私的 昭和テレビ大全集
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月曜日の男 (1961)

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只今、個人誌『昭和テレビ大全集レコード版ライト 巻之弐』発売を記念し、
昭和三十年代の番組を特集しております。
その誌面で扱った番組に限らず、今ではあまり振り返られなくなってしまった、
テレビ黄金時代の幕開けを飾る、輝ける昭和30年代を、広く振り返ろうと思います。

この時代の番組実見談を語れる人は、ネット上では非常なる少数派です。
それがため、本当にテレビが熱気を持っていた時代の番組、
出演者に関する記述・記憶が、現今の劣化番組の情報再生産も有り、
どんどん掻き消されていってしまっております。
ぜひ奮って、皆さんのご記憶をお聞かせ下さい。
皆さんが楽しんだご記憶を、歴史の片隅に、ぜひ積み重ねて戴きたいと思います。

コメント欄も含め、全ての文責は当ブログ設置者が請け負っております。
どうか深く考えず、お気楽に書いてみて下さい。
記憶違い、不確かな話、今では表現規制されるような話、
昭和のテレビに関する話であれば、ここは、ほぼなんでも受け付けております。
往時を知る方の、一人でも多くのコメントでのご参加をお待ちしております。
今回は、ドラマのTBSがノリ始めた頃を象徴する、この番組です。





ドラマのTBSと言えば、ホームドラマ。
そうなるのは実は1970年代からで、60年代のTBSは、なかなか尖っていた。
ひとくちにドラマのTBSと形容してしまうけれども、
他局との差は、ひとかたならぬ段差が有ったかとワタクシは思います。
中でも、60年代前半の月曜日、20時半『青年の樹』、21時『咲子さんちょっと』
21時半『月曜日の男』、22時『人間の條件』といった並びは錚錚たるもので、
当時生で見られた人が本当に羨ましいものであります。
今回は、中では唯一まだ扱ってこなかった、『月曜日の男』の番であります。

大体からしてもう、冒頭で歌う主題歌から、水原弘が渋く歌い上げて大人の雰囲気満点。
当時21時半と言えば、もう深夜への入り口。
全ての店は閉まり、街灯も今より暗く少なく、辺りは本当の、夜の静けさ。
そこに響くトランペットと水原弘の歌声が、どれほど心地良かったか。
物語は、持統院丈太郎という推理作家の活躍譚。
言ってみれば荒唐無稽な話なわけですが、そうした雰囲気と、
30分という放送時間からの展開の早さが、上手くハマったのではないかと思います。

丈太郎は、その背後のスペアタイヤ部分に「JJ」という字をあしらった、
53年型MGというオープン・スポーツカーを乗りこなし、
空手と拳銃の腕もピカイチという腕利き。
演じたのは待田京介で、なんと、あの空手バカ一代のモデルである
大山倍達の一番弟子だというのであります。
であるからして、空手アクションはお手のものだったのでした。
眉間に皺寄せる表情を、おそらく天知茂より先に考案、売り出した俳優でした。

このJJの相手役として八代京子が出ていたものの、
ロケに深夜撮影にと、タフガイ待田に合わせた過酷な撮影に疲れたか、
一年で結婚を理由に降板。後釜には山内幸子が入りました。
山内幸子は、昭和36年の準ミス・エールフランスとなったのを機会に松竹入り。
この『月曜日の男』では雑誌記者役で、初登場から芦ノ湖ロケで脚線美を披露。
そんな感じで、昭和30年代のドラマにしては、ややお色気路線も意識したものでした。

例えば昭和36年7月24日放送「ノースモーキング」では、
根岸明美とのベッドシーンがドギツく、夏の9時と言えば子供もまだ起きているのだから、
あまり扇情的な場面は放送しないで欲しいという要望が。
もっともベッドシーンと言っても当時ですから、おっぱいの一つも映ってはいないはずですが、
それでもベッドの中で男女二人が組んずほぐれつするだけで、
当時としてはやや刺激の強い描写だったのでしょう。
それでというわけでもないでしょうが、当初21時15分開始が、後に21時半からになりました。

