私的 昭和テレビ大全集
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素人民謡名人戦 (1961)

該当番組画像募集


只今、個人誌『昭和テレビ大全集レコード版ライト 巻之弐』発売を記念し、
昭和三十年代の番組を特集しております。
その誌面で扱った番組に限らず、今ではあまり振り返られなくなってしまった、
テレビ黄金時代の幕開けを飾る、輝ける昭和30年代を、広く振り返ろうと思います。

この時代の番組実見談を語れる人は、ネット上では非常なる少数派です。
それがため、本当にテレビが熱気を持っていた時代の番組、
出演者に関する記述・記憶が、現今の劣化番組の情報再生産も有り、
どんどん掻き消されていってしまっております。
ぜひ奮って、皆さんのご記憶をお聞かせ下さい。
皆さんが楽しんだご記憶を、歴史の片隅に、ぜひ積み重ねて戴きたいと思います。

コメント欄も含め、全ての文責は当ブログ設置者が請け負っております。
どうか深く考えず、お気楽に書いてみて下さい。
記憶違い、不確かな話、今では表現規制されるような話、
昭和のテレビに関する話であれば、ここは、ほぼなんでも受け付けております。
往時を知る方の、一人でも多くのコメントでのご参加をお待ちしております。
今回は、日本の芸能がまだ元気だった昭和を振り返る、この番組です。





♪ みかん きんかん さけのかん 嫁御もたせにゃ働かん

昭和世代にはお馴染み、キンカンCMソングで始まっておりました。
今も公式サイトで聞く事が出来ます。
http://www.kinkan.co.jp/cm/songs.html

しかし、嫁御もたせにゃ働かんというのが、時代出てますね~(笑)。
農村社会だった頃は、そんな感じで地域ぐるみでの縁談の世話が有りました。
そうした社会から出てきた人間が第一世代だった頃は、
大都会・東京でもそのような出身地域ごとの団体みたいなものを作り、
疑似農村集団のような働きが有って、やはりそうした繋がりでの
男女交際の広がりなどが有ったわけです。
非婚・晩婚化の要因は幾つも有りましょうが、
本格的な都市化が為され、密な繋がりが薄れた事も大きそうです。

その前の部分で、♪ キンカン塗って また塗って とありますが、
まーオスガキの8割8分9厘は、股をさすりながら歌ってたはずなんですよ(笑)。
♪ キンカン塗ってー 股塗ってー とね。
馬鹿なくせに、異常に大声あげて見せつけるようにね(笑)。
でも実際に股にキンカンを塗ったら、かなり悲惨な状態になろうかという、
そこまで含まれていた、非常に奥深い味わいの諧謔なのです、実は(笑)。

少し前の『タワーバラエティ』の稿にも書いたように、元々は、
その『タワーバラエティ』火曜日の番組でした。
つまりは、東京タワーに見物に来る人々が出ていたのでしょう、当初は。
そこには、お上りさんも沢山おりましたでしょうから、地域色も有ったはず。
おそらく、その様子を見ていけるとふんだ提供会社側が、
本格的に一本立ちさせてみようと決断したのだと思いますけどね。
そのように、金冠堂の社長さんは民謡好きだったのでした。

どのくらい好きかというと、ほとんど毎週欠かさずにスタジオに列席するほど(笑)。
番組名物の金冠社長は、時には自分の喉も披露していたようですね。
まさかそのために番組持ったわけではないでしょうが(笑)。
では、提供会社社長ではない人が出場するにはどうしたか。
番組には毎回、7、8名が出場していたわけですが、その人たちはみな、
各地での厳しい予選を勝ち抜いて来ていたのです。

民謡を歌う人なんかそんなにいるのかよ、というのは今日の視線。
その当時は明治男も当たり前におりましたから、
浪曲や民謡は、ラジオ放送では非常に有力な番種でしたし、
テレビ時代でもそこそこの力は、まだ持っていたのです。
まだ火曜14時台の頃、時間帯最高の12、3%の視聴率を弾いていた、
歴とした人気番組だったのでありました。

