私的 昭和テレビ大全集
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OK横丁に集まれ (1957)

該当番組画像募集


只今、個人誌『昭和テレビ大全集レコード版ライト 巻之弐』発売を記念し、
昭和三十年代の番組を特集しております。
その誌面で扱った番組に限らず、今ではあまり振り返られなくなってしまった、
テレビ黄金時代の幕開けを飾る、輝ける昭和30年代を、広く振り返ろうと思います。

この時代の番組実見談を語れる人は、ネット上では非常なる少数派です。
それがため、本当にテレビが熱気を持っていた時代の番組、
出演者に関する記述・記憶が、現今の劣化番組の情報再生産も有り、
どんどん掻き消されていってしまっております。
ぜひ奮って、皆さんのご記憶をお聞かせ下さい。
皆さんが楽しんだご記憶を、歴史の片隅に、ぜひ積み重ねて戴きたいと思います。

コメント欄も含め、全ての文責は当ブログ設置者が請け負っております。
どうか深く考えず、お気楽に書いてみて下さい。
記憶違い、不確かな話、今では表現規制されるような話、
昭和のテレビに関する話であれば、ここは、ほぼなんでも受け付けております。
往時を知る方の、一人でも多くのコメントでのご参加をお待ちしております。
今回は、日本テレビ初期集団喜劇を振り返る、この番組です。





昭和三十年代は、日曜のお昼と言えばコメディーという時代でした。
その嚆矢となったのが、関西からやって来た『びっくり捕物帳』。
これに関しては遠からず出来たら良いなと思っておりますが、
昭和32年10月6日に、その『びっくり捕物帳』に続く時間帯、
12時45分からの30分という、やや中途半端な時間に放送しておりました。
この辺の事情を推察するに、おそらく関西コメディーに負けてなるかという
本局の意地が有ったのではないかと思うのですがね。

内容は、横丁に住むお人好しな住人達の描くペーソス喜劇という事で、
NHKの『お笑い三人組』を下敷きにしたとしか思えないもの。
おそらく、先述の通りお笑い三人組をNHKに取られた
意趣返しも有ったのかとも思うのですが、その一竜斎貞鳳も出てました。
他に横丁の住人を演じたのは、ラジオで売り出したジョージ・ルイカー、
『何でもやりまショー』の三國一朗、藤村有弘、左卜全、大辻伺郎、逗子とんぼといった面々。

ジョージ・ルイカーは、外人タレントの元祖のような存在。
藤村有弘は、更にテレビ黎明期に『二人でお茶を』から出てきた新進タレント。
飲み屋の板前役の大辻伺郎は更に駆け出しで、父の漫談家・大辻司郎が
数年前にもく星号墜落で死亡し、元々は興味の無かった芸能界に入り込んできた二十三歳。
人に支えられないといけないという事で、父の名ににんべんを付けて芸名にしました。
何も無い所からの出発だけに、芸の吸収には熱心だったようです。

一竜斎貞鳳は女形。その友人役で出た丸山明宏は、更に完全な女に(笑)。
主役の藤村有弘は、ここで薬屋のお婆さん役で人気が出ましたが、
その娘役が東宝のお姐ちゃん系で売り出される前の、中島そのみ。
あの独特のキーキー声で、これも人気でした。
藤村のお婆ちゃんが好評のため、お婆ちゃん大会のような競演が有り、
佐山俊二と、当時そうした売り出しではなかった小島正雄がお婆ちゃんに。
小島はこれにより喜劇路線も開拓し、『ウチのトノサマ』に繋がるのです。
また、当の藤村にしても、後の『エプロンおばさん』に繋がるのでした。

横丁の描写でもあり、子供も男女数人が出ておりましたが、
中の一人に、小学四年生当時の弘田三枝子がいた事も一部では有名。
もう一人の女の子と、「あたしの方が綺麗よ」と言い合ってたおしゃまな子(笑)。
この出自が有るからか、後に同じ日本テレビの『横町正義隊』主題歌を担当しました。
更には、桜井センリ加入前の、本当に出始めの頃のクレージー・キャッツも出演。
当時から各自の面白味は見抜かれていて、歌抜き、演技のみでの起用でした。
この様に黎明期の番組を探ると、その後の大御所たちの黎明期も知る事が出来るのです。

昭和33年11月9日には、河岸の親分役で古今亭志ん生が出演。
志ん生も、わりとバラエティー番組に出ていたんですよね。
12月14日の放送では、クリスマスパーティーでしょうか、
子供達がお酒を飲んで「酔った酔った」と寝てしまうという、
今のテレビ倫理ではとても考えられない場面が有りました(笑)。
そして昭和34年6月14日、伝説的とも言える一大実験劇、
「台本の無いドラマ」が試みられたのでした。

演出側の松本尚彦はセット三杯を与え、セットからセットへ移る際の約束事だけ決める。
その後は全てが現場の演技者の決めで、演出者は追い出されたのでした。
提供の小野薬品からは、技能・殊勲・敢闘の三賞をかけられていたものの、
一竜斎貞鳳が技能賞を獲得しただけだったといいます。
当事者の松本尚彦は平凡なアドリブドラマに終わったと言いますが、
放送直後の読者欄には、その試みと内容を称える投書も有り、
全てが即興だったのに破綻が無かったという、恐るべき芸達者揃いだった事が窺えます。

この番組でもう一つ特筆すべき出来事が、百回記念の舞台劇。
昭和34年8月頭に、このころテレビの舞台劇をやっていた新宿第一劇場にて二日間興行を行い、
それが第95回(97回とも)「幽霊まかり通る」として放送されました。
なぜ百回目ではないかと言うと、それだと月末になってしまい、
日本テレビ本体の開局記念と被さってしまうという事情が有りました。
出演したのは、藤村有弘、ルイカー、貞鳳、三國、逗子、大辻、関口悦郎、井川邦子
といった固定陣の他に、準固定の清川虹子、由利徹、南利明、藤島桓夫らが登場。
藤島は、固定陣と共にこの番組の主題歌も吹き込んでおりました。

テレビの人気が凄かったという事で劇場側から頼まれたとの事ですが、
これを仕切ったのが、当時日本テレビにタレントを送り込んでいた、AAモカルプロ。
この、渡辺プロもまだ力を持っていない頃にテレビ界に根付いていた思われる存在は、
試みに検索してみても完全該当無しという謎の存在。
どなたか詳しい方がいらっしゃいましたらご教示戴きたいです。
この時は当然入場料を取っている訳ですが、テレビ収録で木戸銭を取ったのは、
もしかすると他に例が無いのではないかとも言われます。

喜劇のはずなのに、冒頭でいきなり「今日は全員でシェークスピアの
真夏の夜の夢をやります」と宣言して、本当に本格芝居をした事も有るようで、
他にもゴーリキーのどん底とか、チェーホフの桜の園などもやったという話。
まだ視聴者もそれほど多くなく、出演側にも芸への意欲が漲っていた時代。
勝手気ままに出来た気楽さと、熱い想いがいつも羨ましくなる、
テレビ黎明期の思い出話なのであります。
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この記事へ寄せられたコメント
タイトルから連想して…
OK牧場の決闘=ワイアットアープのパロディだと勝手に連想してしまいました(^_^;
2014/04/22(火) 23:26:10 | URL | がむしゃら
勿論、元はそこから取っている訳ですけどね。
2014/04/29(火) 03:14:48 | URL | ごいんきょ
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