私的 昭和テレビ大全集
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夫婦百景 (1958)

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只今、個人誌『昭和テレビ大全集レコード版ライト 巻之弐』発売を記念し、
昭和三十年代の番組を特集しております。
その誌面で扱った番組に限らず、今ではあまり振り返られなくなってしまった、
テレビ黄金時代の幕開けを飾る、輝ける昭和30年代を、広く振り返ろうと思います。

この時代の番組実見談を語れる人は、ネット上では非常なる少数派です。
それがため、本当にテレビが熱気を持っていた時代の番組、
出演者に関する記述・記憶が、現今の劣化番組の情報再生産も有り、
どんどん掻き消されていってしまっております。
ぜひ奮って、皆さんのご記憶をお聞かせ下さい。
皆さんが楽しんだご記憶を、歴史の片隅に、ぜひ積み重ねて戴きたいと思います。

コメント欄も含め、全ての文責は当ブログ設置者が請け負っております。
どうか深く考えず、お気楽に書いてみて下さい。
記憶違い、不確かな話、今では表現規制されるような話、
昭和のテレビに関する話であれば、ここは、ほぼなんでも受け付けております。
往時を知る方の、一人でも多くのコメントでのご参加をお待ちしております。
今回は、夫婦ドラマの元祖を振り返る、この番組です。





元々は獅子文六の小説を原作として1クール予定で始まったものの、
人気のため延長となり、「獅子文六選」として、
他の人間が書いた脚本を放送するようになった、
夫婦を題材とした一回完結のドラマ枠でした。
東芝日曜劇場が始まったのが昭和31年で、
それに少し遅れた昭和33年5月に放送開始。
まだ胎動期と言えたテレビ界に於いて、代表的な長寿ドラマ枠でした。

放送一周年記念番組では、初めて時代ものの夫婦劇を扱い、
更には昭和34年にして、早くもカラー化を実現。
少し後に日本テレビ系列にハワイの局が加わった時期が有るのですが、
そこでは特にカラー番組の評価が高く、早々にカラー化に踏み切った日テレも、
鼻高々での報告が何度もされております。
嘘か本当か、アメリカよりも色が綺麗だという評判も多かったほど、
昭和30年代も後半に入ると、日本のカラー技術は高みに有ったのでした。

最初の70回くらいは生放送だったようですが、そんな時期に、
10歳の少女が出演していたとして、批判が有りました。
この番組は夜十時台の放送でしたから、当然の批判でしょうか。
なんでも、以前にも夜遅い劇で、よく寝ていた赤ん坊がライトの熱さで起き、
火の付いたように泣いたために台詞が聞こえなかった事が有るとかで(笑)、
制作側もよく気をつけて欲しいという苦情・批判でした。

第5回「トの字の夫婦」では、主演の男子を紙上募集。
身長180以上、二十五から三十歳の男子という内容でしたが、
放送二週間くらい前の告知なんですよね(苦笑)。
昭和も三十年代前半までは、このような直前の新聞公募がよく有りました。
テレビ界の人材難が偲ばれますが、それで本当にまともに放送できたのでしょうか(苦笑)。

百回記念番組は、三木のり平と轟夕起子という細太夫婦の話でしたが、
この第5回は、小柄な高橋和枝に対する大男を募集していたようで、
AIGジャパンの社員だった男性が選ばれ、無事に出演したようですが。
ただこの男性、三十一歳でしたから、やや条件からは外れていたのですが、
その当時身長180というとそうはいなかったでしょうから、やむを得ずだったのでしょう。
他に田辺製薬勤務の男性も、もう一組の夫役として出演しました。

そのように、夫婦を描いたホームドラマであっても、
どこか現実離れしているというか、どこにでもいる夫婦をしたり顔で描いたのではなく、
どちらかと言えばコメディー色の強い作品が多かったようです。
ただ、夫婦を描いたホームドラマだけに、そこかしこに共感を呼ぶ場面も多く、
それ故にこそ堅実な人気を誇ったわけです。
また、軽い描き方も肩肘張らずに楽しめて良かったのでしょう。