この番組はその名も「名人戦」ですから、名人を決めておりました。
名人戦決勝は、半年に一度。
月に百人ほどの申込者の中から予選を行い、二、三十人を残す。
第一~第三火曜日まで8人ずつ出演させ、一番二番を準名人と認定。
最終火曜日に、その中から月の名人を決定。
更に半年ごとに、月の名人同士で決勝を行い、名人が決定していた訳です。
たまに子供大会とかの趣向も有りました。

ただ、日本の音楽も昭和40年代に入ると、急速に西洋音楽の影響が顕著になり、
民謡の世界でも、そうした流れが出てきていたようです。
NHKでも民謡番組は幾つか存在していて、『若い民謡』とかは
露骨に歌謡曲との迎合を志向した作りとなってましたが、
そんな中、この番組は社長の意向でしょうが(笑)、
あくまでも民謡の本道を行く作りをしていたのでした。
踊りで、西崎緑という人が固定出演して好評だったのですが、
これは必殺歌手の西崎緑とは別人の、踊りの先生です(笑)。

踊りも本物なら、審査員ももちろん本物。
佐藤松子が披露した八木節は、初代・堀込源太と寸分も違わぬと、
時の御年七十六たる古よりの贔屓に絶賛されました。
また、町田佳声の審査は一本の筋が通っており、
若い女性が歌った「新さんさ時雨」に対し、10点満点のところを激烈なる3点の評価(笑)。
近頃歌謡曲風になり崩れてゆく民謡を守るためとしていたのでした。
先の七十六のご贔屓さんも然り、この頃、歌謡曲化していく民謡を嘆く贔屓も多く、
この町田の採点は非難を浴びるどころか、立派な審査だと評価されたのでした。

番組が一本立ちしてからは、けっこう長い間土曜の午後2時という
非常に中途半端な時間でやっていて(笑)、他の局では再放送とか、
あまり見映えのしないものばかりやっていたので、仕方無くでも、
この番組にチャンネルを合わせていた家も、けっこう有ったかと思います。
ワタクシの土曜午後は、1時台まではTBSで笑って笑って60分と、
それに続くケンちゃんシリーズを見て、それが終わったら外へ遊びに行く
という感じの行動が多かったので、この番組と遭遇する機会は少なかったですが、
それでもあれだけの長期放送ですと、しばしば目撃しておりました。

1980年代になると、同じ土曜でも午前中に移動し、
或る時チャンネルを回している最中にふとこの番組画面とぶつかって、
ああ、この時間になってたんだと知り、むしろこの時間の方が合ってるなと感じました。
賑やかな番組は無く、落ち着いた雰囲気だった昭和の土曜午前テレビ。
そこに響く喉が、なんとも言えぬ癒され加減。
でもその頃になると、民謡人口もそれなりに減っていたからなのか、
出場者の人はみんな、お馴染みの顔って感じだったように思います(笑)。
それに、「うーむ…(笑)」って感じの喉自慢の人も見たなあ。
親しみ易さも狙うようになっていたのか、単に愛好人口が減ったからだったのか…。
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コメント
この記事へ寄せられたコメント
母が出場しました。
「3時のあなた」の項でお話しした母が、出場しました。「秋田おばこ」という十八番を歌って。土曜の午後だったので、私も観ていましたが、TV画面をカメラで写真を撮るのが忙しく(笑)。

佐藤松子さんに「地元の味わいがあります」と褒められましたが、残れませんでした。

その頃、隣の町工場の排気ガスで 母は喘息をわずらっていて、歌い終わったときに「あ、苦しかった」と思わずつぶやいてしまったために残れなかったのだと相当後悔していました。

母の姉が、民謡と三味線の名取になっていたので、「素人」ではないため、出場できないと嘆いていました。その伯母が母と一緒にTVを観ていたりしたときに言っていましたが、出場者のほとんどが、民謡を習っている、そして、その教わっている先生によって、やはり歌い方に癖があると。

