに。
だからワタクシから言わせりゃ温いっつんだ、あの手の番組は(苦笑)。

それらサイトにも有るように、制作は羽仁進の岩波映画でした。
『不良少年』などで注目されていた羽仁・岩波映画でしたが、初のテレビ進出。
ただ、それが経営の立ちゆかなくなる12チャンネルだったのも先が見えると言うか、
岩波映画も結局は、立ちゆかなくなってしまうのですがね。
真面目には作っていたのでしょうが、やはりテレビだからと高を括っていたのか、
モールス信号が実際のものと違うという指摘も受けておりました(笑)。
その指摘者も15歳。なのにその指摘内容が凄い。

ダーウィン送信所からの電波をキャッチする場面が有ったが、
その電波の呼出符号はVL5SAであるのに、そのように打たれず、
符号の断続自体がモールスになってなかった。
コールまで打っては電波法違反になるかもしれないが、
モールスくらいきちんと打ってもらいたい。
というもの。何が何やらわかりませんが(笑)、
この手の世界を知る人は少なかったのでしょうが、
その分、知っている人は詳しく知っていたのだろうから、
誤魔化しはきかなかったのでしょう。

主な出演者の中に、自作自演曲で騒がれる前の荒木一郎がいるのも見所。
提供は、技術の日産、日産自動車でした。
最後発で、しかも特殊な局だけに、初期の12チャンネルは提供探しに四苦八苦。
そんな中で付いてくれた、非常に数少ない大企業でした。
その縁は、12チャンネルが一時破綻状態となり、心機一転、
エログロ局として再出発してからも続き(笑)、
大江戸捜査網という局を代表する番組を産み出す事になります。
そう言えば、この局を代表する番組も扱わなかったんじゃないか?
やっぱ俺様が作らないと駄目だよなあ(笑)。
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[猫カフェ]futaha



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コメント
この記事へ寄せられたコメント
子供の科学
 子供の科学という雑誌を読んでいたんですが、毎月、ハムのコーナーがあって、自分ではやろうと思わなかったけれどついつい読んでいました。
 ハムって今でも健在なんでしょうか。手塚治虫のブラックジャックには「ハローCQ」という話がありましたが、あれも今では昔の話ですね。2000年の韓国映画「同感」という作品で効果的に使われていましたが、「過去の遺物」という感じでした。
 私はいまだにスマホはおろか従来の携帯も持ったことがなく、パソコンは使ってもツイッターを日記として使う以外スカイプも SNS も使わずに無事やっておりますが、天邪鬼なので今こそ始めてみようかな、と思います。
2014/04/04(金) 19:26:14 | URL | あぶもんもん
ハムって言葉、聞かなくなった気がします。
第一、インターネットが有りますからね。
免許なんか無くても、世界中の人と文章、音声、それどころか映像までやり取りできるのですから。
メッセンジャーは特に革命的ですね。
国際電話のべらぼうな料金が、一気に意味を成さなくなりましたし。
2014/04/05(土) 22:39:39 | URL | ごいんきょ
現在のテレビ東京は
今現在テレビ東京となっている会社は、科学テレビ協力会を母体として1968年に設立された番組制作会社・東京十二チャンネルプロダクションが1973年に日本科学技術振興財団(現在は「科学技術館」や「所沢航空発祥記念館」の管理法人として知られる)より放送免許並びに放送事業を継承したものですので、東京十二チャンネルプロダクションが設立される1968年以前については局に残されている資料そのものが乏しいのでは無いかと思われます。
何せ民間放送とされながらも、財団法人に依る経営&企業スポンサーからの寄付金(=CMは一切流さない)に寄る番組製作並びに運営と極初期のNHKと極めて近い形態(アメリカの公共放送であるPBSが当時の東京12と極めて近い運営方式を行っていますね)でしたので、民放への転換に際しては受け皿となる別会社を設立する形しか無かった訳ですね。

さて開局当初に放送された科学テレビの異名に恥じないドラマであるこの作品ですけど、私もネットで調べた所、監督・羽仁進、助監督・山本晋也のコンビで製作された作品(岩波映画・製作)なんですね。
山本監督が、当初羽仁進の弟子筋に当たる事は監督本人も(後に決別して、ピンク映画に身を投じた事も含め)しばしば語っている事ですけど、この作品の監督・助監督コンビの名が後の東京12の(特に金曜スペシャル辺りの)方向性を暗示している様に思えてならない様な(笑)。
2014/04/26(土) 23:36:51 | URL | TXの無いテレビなんて・・・
どうなんでしょうねえ。
社史を見る限りではそうとも思えないですが。
映像も、フィルム撮りの物も幾つか有ったので、局外のどこかには残っているものも有るはずですよね。
「しろばんば」とか。

あらー。山本監督も、12チャンネルのまんま、教育映画からエロ映画ですか(笑)。
2014/04/29(火) 03:43:13 | URL | ごいんきょ
むかし憧れ、今現実ローカルハム。
ありましたネー。無線のテレビ番組が。1964年頃、中学通学路の模型屋さんでモールス信号練習機のキットを買いニクロム線を規定数巻いて打鍵練習をしたものです。当時としてはお小遣い大枚50円程使った記憶があります。30歳を過ぎてトラッカーの知人にハムを勧められましたが、独特の口調や曲解隠語が嫌いで避けていました。大学で山岳部、40歳で登山を再開、緊急連絡手段が無線しかなく免許取得。当時はテレカ1枚が唯一の頼りでした。今、無線機7台。アパマンハムです。台湾、韓国は勿論電離層状態によっては中央アジアや南米のハムにもアクセスできます。当時は何でも
自作でした。今も自作に挑戦していますが、部品屋さんが少なく、大阪電気街しか細かいパーツがありません。若い人たちは自作工作しないんですネ。団塊の世代にとっては悲しい限りです。
2014/09/29(月) 16:34:41 | URL | ウヰスキー
50円で自作できたのですか。
いいですよね。理解も深まるだろうし。

トラック無線は迷惑だったー。
ラジオが聞こえなくなっちゃうし。
最近はまったく聞こえなくなりましたが、
もうやっている人がいないのかな。

南米まで届きますか。
秋葉原でも部品屋さんが苦しいとか伝えられてたような。、
ワタクシがアキバに出没していた昭和末期頃までは、とても元気だったですがねえ。
考えてみれば、マイコン関係も自作が多かったな。
最初のヒット作TK-80とかが、そもそもキットだったという。
2014/09/30(火) 07:18:06 | URL | ごいんきょ
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