昭和36年6月18日「頓才女房」では、朝丘雪路が全編ネグリジェ姿で出演。
適度なお色気で好評でした。
昭和37年4月16日には、元関取の接骨医役・三國一朗の娘役として、
天才豆バレリーナとして騒がれた大原永子が出演。
バレエに熱中する女子高校生を演じました。
彼女はその後、その世界の第一人者として大成。紫綬褒章を受けるまでの存在となりました。

昭和37年5月14、21日には、400回記念として、厚生年金会館に
一般客を招いて収録した舞台劇を放送。これは都合上、白黒での放送でした。
これに招待されたのは、番組での募集に応じた十組の夫婦。
この夫婦募集には、四万組もの応募が有ったといい、
当時テレビでの応募数新記録と騒がれ、人気の程が窺えます。

昭和37年7月2日放送には、戦前のカルメン歌手・由利あけみが久々の登場。
人気絶頂期に結婚・引退していたのを、上野音楽学校での同窓生という
日本テレビ緒方演出部長に口説かれての出演だったのでした。
役柄は、歌手としての過去の名声に浸る母親(苦笑)。
しかし劇中では、バラとウグイスなど二曲を披露したと言います。

この緒方勉が初代のプロデューサーで、番組を立ち上げた人物。
黎明期の日本テレビでゴロゴロいた音楽に詳しい人物の一人で、
東京音楽学校卒業の後、NHK専属歌手だったという経歴。
故に音楽にも五月蠅く、オープニング主題曲には服部正を起用。
飛ぶ小鳥や水鳥、羽を広げる孔雀などの画面に流れる音楽は好評で、
長年親しまれるうちには、服部正の所へ、詞を付けて欲しいとか、
バレエで踊れるようにもう少し長くして欲しい等の要望も有ったようです。

昭和38年4月には、ホームドラマの新分野を開拓したとして、放送作家協会賞のTRG賞を受賞。
引き続き5月の五周年には、東宝スターが大挙出演する記念期間を四回連続で実現。
テレビ初出演という水野久美を始め、三橋達也ら錚錚たる顔触れが登場しました。
普段はあまり予算が無いという事で、スター不在と言われていた枠だったので、
この時は大奮発だったのでしょうね(笑)。
また、先の『月曜日の男』でも少し触れたように、
東宝が親テレビへと大きく舵を切った時期でもありました。

それこそ長寿夫婦の秘訣のように、可も無く不可も無くといった感じで
長年親しまれたドラマ枠で、視聴率も20%に届かないくらいと、
テレビ史に深く刻まれる人気番組というほどでもなかったのですが、
根強い人気が有って、一旦休止後の昭和41年四月に、一年ぶりで復活。
この時には提供は、旧枠の富士電機からトヨタグループに替わりましたが、
放送回数は昭和33年から通算されたものが使われて、
更に一年半継続という、地味な人気番組でした。

その中には、第一回放送だった「若い若い夫婦」のように、
後に再ドラマ化された話も複数あります。
また、実際の夫婦関係にある二人が夫婦を演じた回数も多く、
井上孝雄・馬渕晴子、臼井正明・七尾怜子、穂積隆信・北里深雪といった面々が、
この番組でも夫婦となって、ドラマ世界に現実味を加えたのですが、
穂積と北里深雪との関係は、何故かウィキペディアでは書かれてませんね。
籍は入れてなかったのでしょうか?

十年近い年月、400回以上の放送実績を誇り、
脚本家、日本テレビの制作陣など多くの人材も育てた、
夫婦ドラマの元祖とも言われる枠なのに、今日の扱われ方があまりに軽すぎるもの。
それも、当の日本テレビにしてから。
とにかく日本のテレビ界は文化的視点が完全に皆無なのですが、
それでいて著作権に関してだけは、猛烈に能弁になるというね(笑)。
人間として言葉に説得力を持たせようと思ったら、
どうしたって文化的視点・行動が欠かせないのですが、
んまあ一言で言えば、おこなんでしょうね。
著作権侵害に怒っているっていう意味で(笑)。
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