昭和37年12月10日放送回から、JJの愛車が53年型MGから、
59年型コルベットへと変更になりました。
型もやや古くなり、故障も多かったとの由。
ちょうど高速一号線が一部開通した頃合いで、早速ロケに繰り出したものの、
京橋から芝浦まで、コルベットの速さだと2カットしか撮れなかったとか。
都度50円の料金を払って、また逆方向から2カット撮るという繰り返しだったようです。

昭和38年6月10日と17日の二週に渡っては、百回記念の放送「百冊目の招待」。
事件を解決しては自分の小説にするJJ、百冊目の本という事です。
この後編で、白井義男、別所毅彦の二人が、JJをそれぞれ
ボクサー、野球選手に見立てて解説するという風変わりな企画が有りました。
東富士にも声を掛けたものの、喋ったり演技は勘弁してという事で固辞。
既述『つんころ大助』で少し書きましたが、特に当時の力士はそんな感じで、
あちらに毎週現役力士が出たのは、ひとえに原作者の顔だったわけです。
別所と白井は、今後の番組への希望も述べました。

提供は、ロート製薬。
昭和38年からパンシロンのCMをやっていた三橋達也が、
所属していた東宝がテレビ解禁したのに合わせ、
昭和39年3月23日放送のこの番組にゲスト出演しました。
なにしろ提供CMの俳優という事で、悪役は御法度。
かと言って、まったくの善玉ではつまらないという事で、
元日本軍人で祖国を捨てた、東南アジア某国の要人役に。
始めは悪玉のような関わり方で入り、後に濡れ衣が晴れて善玉になるという、
書いていてもよく判らない(笑)役で出演する事になった三橋、
「テレビはどうも不思議な世界で」と、提供会社の無い映画人らしい愚痴が出てました。
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コメント
この記事へ寄せられたコメント
ロート製薬のドラマ
ロート製薬のオープニングが作られたのは、1962年で、当時は白黒でした。

ということは、中期あたりから、あのオープニングがついたことになりそうですが、ロート製薬のオープニング付きのドラマというのは珍しいです。

ロート製薬のオープニングは、1965年のカラー化や、1976年のスポンサー表記の変更(旧ロゴがなくなり、提供番組名と“提供 ロート製薬“の表記に)、1989年のロゴの変更という大きな変化があったものの、1993年(平成5年)3月まで基本的に同じものが使われていたというのが驚きです。
2014/04/13(日) 07:59:38 | URL | 10000k
どうなんでしょうねえ。
ドラマの際には、あの鳩オープニングは無かったのかも。
2014/04/13(日) 15:33:58 | URL | ごいんきょ
やっぱりありました!
さすが当ブログ、月曜日の男 がありました。
何で見ていたかというと、この時間、父親の足を揉まされていたわけで。
小学生低学年が一人で見られるようなドラマではありませんでした。
筋は覚えていませんね。
そうそう、待田京介はMGに乗っていました。コルベットに乗り換えたのは覚えていません。
歌は水原弘だったのですね。
凄い低音で、げつようび~のおとこ~、というのが今でも思い出されます。
2014/06/17(火) 20:22:17 | URL | 元朗
いいですね、親孝行で(笑)。
これも一話くらい残しておいて欲しかったです。
2014/06/20(金) 23:00:37 | URL | ごいんきょ
主題歌は…
♪暗い夜が 俺を呼ぶ♫
こんな歌ではなかったですか。水原弘さんが歌ってたとは知りませんでした。うちの家では、子どもは8時半に寝るという決まりだったのに、なぜか見てましたね。うちの仕事が、月曜日休みの床屋さんだったからでしょうか(笑)
待田京介ってスターだと思ってたら、後年映画で見るとちょい役だったのであれ?と思ったりして。
おー、YouTubeに主題歌がupされていた!
http://www.youtube.com/watch?v=u54VbJB3Gjw
2014/07/04(金) 21:06:54 | URL | マジェスティ
これもレコード化されましたので、聞く方法は複数あります。
月曜日の男を月曜日休みの家が見る。いいです(笑)。

待田さんは、何故かこの番組が終わった後は注目されなくなってしまいましたね。
それだけこの番組がハマリ過ぎていたんでしょうか。
2014/07/09(水) 06:53:44 | URL | ごいんきょ
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