母はまったく地元で歌っていただけで習っていませんでしたが。

民謡にまだまだそういう需要があった時代だったのですね。

2014/04/16(水) 18:09:19 | URL | たかちゃん
いやあ、まさか出場者のご家族がいたとは(笑)。
その写真、ご自分のブログとかでアップしたらTB戴きたいですね。

町工場の排気ガス… 川崎でしょうか。

ああ。名取さんは素人ではなくなるのですね。
たしかに人に教えてお金を戴ける立場ですから、プロですか。
歌い方の癖ですか。さすがにそこまでは判らなかった。
2014/04/17(木) 00:14:17 | URL | ごいんきょ
昔プロ野球の日本シリーズがデーゲームで行われるのが当たり前だった時代に、フジテレビが土曜の試合を中継する場合は、この番組を0時からの繰り上げ放送をしていました。この番組が終了してからもキンカン本舗は、フジテレビアナウンサーが新しいアウトドアライフを提案する(笑)番組「晴れたらイイネッ」のスポンサーでした。フジのキンカンはテレ朝の象印と並ぶ長期スポンサーのようですね。
2014/04/19(土) 20:29:39 | URL | ナベチン
へえ。12時からになってましたっけ。
それは記憶に無かったです。
2014/04/19(土) 21:11:42 | URL | ごいんきょ
フジはそういえば、旭化成、ライオン、シオノギ、キンカン、花王、関西テレビの提供枠ではありますがロード製薬・・・と、他局以上に平成の世を跨いでも尚延々と単独提供を続けるスポンサーを多く抱えていた印象が強いですね。シオノギ・ライオンなんて未だに単独提供の冠を外す気配を感じさせないですからね(笑)。

多分、これもごいんきょさんがよく指摘なさっているフジ開局当初のスポンサーのつきにくさに起因しているんでしょうね。スポンサー選びに苦慮し続けていた黎明期のあの局にとって、30分、15分であってもその枠を丸抱えて買い取ってくれるスポンサーは貴重であり、また広告料の安定徴収という意味でも絶対に手放したくないという意識が他局よりも強かったはずですし。
それが好調期になった1980年代になっても営業ないしは編成セクションの中で一つの”イデオロギー”として染み付いていたってことなんでしょうね。

もし他局でこの番組が製作されていたとすればこんなに長く続く番組となっていたかどうか・・・(汗)。
2014/04/20(日) 04:39:11 | URL | (ハンドル未記入)
どうなんでしょうねえ。
一応、枠の仕様を変えるにあたっては、局側と提供会社、それに広告代理店との密な話し合いが有るはずです。
それで条件が合わなければ撤退という事でしょうけど、
時間枠変更とかで継続という折衷案も、よく使われてきた感じですね。
開始期に提供会社が付きづらかったのはどこも同じでして、
日本テレビも初期にはそれなりに苦労していたようです。
それに、今後の付き合いも有りますしね。
長年の関係をそう簡単には反故にできないというのは、
常識的な商慣習に則った話なんだろうと思います。

この番組の場合は、やはり社長が民謡を溺愛していた、これに尽きるかと思うんですよ(笑)。
あとは、そのようにして番組自体に長期放送による付加価値が出来てきたという事だと思います。

題名の無い音楽会も、同じ様な感じだと思うんですよね。
昭和中頃は、ワンマン社長の一存で番組を制作でき、
必ずしも視聴率にとらわれずとも、継続できた。
続けているうちに、それが番組そのものの付帯価値となっていった、そういうものだったように思います。

でも、たしかに日テレとかTBSでは、これらのような数十年の一社提供番組って、そんなに思いつかないですね。
テレビ東京でも日産なんか有りましたし、
ご指摘のような事も、有るんでしょうか。
2014/04/20(日) 10:03:49 | URL | ごいんきょ
参加者の胸元
 自宅に祖父母がいない我が家ではあまり縁のない番組でしたが、何回かは見たことがあります。 
 フジテレビ(関東)以外の出場者は胸元に地元局のマークやロゴの入った丸いバッジをつけていたのを覚えています。
 ただこの番組って出場者募集の告知は流れてなかったし、地元局でも予選会のCMは見たことがありません。
 今考えてみると「?」なのですが…。どうやって出場者を募集していたんでしょうか。
 
2014/04/20(日) 23:58:10 | URL | 北国の人
一社提供番組の思い出
>でも、たしかに日テレとかTBSでは、これらのような数十年の一社提供番組って、そんなに思いつかないですね。
日テレだと日立グループ提供の「素晴らしい世界旅行」、TBSだと東芝提供の「東芝日曜劇場」と松下グループ提供の「ナショナル劇場」あたりが有名ですね
でも、どれも現在ではスポンサーを撤退してしまいましたが・・・
やはり一社提供番組は減少傾向にありますね

>テレビ東京でも日産なんか有りました
フジテレビでキンカンの社長の趣味で民謡番組を作ってしまったのと同じようなケースで、
テレ東でも大正製薬の社長の趣味が高じて始めてしまった「演歌の花道」がありましたね
2014/06/04(水) 16:33:13 | URL | 通りすがり
● 北国さん
局バッジですか。それは覚えてませんでした。
募集は毎週でなく、たまにやっていたんでしょうね。
予選会も毎週ではなかったようですし。


● 通りすがりさん
『素晴らしい世界旅行』も、そう言えば結構長期放送だったんでした。
ナショナル劇場も無くなってしまったんですね。

そうそう。演歌の花道も。
民謡だの演歌だのは、やはり強力な後ろ盾が必要ですかね。
2014/06/05(木) 07:09:38 | URL | ごいんきょ
製薬会社の安定性
というのは他の業界の比ではないのではないでしょうか?家電や食品は価格競争の激化でサンヨーのように無くなってしまった会社もありますし、食品も価格決定権を大手流通に握られて元気がありません。未だに一社提供を続けられるのは利益率の高さ、特に業務用(病院用)の安定した利益率に支えられているものと思われます。「命に関わるもの」という錦の御旗がありますから強いです。
2014/06/07(土) 09:39:30 | URL | とらお
一社提供
TBSは「世界ふしぎ発見」が
日立の一社提供で今もやってますね。

日テレは資生堂の「おしゃれ○○」
のシリーズが結構長いのではないかと
思います。(昼1時15分の時代もあるので)

素人民謡名人戦については残念ながら
「江戸家小猫さんの司会」
「♪キンカン塗って、また塗って~」
のcmぐらいしか記憶に残っていないですね。
2014/06/07(土) 09:50:01 | URL | yig
● とらおさん
ま。言ってみればボッタクリ価格なんでしょうけど(笑)。
開発費も有るから一概には言えませんけどね。
広告費もかなりであろうと考えると、なんとも。


● yigさん
まあ、昼の『おしゃれ』と夜の『おしゃれ』を同一番組と考えるのは、かなり無理が有りますけど。
『ふしぎ発見』は出演者の固定でも特筆されるものが有ります。
2014/06/11(水) 01:21:44 | URL | ごいんきょ
素人民謡名人戦
93年6月で終了しましたが、その時点での放送期間はミュージックフェアより長かったそうです。
子供大会には長山洋子さんや城之内早苗さんも出場したと聞いた事があります。司会は小猫師匠の前は鈴木ヤスシさんの記憶があります。
一社提供、製薬メーカーの場合は30分番組のみの取り決めがあったようですね。シオノギもロートも大正も一社提供はみんな30分番組ですね。
2016/11/09(水) 23:40:43 | URL | TSUSHIMA
Reとらお様
製薬会社の安定性、昔は「薬九層倍」の言葉のように、、原価の9倍から10倍もの値段を付けて売られていたとも言われていましたからね。
昨今では外資系の参入などで業界再編が一気に進みましたね。
2016/11/09(水) 23:46:52 | URL | TSUSHIMA
鈴木やすしさん、やってました。
その頃のビデオは、何本か我が家に有ります。
が、所在確認が難しい(苦笑)。

製薬会社は、ちょっと変です。広告費有り過ぎ。
2016/11/13(日) 22:02:34 | URL | ごいんきょ
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